大事なことは話しておけ【インド映画】Juliet Lover of Idiot
"Juliet Lover of Idiot" (2017年、テルグ映画)Simply Southにて。
タイトルもビジュアルもラブロマンスものだが、テルグ語映画だから単なるロマンスだけの筋では終わらない。
※以下、物語の内容と結末に触れています
ホテルで配車係をやっているヴァーラ(ナヴィーン・チャンドラ)にはジュリエット(ニヴェータ・トーマス)という恋人がいる。彼女はお金持ちのお嬢さんでちょっとわがまま。でも、ヴァーラのことを好きでいてくれる。ヴァーラは借金を重ねており、その取り立てを口先三寸(とちょっとした暴力)で交わし続けているいい加減なところのある男だが、ジュリエットのことはお姫様のように大切にしていて将来のことも考えている。だが、ある日ジュリエットに呼び出されたヴァーラは、そこで彼女の両親と顔合わせをさせられる。両親がいないこと、学歴のなさ、職業が不釣り合いであることを父親から指摘された彼は、彼女にふさわしい相手を選ぶことを条件に、父親からの手切れ金を受け取った。ジュリエットはショックを受け、ヴァーラを問い詰めるが、彼はそれまでと人が変わったように冷たく彼女を突き放す。深く傷ついた彼女は当てつけのようにヴァーラの目前で結婚相手を探すが、彼は動じない。人間的にも魅力的、彼女の両親のお眼鏡にもかなう理想的な男性を見つけてきて紹介するしまつである。
一方、ヴァーラは仕事で車の取り違えを起こしたことから、ギャングの秘密情報を格納したブリーフケースの争奪戦に巻き込まれる。自分に付きまとう借金取りの一人(アリー)をうまいこと味方に付け、ギャングからブリーフケースと引き換えに大金をせしめることを画策するヴァーラは、徐々に危ない橋を渡り始める。そもそもなぜ彼はそこまで金銭に執着するのか。ジュリエットとはどうなってしまうのか…。
娯楽映画なのでもちろんハッピーエンドになる。ヴァーラが借金を重ねたりギャングから大金を巻き上げようとしたりするのは、彼が幼い頃に交通事故に遭って以来ずっと入院生活を続けている母の治療費に充てようとしていたからだ、という事情が明かされ、ジュリエットをあきらめて手切れ金を選択したのも同じ理由からだ、ということがわかる。ジュリエットも彼女の両親も、ヴァーラを理解し、受け入れてくれる。彼女の諭しもあって、ヴァーラはギャング相手の危うい取引から手を引くことにする。
最終的にお母さんを大切に。みたいな結末に至り、あっ、そういう結末…そうだよな…インド映画では母親が一番大事だもんな…などと予想と異なる着地点にちょっと戸惑ったのだが、考えたら冒頭この曲から始まるんだから、そういう展開になる予想をしてもよかった。
ヴァーラのお母さんは、バーフバリのシヴドゥのお母さん役ローヒニ。いやほんと文句なしのザ・お母さん。これは大切にしなければならない。でも、こういうインド映画観ていてよく思うんだけど「お母さんが大事」っていう話、なんか多いような気がするよね…いやお母さんは大事よ?大事だけど…インド女子はどういう気分で観てるんだろうか。
そもそもヴァーラが自分のお母さんの話をジュリエットにしておけばよかったんじゃない?(もちろん自分の弱いところを大事な彼女に見せたくないとか色々あったかもしれんが)しなかったからこんなに面倒くさい話になったんじゃない?バカじゃないの?と考えれば、やはりヴァーラは「ジュリエットのバカな恋人」(というより所有格のかかり方を考えると「ジュリエット:バカな男の恋人」だろうか。いずれにしてもバカなのはヴァーラである)で間違いない。
この作品を見ていると、たぶん若い頃(まあ今でも私から見れば若いが)ナヴィーン・チャンドラの持ち味は"Boy next door"だったんだろうなと思う。基本的にはいい奴なんだけど、悪い友達がいればすんなり悪に染まっちゃいそうな、そんな危なっかしさもある近所の男の子。YouTubeで彼の演技を「ナチュラル」と評している海外のコメントを見かけたけど、ああ、わかるなあって気がする。何をしてても恰好よくて美しいトップスターも大好きだけど、カッコ悪かったり見苦しかったりする様子を(主役でも)さらけ出せちゃうナヴさんがとても愛おしいのだった。
ジュリエットを演じているニヴェータ・トーマスも、笑顔が可愛くてとても素敵だった。