【インド映画】アラヴィンダとヴィーラ
※2024/10/7 一部役名誤って記載していますがそのままにしています→修正しました(記憶違いコワイ…)
原題"Aravinda Sametha Veera Raghava"。2018年のテルグ語映画。
購入してずっと温めていたBlu-rayをようやく鑑賞。怖かったのだよ…MVとかで観るタラクさん("RRR"ビーム役のNTR Jr氏のことです)があまりにもカッコよくてこれはガチで夢女になってしまうのではないかと…しかもヒロインがプージャー・ヘグデだし、美しさで目がつぶれるんじゃないかと…
結果としてギリ大丈夫だった。タラクさんはカッコよくてダンスはしなやかで美しく、プージャー嬢は宝石のようにキラキラしていた。だけども。
あまりに話が重かった…そして知識のない私にはショッキングだった…
あとナヴィーン・チャンドラに気を取られていた。ゴメン。
※以下、内容・結末の重要な部分に触れています
この映画の重要な部分を占める「ファクショニズム」については、安宅直子氏の解説が大変勉強になる。
映画では少しは強調された部分もあるのだろうけど、もしかするとそれは単にアクションを劇画調に描いただけで、安宅さんの解説を読むと、現実のファクショニズムによってもたらされてきた害は映画で描かれるものよりさらに悲惨なのだろうとも思わされる。率直に言って、日本で生まれ育った私には、ちょっと理解しがたい、想像すらしがたいものがある。(やくざ同士の抗争とかそういうスケール感ではない。)ファクショニズムはおそらく昔は村落を守る役割もあったんだろうと思うのだけども、こんな共同体が現在まで存在しているなんて…戦国時代の豪族同士の争いのようだ…。
主人公のラーガヴァ(タラクさん)はこのファクショニストとされる一家の跡取り息子である。長年敵対するバシ・レッディ(ジャガパティ・バーブ)の一家に父と叔父を殺され、父と同じ修羅の道に足を踏み入れかけた彼が、家の若旦那としてではなく素の飾らない自分と向き合ってくれる友人(スニールとってもいい)、そしてファクショニズムを研究するアラヴィンダ(プージャー)と出会い、殺し合いの連鎖から抜け出す道を模索していく。(ストーリーはWikipediaの日本語版にほぼすべて記述されているので以下割愛)
話を進めていくのはもちろん主人公のラーガヴァなんだけど、彼を導いていく、また原動力になるのは女たちというのがよかった。ヒロインのアラヴィンダも聡明で自分では全く意識しないままにラーガヴァに新しい視点を与えていくし、物語の終盤で大きな鍵になるのはバシ・レッディの妻だった。南インドの映画、たまにそういうのあるよね。男だとどうにもならないものが、女に託されるような、そういう話。
意外なことに、二つの家のうち主人公のラーガヴァの家が率いるコンマッディ村よりも、彼らと敵対するナッラグディ村を率いる家長バシ・レッディ(ジャガパティさんの演技がとにかく凄い…妄執の塊というか、ファクショニズムの擬人化というか)の下にいる男たちの方が重層的に描かれている。ラーガヴァは理想的なヒーローで、人々を良い方向に導いていくリーダー的存在なのだが、彼に対して、どちらかというと凡庸な人間たちが迷い、間違いを犯し、そして決断していく様子を体現するのがナッラグディ村の男たちなのだと思う。その中の一人がバシ・レッディの息子バル・レッディ(ナヴィーン・チャンドラ)である。
さあ語るよ…感情に任せて…(ナヴィーン・チャンドラ演じる)バル・レッディを!
バル・レッディ、立ち位置としてはカリスマ権力者バシ・レッディの(あまり出来の良くない)息子である。賢明なヒーローである主人公のラーガヴァとは対照的な存在としての役割も担っているのでまあそういった描かれ方ではあるものの、ところどころで見える表情のゆらぎで、親の威を借るだけの男ではない顔が垣間見える。誰よりも父の恐ろしさを知っており、また、父が自分を全く信用していないことにも気づいている。おそらくそのことで傷ついてもいるが、その感情を表に出すほど無邪気ではない。彼は自分の存在意義を父親に証明する必要に迫られているのだ。
短絡的な男のようでいて、ラーガヴァとの対話から和解に至るシーンで、バルは「抗争が激化したきっかけ」をすぐ指摘し、ラーガヴァを問いただす(始めたのは自分の父親だと認識もしているので、決して物の見方が歪んでいるわけでもない)。彼は彼なりにそれまでの経緯を振り返り、考えるところがあったのだろう。彼は脅し半分のラーガヴァの話を聞いて、自分なりにメリットを見出す。まず自分の命が惜しい。無駄な殺生をせずに済み、こちらに損がないのであれば-しかも父親にそれなりの手土産ができるとなれば-悪い話ではない。ラーガヴァの提案を飲んだ直接的な理由は損得だったかもしれないが、人とはそういう判断を下すものだし、バルがとりわけ欲が深い利己的な男というわけでもなさそうだ(比べる相手がラーガヴァだと分が悪すぎる)。
バルが哀しいのは、父親が有利な立場で抗争を終結させることなどには欠片も興味がなく、もはや抗争を繰り返すことのみに執着する男になり果てていることを理解していなかったところであり、そんな父の怒りの前に萎縮して自分の決断を釈明できず、最後は情に訴えようとして敢えなく命を落とすところである。自分から離れようとする父の頬に必死で触れ、泣きながら助けを乞おうとするバルがとても切ない。
だけども、バルの死にざまを目の当たりにした男たちが結局はバシ・レッディを見限ることになるし、バシ・レッディの妻(「サラール」でプラバースの母を演じていたイーシュワリ・ラオ、すごく良かった)がラーガヴァを受け入れることになるのだから、彼の死が抗争を終わらせることにつながったとも言えるかもしれない。とってもかわいそうなんだけど…。
ナヴさんが(注:私はナヴィーン・チャンドラ氏をナヴさん/ナヴィさんと呼んでいます)いいんだよなあ…こういう欠点の多い男の役がうまいというか似合うというか。あの「ジガルタンダ・ダブルX」みたいに悪に振り切ったドSな役も最高にイケてるのだが、私、こういう役をやってるときのナヴさんも大好きかもしれん。もっと見せてください…
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