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「お前自身がその苦境を選んだのだ」という欺瞞

政府が、奨学金の返済減免と生殖が結びつけようとしているというニュースを見て、本当に目を疑った。
そして、その報道に対して不安・不快・批判が噴出する中、逆に同調的(?)なひと達が、

「奨学金は任意で借りるもので、借りるよう強制されたのか?」
「自分で覚悟して借りた金だろう」
「別に産みたくなければ制度を利用しなければいい」
「奨学金返済が大変なのは、その程度にしかなれなかった本人のせい」

などと言っていて、既視感をおぼえた。
性風俗業界とそれを放置する社会を批判するなかで、同じように冷笑的で皮肉めいた自己責任論を、無数に見てきたのだ。

「性風俗は任意で選ぶ仕事だろう。風俗嬢になるよう強制されたのか?」
「自分で覚悟して始めた仕事だろう」
「別にやりたくないなら、やらなきゃいい」
「性風俗なんてしなきゃいけないのは、ほかにスキルがない本人のせい」

小泉政権時代に奨学金制度が改悪された事実や、景気の後退とともに貧しくて生活が立ち行かぬようになったひとが増えている現状は、こういった言葉を口走るひと達の中で、どう処理されているのだろう?

福祉の窓口が狭く見えづらく、生活保護申請に際して水際作戦がいまだにくり返されている。
女のもっとも重要な価値は若さと美しさという価値観の抑圧が厳然とある。
街には性風俗の求人トラックが「若いうちにラクして稼いじゃおう!」と、嘯きながら平然と走り回っている。
そういったすべてが、女性を、性風俗を選ばざるを得ない道へと誘導しているという事実を、なぜ無視するのだろう?

物事の順番や、社会に厳然としてある権力勾配や、マジョリティに都合よく透明化されているものや、誰もが平等に持っているはずの尊厳を、どう考えているのだろう?

じつに不思議だ。


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