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誰かの大切な娘や母や妻ではなく
「あなたの娘や母や妻が性風俗で働いていたら許せますか?」
「あなたの娘や母や妻が買春されたら許せますか?」
時々そういう意見を目にする。
たいてい性風俗や性売買に批判的な側からの問いかけで、「許せるわけないでしょう?」という反語に続いていく。
その意見は一見、じつに正当で、道理にかなっており、公平中立であるように見える。
あなたの大切なお嫁さんやお母さんや娘さんが、性的搾取や性売買の被害に遭っていいはずないですよね!?
一体全体どうして娘や母や妻であることが、女が性的搾取や性売買を回避する理由たり得るのだろう?
自分に関わりのある女は性売買や性風俗に関わらないでほしいと思いませんか?いう意見は、一体どういった発想に基づくのだろう?
問うまでもないだろうか。
「どこかの男に属している女だから」
と注釈をつけて、性売買や買春に晒されるべきでないという。
そういう但し書きをして、はじめて女の人権が発生する。
それは女性差別だ。
今の日本において、そんな極端さで発言する者はそういないだろう。
けれどもこれらは同じことだ。
「あなたの娘や母や妻が性風俗で働いていたら許せますか?」
自分や誰かに所属する女だから、性風俗で働くなんて許せませんよね。
「あなたの娘や母や妻が買春されたら許せますか?」
自分や誰かに所属する女だから、買春されてはなりませんよね。
わたしはかつて誰かの妻であったことも母であったこともない。
わたしは母と父の娘だが、その事実はなんらわたしの価値に影響しない。
「自分の娘や妻や母が買春されたら許せない」ひと達にとっては、別の女も「別の誰かの娘や妻や母だから買春されるべきでない」というロジックになるだろう。
ではわたしは「誰かの母や妻や、母と父に愛された娘でないから、性風俗で働き買春されても仕方なかった」のだろうか?
なんてバカバカしい話だろう。
「女は誰かに所属する限り守られ、大切にされる」
それでは意味がないのだ。
大和撫子の純潔を守るためによその国の女を連れてきて慰安所に押し込め性奴隷化する発想と、なんら変わりないではないか。
わたし達女は誰かの子どもを産まなくても、誰かと婚姻しなくても、誰の娘であるかに関わりなく、ただひとりの人間として尊重されるべきなのだ。
誰かと婚姻する可能性があるから、誰かの母になる可能性があるから、誰かにとって大事な娘だから、女を大切にするのではない。
ひとりの人間として、男と変わらぬ権利があってしかるべきなのだ。
女をただの人間として、男と変わらず尊重してくれ。
それだけのことを言うのに、こんなにも机の上をとっ散らかして、無意識に浸透している社会規範を説明せねばならない。
あらためてそれを知る日だ。
2023.3.8 国際女性デー
では、また。