国譲り神話の神々を祀るエリア 鹿島神宮の元社か
トップ写真は鹿島神宮
東国の要諦 鹿島神宮
note始めたころの投稿にて、
阿波へ行き着いた経緯について書いています。
房総半島に、
阿波から来た神様を祀っている神社が多いな~。
そう感じて、そうだ阿波へ行こう!
そんな流れです。
全国的にも有名な、
東国三社の一社である鹿島神宮。
全国の鹿島神社の総本社です。
御祭神は武甕槌命(タケミカヅチ)。
往古、
鹿島の地は蝦夷(えみし)平定の最前線基地。
国譲り交渉の際、高天原から派遣され、
出雲の建御名方神(タケミナカタ)と力比べをして勝った神様です。
戦いの神様を祀り、東国の守りの要の役割を担っていました。
今の時代の日本と違って、天皇に従属しない勢力が日本各地にありました。
当時は、現日本全地域を平定していた訳ではないのですね。
では、どこからタケミカヅチは分霊されて鹿島神宮が出来たのか。
通説で都があったとされる奈良でしょうか。
鹿島神宮も阿波から行ったのか
私は、東国三社から房総半島にかけての神社を巡っています。
房総半島を開拓したのは、
神武天皇の勅命を受けた天富命
(アメノトミノミコト)。
房総半島の複数神社由緒にも、
阿波からやって来たと記録されています。
また、北関東や東京エリアにも、天日鷲命(アメノヒワシ 阿波の神)を祀る神社が多いことから、鹿島神宮も阿波から分霊されたのではないかと思っています。今日は書きませんが香取神宮も、息栖神社も。
式内社 建布都神社
徳島県ある式内社。
建布都神社(タケフツジンジャ)。
タケフツカミ=タケミカヅチを祀神としています。
現在、建布都神社の論社は二社。
徳島県土成町と徳島県市場町に存在しています。
まずは、市場町にある建布都神社から参拝させていただきました。
のどかな農村集落の中にあります。
徳島の神社の多くがそうなのですが、
区画整理とか行われていない土地。
昔ながらの集落のままなので、
道はだいたい狭いです。
表鳥居をスルーして北側へ回ると、
車を停められるスペースがありました。
境内の敷地内には、
建布都古墳と書かれた古墳があります。
未調査古墳のため、年代は不明なのだとか。
ひょっとして、タケミカヅチの古墳?
夢が膨らみます。
なぜか えびす様も一緒
続いて、土成町にある建布都神社へ。
市場町の建布都神社よりも社殿が新しいので、
きれいな神社だな~という印象。
同時に西宮神社が祀られています。
これには,兵庫県西宮市民の家内はビックリ。
「なんで、ここに西宮神社があるの~」
混乱してました。(笑)
建布都神社内、西宮神社の祀神は事代主。
出雲から分霊されたとあります。
おそらく、ここでいう出雲は島根ではなく、
阿波なのだと思います。
近くに事代主を祀る式内社。
事代主神社があるので。
私が住む西宮にある西宮神社は蛭子様。
(ひるこ系えびす様)
阿波の西宮神社は事代主。
美保神社系(出雲)
両方共にえびすさんと呼ばれています。
結構、混乱してしまう人も多いでしょう。
またいつか、テーマとして取り上げますね。
神社の神紋は丸につる柏。
西宮市にある西宮神社も事代主系のえびす様も、神紋は同じか、
似ている柏紋が使われているようです。
と、言うことは・・・?
話戻して、
国譲り交渉にてタケミカヅチが交渉した相手の一人が事代主。
一説によると、呪いの柏手を打って、
ビューンと消えて隠れてしまった神様。
なんで同じ境内に居るのか?
仲良しになったのでしょうか?
誰か教えて👂?
周辺にある神社と古事記のストーリーが一致する
一方、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮。
それはそれは素晴らしく艶やかな神社です。
比べて、徳島にある建布都神社。
元社がここかも?
そう言われても、えッ!うそでしょ!
そんな感じにギャップあり過ぎるので要注意。(笑)
でも式内社としてタケミカヅチを祀る唯一の神社なのですよ。
事代主がタケミカヅチとの国譲り交渉を承諾して隠れた場所。
建布都神社の近くに、式内社 事代主神社が残っています。
タケミカヅチと力比べをして負けた神様。
タケミナカタは吉野川を挟んで対岸南側の
多祁御奈刀弥神社(タケミナトミ)に祀られています。
国譲りを了承したとはいえ、
納得しての国譲りでなかったことを考えると、
タケミカヅチは対岸から、
タケミナカタの動向を見張っていたのでしょうね。
最後に貴重な情報
阿波の建布都神社と事代主神社。
771年、奈良の春日大社と、
大神神社摂社である率川阿波神社へ勧請されています。
最後に、とても説得力ある文章なので、
そのまま引用させていただきます。
書籍 邪馬臺国は阿波から始まる
やまと研究会 166ページより。
『社伝、大神神社社史に、「事代主神が阿波に居ます時には、布都主神共々祀られていたが、奈良に春日大社が創建され、布都主神はそこに勧請される事になった。その折り、えびすさんも一緒に鳴門の海を渡り、この地まで同行してこられたが、布都主神が春日におさまり、事代主神は、率川阿波神社に祀られた。」』
通説では、日本最古の神社いわれる大神神社の社史に書かれている。
ということは、更に古い元はやはり阿波だった。
そういうことになるのでしょうか?
大神神社社史。
これが事実だとすれば、奈良の前の時代。
高天原も出雲も阿波であったということになるのかな~?
それにしても、すごい内容ですよね。
皆様はどう思われますか。
ほんまかな~?
お疑いの方は是非、
徳島の式内社を調べてみてください。
ほんと、目から鱗の古代史の世界が始まっちゃいますよ。(笑)
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