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三世代が同居する―湊かなえ『母性』 その1
※3800字程度と、長めです。何回かにわけて読んでいただくのもよいかと思います。
はじめに
湊かなえの『母性』は、2012年に新潮社から刊行された。祖母、母ルミ子、娘清佳(さやか)の三世代にわたる母と娘の物語である。清佳は妊娠しており、四世代目の誕生が示唆されて、小説は幕を閉じる。小説誕生の背景には、小説を生む母体となった、比喩的な意味での「母」の存在があるのではないか。本稿では、『母性』という小説にとって「母」といえるのは何なのか、を考えていきたい。
Ⅰ 『氷点』へのオマージュ
1 構成
作品は第一章から第六章、終章の、合わせて七章仕立てとなっている。第一章から第六章までは、各章とも「母性について」「母の手記」「娘の回想」からなっており、終章のみ、「母性について」からなっている。「母性について」は、成長し高校教師になった清佳による叙述となっている。
「母の手記」は、娘清佳の自殺未遂の直後に、ルミ子が神父へこれまでのいきさつを告白するという形式を取っている。つまり、女性が聖職者に自らの罪を告白するという形式である。これは、湊のデビュー作『告白』(2008、双葉社)の第一章「聖職者」の形式のバリエーションといえる。「聖職者」は、聖職者として信徒=生徒の告白を聞くべき女性教師が、生徒の前で自ら告白するという形式であった。告白の内容は、他殺された娘への愛ゆえに、自ら犯人を裁き殺そうとするというものだった。神に仕えるはずが、自ら神になろうとしているのであり、愛の方向は、母から幼い娘へ、だった。
一方、『母性』の「母の手記」では、六章を通して、主婦のルミ子が娘清佳を自殺へと追い込むまでを時系列に沿って語っている。彼女は自害した母への愛ゆえに、母を死に追いやった犯人の首に手をかけようとするが、犯人といえるのは自分の娘である。愛の方向は、成長した娘であるルミ子から亡き母へ、である。
『母性』は「母の手記」のみを読むと、デビュー作の焼き直しであり、同工異曲であるといえる。では「娘の回想」はどうか。「娘の回想」は、17歳で自殺する直前の清佳の回想と、自殺未遂直後の清佳の叙述からなっており、おおむね自殺に至るまでの人生を時系列に沿って回想するものとなっている。
清佳は17歳のとき、12年前の祖母の死にまつわる真実を知る。「箪笥の下敷きになって死んだ」と思っていた祖母が、実は「舌を噛ん」で自殺していたのである。火事の中、母ルミ子は一人だけ助けられるなら、娘の清佳ではなく祖母を助けようとしていたが、祖母は、自分ではなく清佳を助けさせるために、自ら死を選んだのだ。
清佳は、自分が母ルミ子の最愛の人である祖母を死に追いやった張本人であること、12年前に、自分が母にとってゆるしがたい存在となり、それ以来、ゆるしがたい存在であり続けたことを知るのだ。清佳は、真実を知った自分の首にルミ子が手をかけてくると、母の手によってではなく、自ら死を選ぼうとする。そして遺書をしたため、第六章の結末近くで、「ママ、赦してください―。」と記すのだ。
2 三十年後の自殺
自分は母にとってゆるしがたい存在である、という未知の真実を知ることで、17歳の少女がゆるしを乞う遺書をしたため、自殺を試みる小説といえば、三浦綾子の『氷点』(1965、朝日新聞社)がある。『氷点』は、朝日新聞社が懸賞小説を募集したときの入選作品であり、「朝日新聞」朝刊に1964年12月9日から1965年11月14日まで連載された。陽子が1月に自殺を試みたことを受けて、『氷点』という小説が連載されたと考えると、陽子の自殺は1964年の出来事ということになる。
2012年発表の『母性』では、清佳の自殺未遂の後、「父は姿を消」すが、その「十五年後になる三年前に、ふらりと帰って来」ている。小説発表時と小説中の現在がリンクしていると考えると、18年前に17歳だった清佳は、1977年生まれで、自殺を試みたのは1994年ということになる。『母性』は、『氷点』の三十年後の自殺ということができ、『氷点』へのオマージュとなっている。
湊は、『往復書簡』(2010、幻冬舎)収録の作品名を、『十年後の卒業文集』、『二十年後の宿題』、『十五年後の補習』としており、タイトルからも、何年後の出来事か、ということにこだわった作品作りをしていることがわかる。
湊はインタビューで、青年海外協力隊でトンガに行った際に、『氷点』を夢中になって読んだといっている(「作者の読書道 第113回」、「WEB本の雑誌」、2011・4 ・27更新)。
『境遇』(2011、双葉社)では、児童養護施設から里親に引き取られて育った「陽子」という女性が、実の父親が殺人事件の犯人ではないかという疑いをかけられる。疑いをかけたのは、児童養護施設という同じ「境遇」で育った友人で、新聞記者になった晴美だった。この疑いは最後には晴れる。
『物語の終わり』(2014、朝日新聞出版)では、語り手の一人である「綾子」が、高校二年生の時に『氷点』を夢中になって読み、大学生になってから、三浦綾子記念文学館を訪れる。
このように、インタビューからも、ほかの作品からも、湊が『氷点』に大きな影響を受けていることは間違いないことといえる。
ヒロインの自殺について、『氷点』と『母性』を比較してみよう。『氷点』では、遺書はラスト近くに置かれ、陽子は「殺人を犯」すかもしれないという「自分の中の罪の可能性」に気づき、自殺しようとする。陽子は7歳のときに、陽子は殺人犯の娘であるという真実を知った育ての母に、首に手をかけられる。『母性』では、遺書は第一章から第六章までの「娘の回想」のほぼ全てを占めており、清佳は、祖母が死ぬことで生き延びることができたという、自分自身が知らずに犯した罪を知り、自殺しようとする。清佳は、17歳で祖母の死の真実を知り、実の母に首に手をかけられる。
3 通奏低音としての「敵を愛せよ」
『氷点』へのオマージュになっているのは、17歳のヒロインがゆるしを乞う遺書をしたため、自殺を試みるという点だけではない。『氷点』は、辻口啓造が娘を殺した犯人の娘を引き取って育てるというものであり、イエスの「汝の敵を愛せよという言葉」は実行可能か、が重要なテーマとなっている。このテーマは明言されることはないものの、『母性』でも通奏低音のように流れている。
『氷点』で、育ての父・辻口啓造は、陽子を殺人犯の娘と知って引き取るが、陽子が幼いころ、触れようとはせず、愛敵の教えを実践することはできない。娘ルリ子に先立たれた養母・夏枝は、陽子が殺人犯の娘であると知ると、娘を殺された憎しみゆえ、敵の娘である養女の陽子をうとみ、学芸会の衣装を準備しない、給食費を渡さない、中学の卒業式の際、答辞を白紙にすり替える等の養子いじめをする。啓造は、台風で沈没する船で、外国人宣教師から救命具を譲られるが、のちに、宣教師が死んだことを知る。宣教師は十字架のイエスに倣って、自らの命を犠牲にして隣人愛を実践したが、彼の行動は啓造に深い印象を残す。
『母性』で、実母ルミ子は、「愛能う限り、娘を大切に育ててき」たと神父に告白する。しかし、母に先立たれたルミ子は、母を自殺に追いやった娘に対する憎しみを無意識のうちに抱え、敵ともいえる実の娘をうとみ、触れようとしない。給食費は渡すし、合唱発表会ではフリルの衿のついた大きなブラウスを着せており、第三者から見ても明らかな実子いじめこそはしないが。
祖母は台風のとき、燃える家で実の孫を助けるために舌を噛み、自殺している。祖母は自らの命を犠牲にして、孫への無償の愛を実践している、イエスのごとき存在である。清佳自身、祖母は「たった一人、わたしに『無償の愛』を注いでくれた人」だったと語っている。祖母は、背中に箪笥の重みがのしかかりながら死んでおり、身体的にも十字架を背負うイエスと酷似している。作中で日付が明らかにされているのは、台風の発生日である「十月二十四日」のみであり、祖母が死亡した日は、台風の発生日の翌日である。クリスマスの十二月二十五日ならぬ、「十月二十五日」なのである。十字架にかかって死ぬことで、全人類に無償の愛を示したイエスが、箪笥の重みを背負って死ぬことで、孫娘に無償の愛を示した祖母へとパロディ化されている。
祖母が死亡した日は、いうなれば、女性のイエスが誕生した瞬間であった。祖母は最期、娘のルミ子に無償の愛の実践を命じている。孫娘を「愛能う限り、大切に育て」よ、と。祖母の死の瞬間は、初代のイエスといえる祖母が、娘ルミ子に次代のイエスとしての役割を託した瞬間でもあった。が、ルミ子は、母への愛ゆえに、母から与えられたミッションを果たせない。愛する母を死に追いやったのはわが娘であり、いわば娘が敵となってしまったのである。母の最期の言葉「娘を愛せよ」は、「敵を愛せよ」という愛敵の教えとなってしまい、実践できないのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。この後、その2へ続く予定です。お時間の許す方は、お付き合いいただけると幸いです。
上記の文章は、大学の同人誌に掲載し、活字化済みです。無断転載はできませんので、ご承知おきください。