見出し画像

コミュニティ翻訳・通訳と私の「在日ベトナム語」(ベトナム語 翻訳・通訳者 ハー・ティ・タン・ガさん:その7)

たたき上げで翻訳・通訳をしてきた今だから、学校で学んでみたい

F:コミュニティ通訳という言葉がありますが、ガさんの通訳はまさにそれだと思います。
通訳学校などでは、通訳者は双方の発言内容を「足さない・引かない」ことを訓練します。

そうすると、患者自身が聞けないときに、ガさんが「採血の後で、また来ますか?」と病院の人に勝手に尋ねるのはいけないことになってしまうのですが、患者さんが病気や治療について知り、病気を治す目的を達成するには、その手助けが必要なわけですよね。

そういうコミュニケーション援助ができるコミュニティ通訳者を育てる必要性を、在住外国人支援に関わる人たちはずっと訴えています。

でも、通訳の学校があるなら行ってみたいと思うよ。
いろいろな言語の通訳や翻訳の学校があればいいね。
アプリで翻訳したベトナム語なんかを見ると、むちゃくちゃなので笑ってしまう。

学校に行って、自分がやっていることが正しいのか、確認したいから。

自分なりの翻訳スタイルを確立した今だからこそ翻訳学校で勉強してみたいというガさん。
「自分のやり方が正しいのかどうかを知りたいんです」

F:ガさんのキャリアがあれば、先生になって教えられるのではありませんか。

私なりのやり方なので、正しいかどうかわからないから教えられないと思う。私は翻訳するとき、日本語の原稿が4行なら、ベトナム語でもなるべく4行に収まるようにするんです。

ほかの人の翻訳を見ると、ベトナム語のほうが元の日本語よりかなり長いことがよくあります。

「こういうことが書いてある」というのを伝えればいいのに、使われている単語を全部ひとつずつ、そのまま訳しているからです。

私は1つの文書を翻訳したら、日本語の原稿は隠してベトナム語だけ読んでも意味がわかるかどうか確認したうえで、なるべく長さも合わせるようにします。

そうやって修正しないと、読む人が何回も同じ文書を読まなくてはいけない、混乱しやすいベトナム語になると思うからです。

そういうことも含めて、自分のやり方が合っているのか確認してみたいですね。

F:はじめから、そういうやり方だったのですか。

経験を積んで、そうなりました。
最初は、そのまま訳していたので、長い文章になりました。
でも、それでは自分が訳したベトナム語を読んでもよくわからなかった。

原稿にも、すっと訳せる訳しやすい書き方をする人と、なぜか訳しにくい書き方の人がいるね。なんでだろう。

翻訳とは関係なく、日本語として読みやすい文章ってあるでしょう。

それもあるだろうし、元々ベトナム語に翻訳するために、訳しやすい書き方をしている原稿なのかもしれない。

地域と世代ごとに違うベトナム語の中で、翻訳・通訳で私が使うのは「在日ベトナム語」

F:ベトナム語翻訳で難しいと思うのは、書き言葉であっても、地域(南部、中部、北部)や年代によって表現がかなり違うことです。
現在のベトナムで広く使われているベトナム語と、ガさんがベトナムにいたころのベトナム語は、やはり違うのでしょうか。

違いますね。孫と話していると、おばあちゃんの言葉がわからないと言われます。逆に新しいベトナム語もあります。
日本語でもそうじゃないですか? 娘のメールやLINEを見ても、わからない言葉がある。

若い世代の言葉と私の年代の言葉は違うし、日本にいる同年代の間でも境遇によって違いがある。
私の言葉はベトナム語というより「在日ベトナム語」というほうが、近いのかもしれない。
私のベトナム語は、ベトナムを離れた19歳の時の言語ではあるけれど、私が今使っている言葉は少し変わってきたと思うし、日本に来てからの影響もあると思います。

ただ、1つの文書の中で北部の言葉になったり南部の言葉になったりしないよう、統一性は必要です。

同じ言葉でも、南北でちょっと違うことがあります。
例えば「カムオン」(ありがとう。「感恩」が由来)という言葉があって、書いてあれば意味は通じるけれど、細かいところは北と南で違う(ハノイなどの北部ではCảm ơn、ホーチミンなどの南部はCán ơn)。

発音が違うから、文字のヒゲ(声調記号)の付け方、綴りが違ってくるのです。

「世代や境遇で言葉が違うことはよくあること。
私の言葉はベトナム語でも、「在日ベトナム語」なのかもしれない」

F:どちらの言葉に合わせたらいいか、難しいですね。
顧客のベトナム語ネイティブチェッカーから「これは違う」「こんな言葉はない」とたくさん修正を入れられて、翻訳が返ってきたことがありました。チェックしたのは北部から最近日本に来た人。
翻訳者に確認したら「この内容なら読者の大半は南部出身の人のはず、これでいい」と言われました。

「訳したのは北部(南部)の人だな」というのは、ベトナム人の読者なら見ればわかることだから、私はそこまで細かく指摘することは、ちょっと間違っていると思うけれど、若い人はわからないですよ。

F:若い人だと、自分がベトナムで受けた教育から得た知識の範囲だけで「こういう記号(声調記号、母音記号)の綴りは見たことない」「それは間違い」と言ってしまうようです。

問題は日本人サイドにもあります。依頼者はだいたい日本人ですから。

日本語にもいろいろな変化やバリエーションがあるように、翻訳も1つだけが正解ではない、言語はそういうものだということを、もっと世の中にわかってもらわないといけないと、最近よく思います。

ベトナム語だけでなく、フィリピンのタガログ語や中国語など他の言語でも、情報の受け取り手や翻訳者の多様性を「間違いだ」と言われてしまう問題があります。

出身地や年代が違う全員が満足して丸をつける翻訳というのは、できないと思うよ。
それに最近の若者の文章だと、年配の私たちは理解や翻訳ができないと思う。難しいことですね。

読者に意味が伝わり、依頼者に事情を説明できれば、いいんじゃないかな。それしかできないでしょう。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?