どう死ぬかを考えさせる名作『渚にて』
あなたはネヴィル・シュートを知っているか
ピンときたそこのあなたはそう、おそらくパンジャンドラムを知っているだろう。博識な人であればそれよりも小説家として認識しているかもしれないが、現在のネット民としては『パンジャンドラムの名付け親』として認識されているのではないか。かくいう私も、毎年P1グランプリを楽しみにしている。
そして、かつてP1グランプリの賞品にもなったことがあるネヴィル・シュート作『渚にて』は気になっていた。先日ふと思い立ち、読んでみたのだが、予想以上に面白かったので、感想をまとめてみる。
以下はネタバレを含んでいるので、未読の方はまずは読んでみてほしい。
舞台背景について
イギリスではなく、オーストラリアの話
前情報なしで読み始めたので、イギリスの話なのかと思いきや舞台はオーストラリア。後でネヴィル・シュートの経歴を調べたところ、晩年はオーストラリアに住んでいたとのこと。なるほど。
読んでいて「オーストラリア=イギリス」ということに今更気づいた。南半球は北半球と季節が逆であると知識ではあったが、実際に南半球の生活に思いを馳せたことは今までなかった気がする。月に対する季節感覚が最後までつかめず、別の世界の話のようだった。
電気自動車やネットが存在しない世界
近未来の話であるはずだが、石油(車)がなくなると皆は馬車や牛車を使い始める。電車に乗る時間は予め話し合って決めておく。通信手段は電話(交換手あり)かラジオか無線か手紙。音楽はレコード。そのアナログさが微笑ましく、無駄な悲壮感を煽ることもなく、人々が日々の暮らしを続けることができる要因だったのかも。
ありそうな人類滅亡のシナリオ
今のきな臭い世界情勢的に、いつ核戦争が起こっても不思議ではない。いざ、テロリストや小国が大国を偽装して核を打ち込んだら、同じ報復合戦が起きるのでは。そして歯止めが効かずに北半球が壊滅するのは十分あり得る気がした。現代に同じ状況になったとしたら、人々は宇宙に逃げるだろうか?宇宙に行っても結局長くは生きられない。南極に住もうとするか?
使用された核兵器で「コバルト爆弾」という聞きなれない兵器が出てきた。コバルトという金属元素は原子爆弾または水素爆弾に使われると、半減期が約5年と長い放射性物質として世界を長い間放射能まみれにしてしまう兵器として描かれている。実際は半減期が長いために自国も放射能の被害を受けるかもしれないので実用化はされなかった兵器らしい。
放射線に侵される人々の実際の症状とは違うところもあるらしいが、SF小説として十分リアリティを感じることができた。
登場人物について
母国を想う艦長、ドワイト・タワーズ
まさかの33歳。物腰からもっとおっさんだと思っていた・・・いや、当時の33歳は今の33歳よりしっかりしていたのかもしれない。
艦長として、アメリカ軍のトップとして、理性的に振る舞おうとしていたが、家族の元に帰るとずっと言い続けていたのがもう精神に異常をきたしていた証拠だと想う。人柄がめっちゃ好き。
酒と愛に生きた、モイラ・デイヴィッドスン
前半の魔性の女感すごく好き。ブランデー飲みすぎて酒テロすぎた。でも後半はほぼお酒やめて真面目に勉強してドワイトに恥じない人間になろうとしていたと思う。当のドワイトが壊れてたから一人で死ぬことになってしまったけど、、。
モイラがいるだけで安心感がすごかった。最後の一人ドライブですらも。
海と家族を愛する海軍士官、ピーター・ホームズ
なんだかんだ一番感情移入できたかも。冒頭の車輪を二つ小脇に抱えている様子はパンジャンドラムすぎて個人的にかなり面白かった。
妻と子供から逃避する様子もあったけど、実際はちゃんと二人を愛している。綺麗事じゃない等身大の人間として描かれていた。もっと軍の中で采配を振るっているところを見たかった。
妻にもし自分が帰ってこなかったら、を伝えるシーンがこの小説の一番の見せ場なのではないかと思う。
幸せな家庭を夢見た、メアリ・ホームズ
メアリの描写がとてもリアルだった。怖いことは見ずに、自分の見たいものだけを見る。そんなメアリがいたから、ピーターは最後まで冷静でいられたのかもしれない。
メアリがモイラに助けて!って言うシーン、泣いてしまった。この終わりになることは赤ちゃんを産むときには予期できていたのではないかと思うのでが、野暮だろうか。
フェラーリを愛した科学士官、ジョン・オズボーン
フェラーリで事故らなくて本当によかったよ。一番満足して死んでいったかな。科学者としてはパッとしなかったけど、後半化けたキャラだった。趣味に捧げる生涯も家族を想うのと同じくらい心の充足に繋がるなと感じた。
母親と愛犬のシーンは泣いてしまったし、この作品の男性陣ちゃんとしすぎだ、、。
ポートワインを愛した老紳士、ダグラス・フラウド
モイラと同じく酒テロがひどい。最後はアル中になっててさらに辛い。でも気持ちはめちゃくちゃわかる!
アル中で死ぬのが先か、放射能で死ぬのが先かヒヤヒヤした。最後のアルコールが放射線に強いかも説は不謹慎ながら笑ってしまった。よし、お酒飲もう。
人間には仕事と同じくらいプライベートも大事だと思わされた。みんな死ぬ間際まで仕事をするが、死ぬときはプライベートな場所、自分の居場所だと思える場所で死ぬのだ。
男性同士の理性的な会話、男女の砕けた会話、女同士の感情の会話がうまく表現されていて、どこを切り取っても会話劇を楽しめる。
人生にはオンになれる瞬間とオフになれる瞬間があって、どちらも大事だ。
キャラ付け、文体がよく、スルッと物語に入り込める。自然に切り替わる一人称の描写が心地よかった。最後の1/4はもう進まないで…と思いながら一気読みしてしまった。少女終末旅行とか、終末のフールとか、終末系の作品が好きなんだなぁとしみじみ思った。