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翻訳の仕事:OJTで磨いたスキル(英語翻訳者 バーナード・ファーレルさん:その4)

日本語習得に役立ったもの

いちばん日本語が身につくきっかけになったのは、テレビです。

テレビって、毎日見るでしょう? テレビを見ていると、毎日2、3回ほど同じようなニュースを言っているので、単語はあっというまに覚えられる。

昔、とても人気があった萩本欽一のバラエティ番組がありました。毎週その番組を見ると、いくつかコーナーがあって同じような内容で同じようなことをやっているので、少しずつ自然に言葉を覚えていた。

英語の授業といっしょで、同じことを少しずつ繰り返すわけだけれど、楽しいのがよかったね。

「教科書で漢字やひらがなは勉強したけれど、ほとんどできなくて、
上達のきっかけは翻訳の仕事です」

F:日本語を聞くのはテレビで身につくとして、読み書きはどうされましたか?

昔からあった教科書で漢字やひらがなは勉強したけれど、ほとんどできなくて、いちばん大きなきっかけはFACILの翻訳の仕事です。
それがなければ、今も日本語を読めないと思います。

日本語を読むのは難しいし、読まなくても生活はできるから、それまでは日本語を読もうと思っていなかった。英文もそんなに上手に読めないけど(笑)。1995年の阪神・淡路大震災以降、特に神戸市や兵庫県の情報を多くの住民に伝えるためにFACILから依頼されて、翻訳を始めました。

今よりも日本語が読めなかったので大変だったし無謀だったけれど、FACILから依頼をいただく内容なら何とか読めた。でも、日本の小説などはまったく理解できません。

ファッションに関する翻訳に悪戦苦闘

今でも書くことはできなくて、小学校1、2年生ぐらいの文章が書けない。
たまに、FACILに日本語でメールを送るのも自信がないから、妻に「ちょっと見て」と言うことがあります。

F:FACILからは日本語のメールで翻訳を依頼しています。あれは、いつも同じことを書いているから読んでいただきやすいのでしょうか。

だいたい同じだからね。もちろん、翻訳の内容はばらばらで、とんでもなく種類があって「同じ翻訳者が、こんなこともするの?」とは思います(笑)。プロの翻訳者は、だいたいこの分野というのがあるでしょう? 

でもFACILの翻訳は、行政や学校のこととか、個人の出生証明書とか、この前はファッションのことまで。翻訳ではなくて英語のチェックだったけれど、あれは本当に苦労したよ。

なんで70歳のおっさんが、20代30代の若い女性のファッションのことを、と(笑)。

F:ちなみに、どのようにチェックされたのでしょう。ファッションの表現など調べものをされたのですよね。

わからないものはインターネットで調べたけれど、半分以上は英語じゃなかったよ。フランス語やイタリア語もあった。
それに、雰囲気を表す言葉がほとんどだったから大変でした。

日本には40年以上住んでいるけれど、日本人の感覚はまだ身についていない。わかりはしても、日本の感覚では話せない。

「~させていただきます」なんて、なぜ言うのか? そういう表現が、頭に浮かんでこない。

単純に「~します」と言えばいいのに、なぜそんなことを言う必要があるのかと思ってしまいます。

「わかりはしても日本の感覚では話せない。想像力は非常に大切」


翻訳に想像力は不可欠

F:最初に翻訳した仕事を覚えていますか?

たぶん震災直後のことで、行政から市民への情報です。

今もそうですが、日本語と英語の間で困ることがある。その時は被災者のための住宅、仮設住宅のあとに引っ越すところを表す言葉に困った。

「復興住宅」だったら、まだわかるんですよ。「受皿住宅」ってわかる? 被災者を受け入れるための公営住宅ですが、いきなり「受皿住宅」とだけ言われても、何のことかわからないよ。

特に行政が、プロジェクトとか何かを立ち上げるようなときには抽象的な表現が多くて、何が言いたいかわかりにくい。

また、阪神・淡路大震災後に日本でよく使うようになった言葉といえば「まちづくり」。
この言葉には本当に悩まされた。「まちづくり」は、人によって意味が変わる。

都市計画でもある。場合によっては、住民のコミュニティづくり。それぞれ別の言葉を使ったらいいのに、そうせずに「まちづくり」と言うので、何の話をしているのかわからない。

行政が自分たちの情報を、もうちょっと住民にわかる言葉にしていたら、もっと翻訳は楽だったと思います。

F:できあがった英訳を見てから「そういう意味だったのか」と日本語原稿よりわかるときがあります。

翻訳者も苦労してるよ(笑)。想像をしないと。想像力がないと翻訳はできません。想像力が非常に大切。

多言語センターFACILとの出会い

まず、たかとりコミュニティセンターのFMわぃわぃとの出会いがありました。

神戸市長田区のコミュニティ放送局「FMわぃわぃ」で
英語番組「Sound Waves」のパーソナリティを務めていたころ

FMわぃわぃの金千秋さんと小学校のPTAをやったことがきっかけです。金さんの息子とうちの息子が同級生だった。

金さんはFMわぃわぃでいろんな活動をしていて、「Sound Waves」という英語番組を担当する人が急に必要になった。金さんは小学校のPTAのときから私のことを知っていたから、その番組をちょっとやってくれないかと言われました。最初は「英語が話せれば誰でもラジオ番組ができるわけではない」と断ったけれど、「困ってるから、ちょっとやってよ」と。それが、たかとりコミュニティセンターとのつながりの始まり。

FACILが翻訳のサービスを始めて日本語から英語への翻訳が必要になり、同じたかとりコミュニティセンターの中にあるFMわぃわぃにいたものだから「ちょっとやってくれないか」と言われました。「できるかどうかはわからないけど、ちょっとやってみる」という感じですね。

あまり日本語が読めなかったのですが、訳さないといけない。
どういう意味かと妻に聞いたり、自分でも必死に読もうとがんばりました。

「ラジオDJでも翻訳でも、できるかどうかはわからないけど、やってみよう。
そう思って、たかとりコミュニティセンターでの活動が始まりました」



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