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元伊勢、高天原シリーズもいよいよ佳境へ
トップ写真 天岩戸別八倉比米神社拝殿
筋金入りの曖昧気質の原因
以前も書いたのですが、日本古代史の闇。
未だに邪馬台国論争は決着していません。
魏志など、外国の記録。
記紀他、日本の記録。
双方の文献に矛盾点が多い。
照らし合わそうとしても、
年代、人物名、地名他、
つじつまが合わない場面が多いから。
どちらかが正しいのか。
どちらかが嘘を書いているのか。
どちらも正しいのか。
どちらとも間違っているのか。
プロの学者先生が、長年研究しても
出せない結論。
私のような素人に解明できるわけはありません。
日本に残る最古の記録。
古事記、日本書紀。
作製した人が、
なんらかの意図で、
国の起こりに関することを明確に示さず、
あえて、うやむやにしたのかもしれません。
![](https://assets.st-note.com/img/1705477556144-wQ2qHZDTcV.jpg?width=1200)
隠さなければならない理由があったか。
それとも、ただなんとなくそうしたのか。
現代を生きる私たちには分かりませんが、
うやむやとあいまい。
外国人から理解しにくい日本人像。
記紀は、
現代も続く日本人の気質に、
大きな影響を残しているのかもしれませんね。
天岩戸別八倉比米神社
さて、いよいよ、
昨年末から続きで書いてきた、
元伊勢、高天原はどこかシリーズ。
一旦、締めさせていただこうと思います。
noteは続けますが。
悲願寺という寺もご紹介したかったのですが、
(卑弥呼が居た場所、卑弥呼の最初の塚説)
春が来るまで、道が通行止め。
取材に行けないので、
またいつかご紹介させていただくとして、
高天原、元伊勢シリーズの最後を飾る神社。
天岩戸別八倉比米神社。
(あめのいわとわけやぐらひめ)
徳島県の一之宮を調べると、
鳴門にある大麻比古神社が出て来ます。
![](https://assets.st-note.com/img/1705478118629-u4BUep4SAq.jpg?width=1200)
しかしながら、
この天岩戸別八倉比米神社。
徳島にある神社の中だけでなく、
全国的にみても、かなり位の高い神社です。
延喜式大社。
あまり表に出て来ないのが、
なんらかの意図を感じてしまうくらい。
最近はテレビ取材も入り、
バラエティ番組などで
観られた方もいるかもしれません。
卑弥呼と天照大御神は同一人物
神社についてご紹介する前に、
古代史阿波説についてお話しますと、
阿波説といってもいくつかの流派があります。
全体の主張が一致するわけでもないのですが、
邪馬台国の女王、卑弥呼。
邪馬壹国(やまとこく)
邪馬壱国(やまいちこく)
諸説あり。
高天原を統治した天照大御神。
実はこのお二方は同じ人物。(あえて人物)
えッ?
どういうこと?
そうなりますよね~。
つまり、
卑弥呼と天照大御神は呼び方違うだけで、
同一人物である。
というのが多くの阿波説なのです。
混乱した読者の皆さん。
それは当然のこと。
だって記録に残された年代が、
大きくかけ離れていますもんね。
卑弥呼は約1800年前の弥生時代頃。
天照大御神はというと、
神武天皇が即位されたのが約2680年前。
神武天皇の父がウガヤフキアエズ。
ウガヤフキアエズの父が山幸彦。
山幸彦の父が天孫降臨したニニギノミコト。
ニニギノミコトのおばあちゃんが天照大御神。
通説ではそういうことになっているので、
この年代の矛盾は、到底受け入れられない!
そうなりますよね。
私もそうでしたので、
まあ、こいつは頭がおかしい。
かわいそうなやつだ。
でも面白そうだから・・・
そんな感じで読んでいただけたら。
長生きだった初期の天皇
皆さんも、古代史の年代については、
思うところがおありかと思います。
初期の頃の天皇の寿命。
長すぎひんか!
今ならギネスに余裕で載るくらい長生き。
昔の天皇は霊力を兼ね備えていたから。
100年、200年くらいは生きられた。
いやいや、その頃の天皇は神様だから。
いや?
神様だったら死なないよな~?
私の頭の中はそんなことを考えていました。
そして結論的に、
ま、いいか!
考えんとこ。
そんな感じ。
皆さんは、この疑問。
どう処理してましたか?
うやむやであいまい。
でも、三種の神器は現存している。
これが日本古代史の面白さなのです。(笑)
![](https://assets.st-note.com/img/1705477598902-MrUQ8REZVo.jpg?width=1200)
古の天才が仕掛けた罠
年代だけでなく、
神様のお名前。
これが、一神につき、
いくつものお名前をお持ちです。
天照大御神様のお名前。
呼び名。
いったい、いくつあるのでしょうか?
この名前に対する認識の相違。
これも、古代史をあやふやにする原因。
誰が仕掛けたのか?
多くの人が言うように、
藤原不比等なのか?(ご先祖かも)
各地に残る伝承記録の矛盾も重なり。
まんまと、古の天才たちが仕掛けた罠に
はまりこんでしまった大人たち。
多くの人たちが、
ああでもない。こうでもない。
何百年も楽しんでいる。
特定の主張にどっぷりはまってしまうと、
客観的に自身を観察できなくなるので、
私のようなことを書いていると、
「ふざんけんな~!」
と、お怒りになる方もいるでしょう。
しかし、未だ続く論争絵図。
客観的に俯瞰すると、本当に楽しいのです。
それぞれの見解。
私にとっては全て新鮮。
この先、何年寿命があるかわかりませんが、
命尽きるまで、飽きることなく楽しめる。
日本古代史は最高の趣味だと思います。(笑)
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続きは次回へ
八倉比米神社については次回。
祀神は大日孁貴(おおひるめのむち)。
すなわち、天照大御神です。
詳しくは次回をお待ちくださいね。
価値観はそれぞれでしょうが、
多くの日本人に知ってほしい貴重な神社です。
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