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国譲り神話の神々を祀るエリア 鹿島神宮の元社か

トップ写真は鹿島神宮



東国の要諦 鹿島神宮


note始めたころの投稿にて、
阿波へ行き着いた経緯について書いています。

房総半島に、
阿波から来た神様を祀っている神社が多いな~。
そう感じて、そうだ阿波へ行こう!
そんな流れです。

全国的にも有名な、
東国三社の一社である鹿島神宮。
全国の鹿島神社の総本社です。

御祭神は武甕槌命(タケミカヅチ)。
往古、
鹿島の地は蝦夷(えみし)平定の最前線基地。

国譲り交渉の際、高天原から派遣され、
出雲の建御名方神(タケミナカタ)と力比べをして勝った神様です。

戦いの神様を祀り、東国の守りの要の役割を担っていました。

鹿島神宮ご由緒 創建紀元前660年 ほんまかな?

今の時代の日本と違って、天皇に従属しない勢力が日本各地にありました。
当時は、現日本全地域を平定していた訳ではないのですね。

では、どこからタケミカヅチは分霊されて鹿島神宮が出来たのか。
通説で都があったとされる奈良でしょうか。

鹿島神宮も阿波から行ったのか


私は、東国三社から房総半島にかけての神社を巡っています。
房総半島を開拓したのは、
神武天皇の勅命を受けた天富命
(アメノトミノミコト)。
房総半島の複数神社由緒にも、
阿波からやって来たと記録されています。

房総半島 天富命を祀る遠見咲神社 お気に入りの神社です

また、北関東や東京エリアにも、天日鷲命(アメノヒワシ 阿波の神)を祀る神社が多いことから、鹿島神宮も阿波から分霊されたのではないかと思っています。今日は書きませんが香取神宮も、息栖神社も。

香取神宮


息栖神社

式内社 建布都神社

徳島県ある式内社。
建布都神社(タケフツジンジャ)。
タケフツカミ=タケミカヅチを祀神としています。
現在、建布都神社の論社は二社。
徳島県土成町と徳島県市場町に存在しています。

まずは、市場町にある建布都神社から参拝させていただきました。

土成町の建布都神社 正面から 狛犬怒ってるのかな?

のどかな農村集落の中にあります。
徳島の神社の多くがそうなのですが、
区画整理とか行われていない土地。
昔ながらの集落のままなので、
道はだいたい狭いです。

表鳥居をスルーして北側へ回ると、
車を停められるスペースがありました。

境内の敷地内には、
建布都古墳と書かれた古墳があります。
未調査古墳のため、年代は不明なのだとか。

古墳 古代の石棺か 大きな青石

ひょっとして、タケミカヅチの古墳?
夢が膨らみます。

なぜか えびす様も一緒

続いて、土成町にある建布都神社へ。
市場町の建布都神社よりも社殿が新しいので、
きれいな神社だな~という印象。

土成町の建布都神社 

同時に西宮神社が祀られています。
これには,兵庫県西宮市民の家内はビックリ。
「なんで、ここに西宮神社があるの~」
混乱してました。(笑)

篇額
建布都西宮神社となったと書いてます

建布都神社内、西宮神社の祀神は事代主。
出雲から分霊されたとあります。
おそらく、ここでいう出雲は島根ではなく、
阿波なのだと思います。
近くに事代主を祀る式内社。
事代主神社があるので。

私が住む西宮にある西宮神社は蛭子様。
(ひるこ系えびす様)

西宮市の西宮神社 十日戎 我が家のアマテラス?と


阿波の西宮神社は事代主。
美保神社系(出雲)

両方共にえびすさんと呼ばれています。
結構、混乱してしまう人も多いでしょう。
またいつか、テーマとして取り上げますね。

神社の神紋は丸につる柏。
西宮市にある西宮神社も事代主系のえびす様も、神紋は同じか、
似ている柏紋が使われているようです。
と、言うことは・・・?

話戻して、
国譲り交渉にてタケミカヅチが交渉した相手の一人が事代主。

一説によると、呪いの柏手を打って、
ビューンと消えて隠れてしまった神様。
なんで同じ境内に居るのか?
仲良しになったのでしょうか?
誰か教えて👂?

周辺にある神社と古事記のストーリーが一致する


一方、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮。
それはそれは素晴らしく艶やかな神社です。

鹿島神宮 ご本殿 艶やか
鹿島神宮 御手洗 みそぎの池


比べて、徳島にある建布都神社。
元社がここかも?
そう言われても、えッ!うそでしょ!
そんな感じにギャップあり過ぎるので要注意。(笑)

誰の古墳なのだろうか
市場町 建布都神社 古墳 地味です(笑)

でも式内社としてタケミカヅチを祀る唯一の神社なのですよ。


事代主がタケミカヅチとの国譲り交渉を承諾して隠れた場所。
建布都神社の近くに、式内社 事代主神社が残っています。

阿波の事代主神社 神田だったであろう田にソーラーパネル 似合わんな

タケミカヅチと力比べをして負けた神様。
タケミナカタは吉野川を挟んで対岸南側の
多祁御奈刀弥神社(タケミナトミ)に祀られています。
国譲りを了承したとはいえ、
納得しての国譲りでなかったことを考えると、
タケミカヅチは対岸から、
タケミナカタの動向を見張っていたのでしょうね。

最後に貴重な情報


阿波の建布都神社と事代主神社。
771年、奈良の春日大社と、
大神神社摂社である率川阿波神社へ勧請されています。

最後に、とても説得力ある文章なので、
そのまま引用させていただきます。

書籍 邪馬臺国は阿波から始まる 
やまと研究会 166ページより。

『社伝、大神神社社史に、「事代主神が阿波に居ます時には、布都主神共々祀られていたが、奈良に春日大社が創建され、布都主神はそこに勧請される事になった。その折り、えびすさんも一緒に鳴門の海を渡り、この地まで同行してこられたが、布都主神が春日におさまり、事代主神は、率川阿波神社に祀られた。」』

春日大社
大神神社ご神体 三輪山

通説では、日本最古の神社いわれる大神神社の社史に書かれている。
ということは、更に古い元はやはり阿波だった。
そういうことになるのでしょうか?
大神神社社史。
これが事実だとすれば、奈良の前の時代。
高天原も出雲も阿波であったということになるのかな~?
それにしても、すごい内容ですよね。

皆様はどう思われますか。

ほんまかな~?
お疑いの方は是非、
徳島の式内社を調べてみてください。
ほんと、目から鱗の古代史の世界が始まっちゃいますよ。(笑)

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