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宿所提供施設のフライパン

生活保護ブログと銘打って始めたはずなのに、日々生活保護に全然関係のない記事をアップし続けています。

いま少し役立つ内容のほうがいいだろうか…と、考えなくもないですが、制度の話を淡々と書いたところでわたし自身はあまり楽しくないですし、制度について面白く書けるほどの甲斐性もないので、今のところは手を出さずにいます。

かつて自分が経験した困難についても書きたい気持ちはあるのですが、追想は苦痛の再現でもあるので、なかなか思い切ることができません。

思っていた以上にnoteの使い心地がよく、毎日らちもないエッセイをちまちま書くのが楽しくなっているので、今しばらくは冬眠やSF小説や今年の手帳に思いを馳せつつ、ゆったりやっていこうと思います。

引き続きらちもない文章が続くと思いますが、生活保護を受給しているだけで普通となにも変わらないイチ生活者のnoteとして、お付き合いください。

と、前置きしつつ、今日はちょっと生保受給者っぽいnoteです。


今の家に越してきた時、フライパンのセットを買った。
テフロン加工で把手が取り外せる某有名ブランド…に、似た別のメーカーのものだ。
フライパン、ウォックパン、片手鍋などがセットになっている。
料理は好きなので、調理道具はよくよく吟味したし、買ったものが届いた時もとてもワクワクした。

そしてそれらとは別に、フライパンとアルミの片手鍋がひとつずつある。
宿所提供施設に入った時にもらったものだ。

宿所提供施設というのは生活保護を受給している個人や家族、もしくは罹災などによって住まいをなくしたひとに、一時的に住居を提供する施設だ。
わたしがお世話になったのは、一見総合病院みたいな大きな施設だった。
マンションみたいに居室が並んでいて、世帯人数に適した部屋を提供してもらえる。
室内には必要最低限の家具家電も揃っており、すぐに生活を開始できるようになっていた。
さらには子ども向けの学習室や雑誌書籍が借りられる図書コーナーもあって、施設にいる間はいつでも読むことができた。
わたしが入ることになった部屋は、玄関を入ってすぐ台所と水回りがある1Kで、居室は多分4.5~5畳くらいだったと思う。
狭いが、ベランダに向かう掃き出し窓からの見晴らしはよく、明るかった。

施設に入った時、わたしの荷物はわずかな衣類と手回り品だけだった。
それで、施設側が色んなものを用意してくれていた。

トイレットペーパーや拭き掃除用のシート、各種洗剤。
寄付品なのか残置物なのか、年季の入った食器類(箸は新品だった)。
そしてパッケージに包まれたままの、新品の片手鍋とフライパン。

「これ、開けちゃっていいんですか?」

「そうです。調理器具や消耗品は差し上げますので、自由に使ってください。ここを退所する際に持っていっていただいてもかまいません」

必要なものをすべて一から揃えなければならないと思っていたので、とても驚いたし、ありがたかった。

入所したその日から、用意されたもの達を使いはじめた。
施設近くのスーパーで食糧を調達し、さっそくもらった片手鍋とフライパンを使い、夕食を作った。
ソバを茹でて、貰いものの缶詰を温めたのだったと思う。
ものすごく美味しいというわけではなかった(なにせ普通の乾麺と、普通のイカ大根の缶詰だ)が、新しい生活が始まったという実感があった。

宿所提供施設から退所する際、職員の言った通り、色んな日用品や消耗品を持っていった。
ティッシュペーパーや風呂洗いスポンジや新品だった箸。
さらに1年半が経って、あの時いただいたもので手元に残っているのはフライパンと片手鍋だけになった。

日常的に料理をするにはフライパンと鍋がひとつずつではどうにも間に合わず、どうせ買うなら色んなサイズの鍋がセットになったやつがいいと思って、某有名ブランドの把手が取れる…やつに似たセットをAmazonで買った。
ピカピカで大きさも用途も自由自在、オーブンにもかけられる万能フライパンセットだ。

それにも関わらず、今もうちの台所の第一線で働いているのは、あの時もらったフライパンと片手鍋なのだった。

1年半使い倒したフライパンはところどころテフロンが剥げており、熱々のところに水をかけたりしたので、底が微妙に歪んでいる。
アルミ片手鍋は熱伝導率が高いのはいいが、鍋肌に水分が触れるとギョッとするほど大きな音がする。そして油を敷いても食材が焦げてこびりつく。

新しいのを買ったんだから、そっちを使えばいいのに。
台所に立つたび、我ながらそう思う。

くたびれて五徳の上でガタつくようになったフライパン。
把手の樹脂が溶けかかった片手鍋。
すっかり手に馴染んで、一番使い勝手がよくなった日用品達。

特別に思い入れがあるような、ないような、微妙な感じだ。
なにせ毎日使っているので。
思い出の品というには、日常的になりすぎている。
大きなスーパーの調理用具コーナーに行けば、きっと同じものが売っているだろうし、そのうち本格的に使えなくなる日もくる。

でも時々思い出すのだ。
こぢんまりした部屋のことや、施設までの坂道のこと。
3か月の間通い続けた図書館と、その途中にあった見事なアジサイの生垣。
さまざまな手続きをお願いするため、方々へ出かけていっては疲弊していたあの日々の最中、少なくとも帰って眠れる場所があったというありがたさ。

宿所提供施設を退所する日、くり返し感謝を述べるわたしに、見送りの職員さん達が、
「ここでのことなんて、忘れちゃってもいいんですからね」
と言ってくれた。
福祉に助けられることを、特別視しないでいいのだと教えてくれたのだ。

宿所提供施設でもらったフライパンと片手鍋を使いながら、時々、福祉という言葉の意味を考える。
まだそれに扶けられているが、いつか手放す日がちゃんと来る。
その時まで、もう少しわたしを支えていてほしい。

今日も、きっと明日も、そのフライパンで食事を作る。
明日はメラミンスポンジでフライパンと鍋の底を磨こう。
忘れちゃってもいいけど、忘れられない感謝を込めて。


では、また。

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