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見捨てないで支えてくれた先生

先生シリーズ第5弾!
今回は小娘が小学6年生の頃のお話。
当時の担任は、若くて2.3年目の女性の先生だった。しかし、この方がとても素敵で、若いのにやり手な先生だった。

小娘の小学校6年生は波乱の年となった。
当時はガラケーを持つ子も増え、それが引金となり友情に亀裂が入ったりと、ちょっとややこしい時期だった。

小娘と言えば、その学年としては身体も大きく、自分の思った事をズバズバ述べてしまう性格だった。だから、今となってわかるのだが、この手の子どもというのは、クラスの雰囲気の鍵を握る、良い意味でも悪い意味でもキーパーソン的存在になり得る。だから扱う時は慎重にならなくてはならない。

小娘がマイナスな事を言えば、クラスに伝染するし、プラスの事を言えば、クラスに活気が出る。でも、小娘本人としては、ただ思っていることを言語化しているだけで、何も悪気はないのである。だから余計に面倒くさい。

そんな女児だったため、小娘は知らないうちに友達を傷つける言動をしていた。昔から運動が好きで、男児のように揶揄い合いを好むやんちゃな一面を持つ一方で、〇〇ごっこをしている友達を遠目に見るようなちょっと冷めた一面を持つ子どもだった😂

だから女の子にも揶揄いをふっかけたりして、嫌な思いをした子はたくさんいたと思う。全く🤷🏻‍♀️な女児であった。本当にごめんね、みんな🙇🏻‍♀️

そんなわけで、ある時同じ学年の女の子たちと先生に呼ばれて、ちょっとした話し合いの場を設けられた。小娘はこの話し合いの意図が見えていなかった。そして、本題に入り、ある女の子から面と向かって、小娘の言動に悩まされていると告白を受ける。他の女の子たちは、付き添いだったようだ。

面食らった。

頭の中が真っ白になるってこういう事なのかと。言葉が何も見つからず、ただただ呆然と座り、話を聞いていた。そこでやっと女の子たちvs小娘という構図になっていた事を理解した。

ただのコミュニケーションのつもりだった。
少しでもみんなが笑ってくれればというつもりだった。
でも実際は自分の意図とは逆に、ある女の子を傷つけていただけだった。

小娘はその真相を受け入れられず、過去の自分を恥じた。恥ずかしくて、その場から逃げ出したかった。

結局今もその時の話がどうまとまったのかは全く覚えていない。「どうして小娘ちゃんが私にそういう言動するのかわからない。」と、女の子に言われてから、その言葉だけが自分の頭の中をぐるぐると回り、あとは頭も心も空っぽだった。

そして女の子たちが帰り、小娘も身支度を始めた。しかし全く進まず、もう辺りは暗くなり、自分の心も暗くなっていた。

すると当時の担任の先生が、「家まで送るから一緒に帰ろう。」と声をかけてくれた。小娘はうつ向きながら、頭を上下に振った。

帰り道、先生は自分の話を始めた。

「先生が小学生の時はね、小娘さんみたいに身体も大きくて、周りの友達から怖がられてたんだよ。」

「だから勘違いされることがすごく多かった。自分の発言を勝手に盛られて、悪者扱いされたり、してもいないイジメの主導者にされたりしたことがあるの。」

「今回の小娘さんの状況と、少なからず被るところがあってね。きっとさっきの話し合いもびっくりしたんじゃない?」

「小娘さんが悪気ないのを先生はわかってる。コミュニケーションって難しいよね。」

「でもね、先生は小娘さんならこの後思いやりを持った行動ができるって知ってるよ。小娘さんは優しい子だから、人の事を傷つけようと思って今までのことをしていたとは、先生は1ミリも思っていない。私はあなたを信じます。」

先生は自転車を押しながら、小娘にそう話してくれた。

今にも溢れ出しそうな涙を抑えながら、まだ家まで少し距離があるが、もう一人で帰れる気がした。

先生にここまでで大丈夫と伝えると、先生も小娘の変容に気づき、大丈夫だろうという確信を持った。そして小娘と「また明日、学校で会いましょう。」と約束を交わした。

次の日も、またその次の日も、ちゃんと学校に通えたのは、先生のフォローがあったおかげだ。

そしてそれ以降、小娘は変わろうと努力した。
何が変わったのかについては、また別の記事で書きたい。要するに誰かのために、思いやりを持った行動をできるようになったのである。
そのエピソードについてはまたのお楽しみ。


写真は福島旅をした時の大内宿の写真である📷

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