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人生のソロドライブ、特訓中


私は、自分という人間の特性を理解して取り扱えていなかったなあ。と、つくづく思う。

人間一人は、乗り物みたいなもので、人生は自分自身が、自分という乗り物の運転手となって操縦していくものなんじゃないだろうか。

ある人は軽自動車で、小回りがきいて細い道もスイスイ行ける。
またある人は、スタッドレスタイヤのついた車で、雪道が大得意。
またある人は飛行機で、いろんな場所を飛び回りながらいろんな人に出会うことに喜びを感じる。


自分がどの乗り物に該当するかは、自分自身で考えて見つけないといけない。
その乗り物をいかに乗りこなして、人生のステージごとに目的地を見つけながら、時には山だったり、泥道だったり、細い橋だったり、いろんな道がある中で、どのルートを選ぶかも、前に進むか進まないかも自由。
サービスエリアでずっと休んでいてもokay.
だけど給油という名のエネルギーチャージは必要で、けどガソリンの種類も、給油の頻度だって、乗り物によって全然違う。
そんな感じで、自分の行きたい道を開拓していく、そんなものなんじゃないかな。と思う。

なぜそんなことを考えたかというと、
私自身が、自分の乗り物がなんなのか、
つまり自分の特性がなんなのかをわかっていない状態で、飛行機やら、車やら、ヨットやら乗りこなしている友達やまわりの友達にひたすら並走しようと、ついていこうとしてたから。

そう思ったら、燃費ギレしてしんどくなりまくっていたのも、違う乗り物なのに勝手に比べて劣等感を感じていたのも納得がいく。それぞれの乗り方も違えば、活躍できる場所も違う。目的だって、全然違う。
生まれながらに高級車の友達を羨ましくなった時もあったけど、高級車だからといってどんな道でも走れるわけじゃない。

それぞれ、自分の乗り物のプロドライバーになれるかどうかが、納得した人生を歩める鍵なんじゃないだろうか。

で、私はなんの乗り物なんだろう?
正直まだわからない。
だってつい最近まで、違う乗り物の友達全員に適合させようとしていたから。


だけど、現時点では、割と席数が少ない乗り物なのかな、と思う。
というのは、私自身、人に寄り添うことを美徳だと思ってとにかくいい人として生きてきたからだ。

自分の乗り物に備わっている席数はおそらく運転席も含めて2席くらいだろう。後部座席があるかどうかもわからない。
なのに、私は自分が大型バスか、飛行機か何かと勘違いして、いろんな人の悩みを自分ごとのように抱えながらずーっと走ってきた。休憩することは悪いことだと思ってた。
おまけにその状態で他の乗り物と並走までしていた。たまには違う乗り物用のガソリンを給油していたこともあった。


おかげで年末にガスガス大爆発を起こした。
今現在も修理中だが、今は1人でソロドライブをしている。いや、ソロドライブができるように準備をしながらの、試運転中だ。

自己肯定感の高さが重要視されてきている現在、「自己受容」「自分を認める」ということが、大事だっていろんな人が言っていた。(急に他人事)

自分を認めるってなんなんだろう?
私はずっとそれをできている側の人間だと思ってた。

だけど、実際はできていなくて、いろんなところでいい顔をし続けた結果、自分が誰なのかわからなくなってしまった。

もしそんな人が、他にもいたら、ソロドライブ、なかなかおすすめです。
具体的にいうと、最近は友達に会うことを意識的にやめています。自分が一緒にいて少しでも無理しないといけない友達とは、向こうが誘ってきてくれても、何かしら理由をつけて合いません。
(よく考えてみたら、友達全員に対して何かしら自分を作っていたので、誰にも会わなくなりました笑 まあそれでもいいんです)(22歳、本格的にぼっちです)

もちろん孤独に感じることもあるけれど、時間もお金も自分のために使うことができるし、なにより自分のことだけを考えることができるのですから。

自分のことを考えるキャパができて、向き合うことが徐々にできてきた最近は、友達と大学であってたまたま話すことがあっても、すごく客観的な視点を持って接することができているなあと感じます。
家族、特に母のことも、一歩引いて状況を観察できるようになりました。

だからといって、「自分第一」「セルフラブ」にまだまだ慣れていないので、「それは本当に自分が言いたいこと?」「本当に自分がしたいこと?」って常に問いかけないといけないですが。

それでも、なんとか本当の"My way"を見つけられてきたような、気がしてます。

あーードライブ練習、がんばろっと


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