宮沢賢治の「星めぐりの歌」がレコードになっていたら…?そんな夢を見て作りあげたレコード風ポーチ
音楽が大好きで、レコード収集を趣味としていた宮沢賢治。彼が作詞・作曲した「星めぐりの歌」が、賢治の生きた時代にレコードになっていたら?
そんなもしものお話を夢見て、レトロなレコード風のポーチを作りました。
こんにちは! 歴史と読書が好きな、フェリシモ「ミュージアム部」プランナー・ささのはです。
みなさまは、近現代日本を代表する童話作家・宮沢賢治をご存じでしょうか?
宮沢賢治は、代表作である『銀河鉄道の夜』をはじめとする、数々の著作に登場する美しい星々の描写からもうかがえるように星が大好きで、小さいころから屋根にのぼって星を観察していたそうです。
多趣味だった宮沢賢治、星に限らず好きになったものごとに非常に熱心に情熱を注ぐ一面を持っていたようで……。
例えば「石っこ賢さん」とあだ名がつくほど石の収集に熱中し、ハンマーを持って山野へ向かっては収集活動にいそしんだり、
レコード収集にド嵌りして、彼の地元のショップでレコードを買いあさった結果、レコード会社本社から「ローカルなお店なのに売り上げが高くてイイネ!」と、賢治の行きつけの店舗が表彰されるなんてこともありました。
ちなみにレコードを非常に大切に扱っていた賢治は、音盤を傷つけやすい金属針ではなくより柔らかい竹針を愛用していたと言われているのですが、その竹針を炒って音質のよい新・竹針を発明するなど、自家研究にも余念がなかったそうです。
そんな音楽好きの賢治が、作詞・作曲したのが「星めぐりの歌」。
彼の著作である『双子の星』などにも登場する歌で、「あかいめだまのさそり~♪」から始まる歌詞を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、名声を博している現代と異なり、生前は作家として無名だった宮沢賢治。彼の綴った詩や童話と同じく「星めぐりの歌」も、残念ながら彼が生きているうちに世に広く出ることはありませんでした。
でももし、本当に、彼が作詞・作曲した「星めぐりの歌」が賢治の生きた時代にレコードになっていたら……?
そんな「もしものお話」を夢見たプランナーが作り上げた、レトロなレコード風のポーチをご紹介します。
ポーチをデザインするにあたり、とことんレトロ調にこだわりました。
レコード会社の名前(通称レーベル)は、賢治が出身地・岩手県を称した「IHATOV」に設定。
また、賢治の存命中~没後しばらくの間は「宮沢」ではなく正字体である「宮澤」が一般的に使用されていたことから、作曲・作詞者名は「宮澤賢治」としています。
レトロかわいいレコードポーチ、約4.5cmのまちのおかげで、しっかりと口を開くことができるんです!ものを出し入れするときもスムーズですね◎
賢治が生前に刊行した心象スケッチ『春と修羅』でも
とあるように、賢治を象徴する色は青色だと個人的には思っているのですが……みなさまいかがでしょうか?
ポーチ側面には「星めぐりの歌」にも登場する星々がずらり!
ということで、左から順にりゅう座、こいぬ座、わし座、さそり座をデザインしています。
ちなみに「ひかりのへびの とぐろ。」は、果たして「へびつかい座の蛇部分」なのか、「りゅう座」なのか、はたまた……と悩んだ結果、今回はよりとぐろを巻いたように見える「りゅう座」を採用しました。
収納部にはこのくらい入ります!大きめのコスメやメイク道具もしっかり収納できるので、いろんな場面で活躍しそうです。
賢治が紡ぎだした旋律にのった、星々の世界。
日常の中で、彼の目に映ったうつくしい情景に思いを馳せる……そんな想像の切符となるレコード風ポーチを、どうぞお楽しみください。
~もっと作家・作品に触れたい方へ~
実際にプランナーが訪れた、
作家ゆかりのミュージアムその他の紹介コーナー
・宮沢賢治記念館(岩手・花巻)
作家が残した作品や遺品だけではなく、彼に影響を与えた物事(科学、哲学、宗教など)も満遍なく展示している記念館。
圧倒的な情報量の展示から伝わる賢治の作品世界や人物像を読み解くためにも、じっくりと時間をとって再訪したいミュージアムです。
・宮沢賢治童話村(岩手・花巻)
賢治が綴った童話世界を楽しく学ぶことができる、体験型学習施設。彼に見えていた世界を今までにない新しい形で感じることができます!
・茶寮かだん(岩手・花巻)
雰囲気のある店内でおいしいご飯やデザートをいただけるカフェ。敷地内には、賢治が生涯最後に造園し、今もその姿を残していると伝わる花壇があります!
・賢治自耕の地・下ノ畑(岩手・花巻)
一部の教科書にも載っている、「羅須地人協会」の黒板に書かれた「下ノ畑ニ居リマス 賢治」の一文を目にしたことがある方も多いかもしれません。賢治が本当の百姓になることを志し、日々開墾・農耕にはげんだ土地に「下ノ畑」付近であることを示す指標が立っていました。
・わんこそば やぶ屋 花巻総本店(岩手・花巻)
宮沢賢治の生前行きつけのお店で、賢治は親しみをこめて「BUSH(英語で藪の意味)」と呼んでいたそうな。賢治はいつも天ぷら蕎麦とサイダーを頼んでいたようで、彼が言う「一杯やろうよ」とは「やぶやでサイダー飲まない?」の意だったとか。
・もりおか啄木・賢治青春館(岩手・盛岡)
賢治と同じく岩手県出身の詩人・石川啄木のことも一緒に知ることができる展示施設。プランナーが訪問した時は彼らの年表や、当時の新聞記事の画像などが展示されており、明治~昭和初期の空気感を味わいながら学ぶことができました。
・光原社(岩手・盛岡)
賢治が生前に出版した唯一の童話集『注文の多い料理店』を作った出版社。光原社という社名も、賢治が名付けたのだとか。
現在は出版事業からは業態を変化させ、全国各地の工芸品を取り扱うショップやクラシカルな喫茶店の経営、また賢治にまつわる展示を一部の建物で行っています。
・純米吟醸酒 銀河鉄道の夜
作品を想起させる食べ物は思わず手に取ってしまいますね!
おいしくいただきました^^
このほかにも浄土ヶ浜の詩碑(岩手・宮古)、雨ニモマケズ詩碑(岩手・花巻)、『春と修羅』印刷所跡(岩手・花巻)、献花がたえない宮沢家墓所(岩手・花巻)など、岩手を歩くだけでたくさんの賢治ゆかりの地に巡り合えました。岩手を愛した賢治は、今も岩手に愛され続けています。
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