そのペンは未来を記すのか【インド映画】Repeat
“Repeat”(2022年、テルグ語映画、タミル語吹替)配信サービスahaにて。
鑑賞後にWikipediaで調べたところ、この映画は”Dejavu”というタミル語映画と同時進行で作られた同じ内容の作品で、テルグ語版”Repeat”ではナヴィーン・チャンドラが主演し、タミル語版”Dejavu”ではArulnithiが主演していたとのこと。それ以外のキャストは同じ。ということは、主演以外は同じ演技を二度求められたということ(主演がいないシーンは吹替のみだろうけど)じゃないかと思うので、わざわざそんなことせんでも全編吹き替えれば…と感じるのだが、インド映画では特段珍しいことではないのかもしれない。
ただテルグ語版はインド国内に限定された配信サービス(Disney + hotstar)でしか観ることができず、私が観たのはそのテルグ語版をさらにタミル語版に吹き替えたものだった。つまりもともとタミル版”Dejavu”があるにもかかわらず、テルグ語版”Repeat”をわざわざタミル語吹替にして公開しているので、タミル語映画としてほぼ同じ内容の映画が二つあるようなもので、いやほんとよくわからない。
なおテルグ語版の予告はIMDbで公開されている(YouTubeは公開元が公式じゃなさそう)けど短縮版なので、以下はタミル語吹替え版の予告。
ある夜、一人の作家が警察署に現れ、「自分が書いた小説の登場人物と名乗る者から脅迫を受けている」と申し立てをする。彼が酔っていたこともあり、警官は相手にせず追い返すが、翌朝、その作家のもとにあらためて刑事がやってくる。作家が追い返された後、警察に女性の声で通報電話があり、自分が拉致されたことと作家の名前を述べたためだった。電話は途中で途切れたが、作家の書きかけの原稿を見た刑事は、そこに通報内容と全く同じ事実が書かれていることを知る。だが作家はその女性を知らないという。
刑事たちが強引に作家を連行としようとしたため騒ぎとなったことで、警視総監のアシャ(マドゥー)の目に留まる。彼女は騒ぎを収めようとするが、通報してきた女性が自分の娘プージャであり、実際に前夜に出かけた娘がまだ帰宅していないことに気がつく。アシャは作家を訪ね問いただすが、彼女に対し、作家は、自分はただ、頭に浮かぶ物語を書いているだけだと繰り返した。
マスコミに騒ぎを感づかれたくないアシャは、ヴィクラム・クマール警部(ナヴィーン・チャンドラ)を事件の管轄地域外から呼び寄せる。ヴィクラムはすぐに捜査を開始するが、その間にも作家は書き続け、彼が書いた通りのことが起こり始める…。
作家が書いた出来事が現実に起きる、という展開の物語で、全般的に、よくできてるなあと思いながら観ることができた。途中までほんとうに、これが超常現象的なものを描くスリラーなのかそうじゃないのかよくわからず、中盤に至って過去に起きた事件と今回の誘拐事件が関連しているらしい、という展開になってようやく、これは過去の事件に端を発した話なのか、とわかってくる。
ただ、ハリウッド映画なんかでやっていてもおかしくない面白い設定なのだけど、物語はかなり淡々と進み、演出が平板な気がした。せっかく話は面白いのだから、もうちょっとこちらをゾクッとさせるようなメリハリが欲しかった。
ナヴィーン・チャンドラが演じているのは捜査を担当する優秀な警部である。彼は(ものすごい勢いで煙草を消費しながら)ひたすら実直に事件に向き合うのだが、前半ではあまり彼自身の人柄が見えてこない。過去の事件との関連が描かれ始めるころにチラチラと感情が見え隠れし、ラストで急展開をたどるあたりで大きくそのキャラクターが変化する(その後にもさらにひとひねりある)。このあたりは人の善悪どちらの有り様も演じてきた彼お得意の分野といってもよさそうだし、よく似合った役どころだったという気がする。
インド映画では公権力を操る立場に女性がいることが多々あって、現実がどうなのかは知識不足でわからないものの、面白いなあと思う。この映画に登場するアシャは母親でもあるけどそれ以上に自分の立場を守ることに固執している。それ故に判断を誤っていくのだけど、このアシャを演じるマドゥーの演技がまた、娘を思う母親の表情と、自分の権力欲のために躊躇せずに残酷な判断を下す権力者の表情とを自在に行き来していて素晴らしかった。
なおこのタミル語吹替え版はYouTubeで全編公開されている。英語字幕はなく、最後のクライマックス付近で画像がやや乱れるのが残念。また、以下サムネイルでは右側になんか犯人みたいな顔でMime Gopiさんが出張っているのだが、全然そんな役じゃないっす(インド映画サムネイルあるあるですが…)。