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幻想短篇:『花の世界で暮らす少女の話』

(原作:ジュール・シュペルヴィエル)

 優しい朝の光と、遠くから聞こえてくる鳥のさえずりで、
わたしは目が覚めました。
 視界に入ってくる最初の光景は、
天使が優美に舞うフレスコ画の天井です。
 誰が描いたフレスコ画なのかは、わかりません。
 それにしても――。
 とてもとても、とーっても、高い天井です。
 おそらく、わたしには一生、
手が届きそうにない――と言ってもいいくらい天井は高いです。
 わたしはゆっくりと体を起こしました。
 周囲はいつもと同じ――とてつもなく広い、
わたしの寝室です。
 暖かな光は部屋の――それも巨大で、
幾何学模様の刺繍が施された透明感ある、
白の天蓋カーテンの微かな隙間を潜り抜け、
ベッドの純白なシーツを優しく撫でていました。
 わたしはベッドから出て、
天蓋レースカーテンをシャーッと開き、
寝室の大きなカーテン(遮光ではない)と、
大きな窓を開けました。
 すると――。
 朝の草花と熟した果実を含んだ甘い風や、
あらゆる季節の風と、
海風が仲良く混じり合って、
私の部屋に入ってきました。
 わたしはパジャマ姿で素足のまま、
バルコニーに出ました。
 バルコニーも、
これまた広く開放的かつ展望台にもなってい、
180度、町全体を見渡すことが出来ます。
 というのも――。
 実は、わたしが今いる場所は、
地上50メートルの高さの巨大な『お城』だからなのです。
 だから町全体見渡すことが出来るのです。
 更に町全体を埋め尽くすかのように、
ありとあらゆる種類で四季折々の花々や木々が共存し、
わたしに微笑んでくれます。
 わたしも全ての自然たちに《意識》で、
挨拶をします。
 遠くには、まだ残雪の目立つ、
大きな山脈も見えます。
 そしてその反対側には、
透明なエメラルドグリーンの大海原だって見えちゃいます。
 海は今日も宝石のようにキラキラと輝いていました。
 空を見上げると――。
 一羽のタンチョウ鶴が、遠くのどこかへ飛び、
太陽は混じりっけのない笑顔で、
わたしと町を見守っていました。
 今日もわたしにとっての一日が始まります。

 ここは北国のペルデュ町。
 町の人口・住民は誰もいません。
 いえ。
 いました。
 たったの一人だけの住民――。
 そう、このわたしです。
 わたしは、このペルデュ町のただ一人の住民で、
町に一つしかないお城――ペルデュ城に住んでいます。
 ペルデュ城の外観は、
いわゆる旧チェコ・スロバキアにあるボイニツェ城と、
フランスのシャノンソン城を、
合体させて《2》で割ったような感じの外観です。
 わたしは毎日、
このペルデュ城およびペルデュ町全てを守っている女王様でもあり、
同時にお姫様でもあるのです。
 守っていると言えば、どこか勇ましいかもしれませんが、
これでも、わたしはまだ12歳の女の子です。
 実のところ、わたしはもっと大きくなって今より綺麗になって、
早く大人になりたい――と思う時があります。
 でも、そんな時は――。
 なぜだか、ちょっと切ない気分になります。

 さて、わたしは心の中で『えいやっ!』という掛け声とともに、
ほんの少しだけ体全体に力を入れてみました。
 するとどうでしょう。
 パジャマ姿から一瞬にして、
ワンピース姿になっているではありませんか。
 それから、わたしは寝室に戻ったかと思うと、寝室を出て、
そのままワインレッドのカーペットが敷かれた長い廊下をテクテクと歩き、
普段使用している、自室兼書斎に入りました。
※(アトリエも兼ねているので、
自室だけでも約12LDKの広さに匹敵します) 
 自室には、わたしの背丈よりも遥かに高い鏡が置いてあります。
 いつから置いてあるのか、わかりませんが、
わたしはそれを大層気に入っております。
 その大鏡の前でクルクルと回ってみます。
 はて? 頭に、ちょっと寝癖がありました。
 わたしはそこで頭(髪)に意識を集中してみました。
 頭の中で好きな髪型をデザインするのです。
 すると今度はどうでしょう。
 普段のわたしの髪型は、
前髪長めのショートボブなのですが、
今度は後ろ髪が長めの、
サイドポニーになっているではありませんか。
 なぜか嬉しくて、
わたしはクスクスと笑ってしまいます。
 鏡の前で、自分の姿を見ていたら、
いつもワンピースなので、
たまには違う服装にしてみようと思い――。
 もう一度――今度は体全体に少し意識を集中させて、
頭の中で、好きなお洋服をデザインします。
 そして目を開けると――。
 今度は幾何学模様の刺繍が施された白のニーハイソックスをはき、
濃藍色の修道服寄りな――“ゴシックロリータファッション”の、
わたしがいました。
 今日の服装はこれに決めました!
 ――と、思ったのですが。
 どこかこう……物足りません。
 なので、わたしはゴスロリに、
もう少し意識を集中してみると、
今度はパステルピンクのフリルの装飾が加わりました。
 あともう一息と思ったわたしは――。
 再度、頭に意識を集中させて、
一瞬だけ目をつむり(頭でデザインし)、
また目を開けると――。
 わたしの髪は、
ナチュラルなグラデーションに変化してい、
三つ編みカチューシャのウェブロングヘアーになっていました。
 そして頭にはレースのリボンが、
新たにバランスよく装飾されてて、
可愛さに更なる磨きがかりました。
 こうして、このペルデュ城にふさわしい《いかにも》な雰囲気を、
作ることが出来ました。

 ふと、わたしは机の上に置いてある、
写真立てに目がいきました。
 ――はて? そういえば、
この写真立てはいつからあったのでしょう?
 その写真には、
なぜかわたしに凄くよく似た、
同じ年齢の少女を真ん中に、
二人の大人――女の人と男の人が写っていました。
 真ん中の少女は誰なのでしょうか?
 そこに写っている女の人も男の人も《わたし》には、
全くの見知らぬ人です。
 ですが――。
 どうも見入ってしまうのです。
 男の人も女の人も、
そしてわたしに凄くよく似た少女も――。
 凄く幸せそうに微笑んでいます。
 なぜ、この写真がわたしの机の上にあるのでしょうか。
 なぜ、わたしはこの写真に映る少女と、
二人の男の人と女の人を気にしてしまうのでしょうか。
 この三人は本当に一体だれなのでしょうか?
 じっと見ていると――。
 なんだか、
わたしは絶対に忘れてはいけないことを、
忘れているような錯覚に陥ります。
 そして、胸の奥底からは、
とてつもない《何か》が湧き出てきそうな気がするのです。
 わたしは慌ててブンブンと首を横に振り――。
 写真をもう見ないように、
ゆっくりと写真立てを伏せておくことにしました。
 
   ☆   ☆   ☆
 
 わたしにとって朝一番のご褒美は、
なんといっても朝食の時間です。
 ペルデュ城の食堂は1階にあって、
まるでルーヴル美術館の、
展示スペース(ドゥノン翼)のように広大です。
 テーブルの種類も豊富で、
縦長のテーブルから、
小さな丸いテーブルまであります。
(椅子もテーブルごとに個性的で、
応用美術の一作品のようです)
 そして、どのテーブルにも、
オーロラグラスの花瓶が置いてあり、
ガーベラやカーネーションをはじめ、
ジャスミン、ダリア、ミュゲ(スズラン)、
コスモス、アネモネ、ライラック、ワスレナグサ、
マグノリア、アーリーローズ、
そして色とりどりのオールドローズや、
モダンローズ等といった四季の花たちが皆、
食堂のガラス張りの窓から差し込む光を受けて――。
 慎ましくも神秘的に佇んでいました。
 ――さぁ今日はどこに座りましょう。
 毎回わたしは食堂に来るたび、
どのテーブルにしようか迷っちゃいます。
 というのも――。
 テーブルも椅子も花も、
非の打ち所がないほど素敵だからです。
 だから、こういう時は、
深く考えないようにしています。
 考えれば考えるだけ、
蜘蛛の糸のような深い迷いが、
いつまでも心に纏わりつくからです。
 とりあえず、
その日の気分と感覚で席に着きました。
 そのテーブルには、
ミュゲが置いてありました。
 美しくも儚くて――どこかこう、
わたしのことを、
じっと見守っているような気がしました。
 花以外、テーブルには何もありません。
 わたしは目をつむり、
 ――今日の朝食、お願いします。
 心の中で唱えました。
 するとどうでしょう。 
 目を開けると――。
 テーブルには、
雪のように真っ白なテーブルクロスが敷かれ、
折り紙の如く丁寧に畳まれた清潔なナプキンと、
フォーク、ナイフ、スプーンが、
バランスよく置かれておりました。
 そして更に――。
 驚くほど豪華な朝食が、
いつの間にか、
目の前のテーブルいっぱいに広がっていました。
 最初に目がとまったのは、
多種類のジャムの瓶たちです。
 ピーナッツクリーム、
アーモンドキャラメルクリーム、
パンプキンクリーム、ショコラクリーム、
シュガーバタークリーム、
ハスカップジャム、ミックスベリージャム、
ハニーレモンジャム、オーガニックのジンジャーライムジャム、
ドラゴンフルーツジャム、パッションフルーツジャム、
キウイフルーツジャム、シナモン入りオレンジジャム、
アップルミントジャム、
ラ・フランスジャム等々が、
色とりどりに並んでいました。
 それからテーブルには、
大きなお皿が4つありました。
 1つ目のお皿には――。
 程よく焼けたライ麦のバケットと、
クロワッサンと、
パン・オ・ショコラがお行儀よく、お皿に鎮座し、
(ライ麦バケットは、
わたしが食べやすいように薄くスライスされてます)
 2つ目のお皿には、
ポーチドエッグとオランデーズソースのたっぷりかかった、
ベネディクトエッグが湯気を立てていました。
(しかもマフィンの上には、
ベビーリーフとアスパラガスとスモークサーモンが煌いていました)
 3つ目のお皿は本日のスープです。
 バジルとスイートコーンと大豆と甘栗のポタージュです。
 4つ目のお皿は本日のデザートです。
この日のデザートは、
“ババロア・オ・カシスのフルーツ&ミルフィーユ添え”です。
 そしてなんと飲み物は、
オーガニック蜂蜜とハスカップをベースとしたティザンヌです。
(ティザンヌはフランス語で“ハーブティー”を意味します)
(とはいえ、たまに冷たいオランジーナの時もあります)
 わたしはテーブルに揃った料理たちを、
まずは観賞するかのように眺め、
それから両手を合わせて、
 ――いただきます。
 と心の中で唱え、それらを食していきます。
 ここでは――。
 堅苦しい型にはまったテーブルマナーというものはありません。
 なので、わたしは食べたいものを、
順位関係なく食べることが出来ます。
 とはいっても――。
 なぜか、わたしは無意識に行儀よく食べることを心得ています。
 それにしても――。
 クロワッサンもパン・オ・ショコラも香ばしく、
甘さ控えめなところが更に食欲を増進させ、
ベネディクトエッグを一口食べると、
それはもう! なんと言いましょう!
 ほどよい酸味と微かな甘みと、
旨味が植物の種の如く、
ぎゅっと一つにまとまり、
わたしの口の中で蕾をつけたかと思うと――。
 それが一瞬にして花を咲かせるのです。
 朝食の美味しさというものが、
わたしの体全体に流れてくるのがわかります。
 ポタージュも熱すぎず、温すぎず、
平行にバランスが保たれていて、
味も濃厚なのに、しつこくなくて、
後味がとてもさっぱりしています。
 時間をかけて、わたしは食べていき、
ようやく本日のデザート、
“ババロア・オ・カシスのフルーツ&ミルフィーユ添え”になりました。
 てっぺんに飾られた、
2粒のピスタチオがとても可愛らしいです。
 わたしはババロアの形が崩れないように、
デザートスプーンで手前から慎重に、
けど丁寧に奥深く入れて掬い上げ、
口元に運びます。
 蕩けるほど柔らかいスポンジと、
ババロアとカシスゼリーが絶妙に調和し、
まるで雪解けの春を連想させる甘さが、
わたしの意識の奥底にまで広がっていくのがわかりました。
 あまりの美味しさに、
わたしはつい微笑んでしまいました。
 やっぱりスイーツ・デザートは最高です。
 こうして朝食の全てを食べ終え、
わたしは食後のティザンヌを、
堪能するように飲みました。
 心がすっきるするような涼しいハーブの香りと、
芳醇な甘さが広がるオーガニックはちみつの香りと、
優しくも甘酸っぱいハスカップの香りが、
水彩絵の具のように混ざり合い――。
 わたしは安らかな食後の余韻に、
いつまでも浸ることが出来ました。
 
 さて、わたしは目をつむり、
両手を合わせて、
 ――ごちそうさまでした。
 と、心の中で唱えてから目を開けると――。
 テーブルの上には、
もう跡形もなくなっていました。
 あの真っ白なテーブルクロスさえありませんでした。
 あるのは花瓶に入ったミュゲだけです。
 まるで朝食を食べていたのが、
実は嘘のような、
全てが偽りのような――そんな感じです。
 その代わりに――。
 気づくとテーブルの上には、
柳で出来たランチバスケットと水筒がありました。
 つまり今日のお昼用です。
 わたしはそれらを持って、
学校にいく準備をしました。

   ☆   ☆   ☆

 たとえペルデュ町とペルデュ城を守る女王とはいえ、
わたしも学校には行かなくてはいけません。
 (なにせまだ12歳ですし)
 でも、わたしは学校へ行くのが大好きです。
 お城から学校までの距離は、
とても近く、
歩いてわずか10分ほどで着いてしまいます。
 慌てる必要性はどこにもありません。
 ですので、
わたしはいつもどおりサボ(木靴)を履き、
ランドセルを背負い、
ランチバスケットを持って、
楽しむようにゆっくりと遠回りしたり、
寄り道をしながら学校へと向かいます。
 学校までの道のりが、
また楽しくて晴れ晴れとした気分になれます。
 見上げると空は高くて、
あらゆる季節のあらゆる渡り鳥や、
小鳥たちが飛んでいます。
 わたしはダンドリオン(西洋たんぽぽ)が広がる丘を、
登っては下り、
透明感あふれる綺麗なエメラルドグリーンの大海原を、
眺めながら砂浜を歩き、
野原や草原やラベンダー畑を歩き、
森の中へと入っていきます。
 ランドセルの中には、
筆記用具とノート類の他に、
国語や算数や歴史・地理の教科書、
西洋写真史、フランス近代美術史、現代アート概論、
基礎ファインアート制作技法、
応用写真技術などの教科書たちが入っており、
動くたびに、
それらが中で仲良く歌うように鳴るので、
音が耳にとても心地よいです。
 ペルデュ町は、
春・夏・秋・冬――四季全ての花が豊富に揃っているので、
毎日新鮮な風景を楽しむことが出来ます。
 森の中を歩いていると、
目の前を小さな動物が横切りました。
 よく見ると、それはエゾリスさんです。
 エゾリスさんは、
ほんわかした表情でクルミを食べていました。
 見ているだけで、ほっこりします。
 ふと眼の前を、
桜の花びらが舞い降りてきました。
 わたしは森の中を更に歩くと、
満開のエゾヤマザクラの木が至るところにあり、
それに見とれながら歩くと、
今度はシバザクラが広がってい、
更に歩けばチューリップ畑、
更に歩けば道端にヒヤシンス、
それからムスカリ、ガーベラ、
エリゲロン、アスフォデル、カーネーション、
ミモザ、パンジー、ナナカマド、
ペルスネージュ(スノードロップ)、
ミュゲ(すずらん)、ツバキ、
クロッカス、プリムラ、
ジャスミン、ハゴロモジャスミン、
シクラメン、
デージー(ヒナギク)、
シュウメイギク、
ラベンダー、向日葵、ライラック、
ユリ、エゾスカシユリ、
エゾイソツツジ、ルピナス、
亜麻の花、蕎麦の花、ナノハナ、
紫陽花、アナベル、
ハマナス、カスミソウ、
そしてダリア等々。
 それらの花たちに囲まれていると、
わたしはなんだか、いつもこの世界の皆に、
優しく見守られているような気分になれるのでどこか安心出来ます。
 気づくとあっという間に学校到着です。
 これまた大きな木造校舎ですが、
児童は――もちろん、このわたしだけです。
 この学校に“児童”もいなければ“先生”もおりません。
 なので、わたしは好きな時間に登下校をし、
好きな時間に好きな教科で一人授業をするのです。
 教えてくれる先生はどこにもおりません。
 あえて言うなら、
わたし自身が児童であり先生でもあるのです。
 わたしは教室の、
適当な場所(たいてい窓際の席です)に座って、
筆記用具を出し、教科書とノートを開きます。
 それから、誰も居ない教室で、
わたしは黒板を眺め、
あたかもそこに見えない先生が存在し、
黒板に重要なことを書いて説明しているかのように、
じっと耳をすますのです。
 そして私は黙々とノートに文字を書いていき、
途中で耳をすまし、また書きます。
 ふと、わたしは窓の外を見ました。
 ここの校舎は高台に位置するので、
窓の外からでも海が見渡せます。
 遠くの海をじっと見ていると、
意識全体が引き込まれて――。
 わたしは何か凄く重要なことを忘れている気がするのです。
 本当は、
思い出さなきゃいけないことなのですが、
思い出してはいけないような気にもなるのです。
 いや。
 思い出したら、わたしの今までのことが、
全て嘘だったように、
後悔する――そんな気がするのです。
 わたしは首を横に振り、
もう今日は帰ろうと思いました。
 
 たしか、
いつだったか――以前もこういうことがありました。
 ですが滅多にこういうことは起きません。
 なのに、なぜか今日に限って、
こういう謎の心理現象が起きてしまうのです。
 そしてそういう時は決まって“何かが起きる前兆”なのです。
 とりあえず、こういう時は、
どこか見晴らしの良い場所で、
景色を堪能してランチを楽しむに限ります。
 わたしは校舎を出て、サボ(木靴)を鳴らしながら、
もと来た道を通って、ペルデュ城へと帰ります。
 どのくらい歩いたことでしょう。
 おそらく海の近くだったかと思います。
 そろそろ、
見晴らしの良いところでランチを――と思っていた時のことです。
 わたしの位置から200メートルほど先の場所から、
こちらに向かって歩いてくる、
黒い服を着た“男の人”と“女の人”の姿を確認しました。
 二人は、見覚えのある“花”を持っていました。
 ――え!? どうして!?
 わたしは体が凍りつき、言葉を失いました。
 驚きを通り越してしまったのです。
 だって……だって……。だって――。
 こ こ に 他 の 人 間 が 
来 れ る は ず な ど な い の で す か ら 。

 男の人と女の人は、
わたしに気づいていないようです。
 わたしは無意識に彼らの元へと向かいました。
 最初はゆっくりと歩いて、
そして早歩きに、やがて小走りになって。
 わたしが近づいても、
男の人と女の人は気づく様子もありません。
 そして近づくと、わたしは二人の顔に見覚えがあるのを思い出しました。
 そう。
 朝、自室で見た写真の中の“男の人”と“女の人”です。
 気づいたら、わたしは大声で叫んでいました。
『パパ! ママ! わたしはここよ! 助けて!』
 わたしは自分が、
一体何を言っているのかわかりませんでした。
 それでも、わたしは懸命に叫び続けます。
『パパ! ママ! わたしよ! 
忘れちゃったの? お願い! 助けて!』

 ですが――。
 どんなに声を張り上げても
 二人とも、わたしの声が聞こえていないかのようです。
 いえ。二人にとって、
わたしは最初からここに存在していないのです。
 だって……わたしは……。
 気づくと、わたしは、
だんだん睡魔に襲われていました。
 とても眠いのです。
 いつだったか忘れましたが、
ずっと以前もそうでした。
 そのまた以前もそうでした。
 そして今回もまた…………。
 わたしの体は段々と透明に薄れていき、
眠るように意識も遠のき、
 気づけば通り過ぎる風の一部になりました。
 風はゆっくりと優しく、
重さのない《わたし》を、
ペルデュ城へとそっと運んでくれました。
 どうやら風――いえ、“風さん”は知っていたようです。
 わたしが一体、本来何者なのかを。
 知ってるからこそ、
 無言で運んでくれたんだと思います。
 眠りからさめて、起き上がると、
 そこはペルデュ城の前でした。
 そして、わたしはさっきのことを思い出そうとしました。
 もちろん、まだ憶えています。
 わたしはたしかに、
 ――パパ! ママ! わたしはここよ! 助けて!
 そう言いました。
 なぜ、わたしはそう言ったのでしょう。
 ですが、その意味が段々と鮮明にわかったり、
数多のことを思い出したりしてきて、
これまでに味わったことのない恐怖を感じました。
 でも――。
 その恐怖も辛さも“今”だけです。
 そう。
 きっと時間が経てば、
また《わたし》は全てを忘れて、
これまで通りの《わたし》になるのです。
 忘れては思い出し、
思い出しては忘れるを繰り返し、
いつまでも繰り返し続けるのです。
 それはまさに――終わりのない潮の満ち引きのように。
 わたしはペルデュ城の中へと入りました。

   ☆   ☆   ☆
   
 その“少女”がペルデュ城に入ると、
ペルデュ町といわれた世界は一気に変貌し、本来の姿になる。
 本来の姿は――。
 四季はおろか、自然豊かな面影など何一つない、
悲しくも荒れ果てた大地だけだった。
 これを読まれた方は、もうお気づきかもしれないが、
ペルデュ町もペルデュ城も、この世には存在しない。
 かつてそこに建物があったであろう場所は、
無残にも崩壊した瓦礫の廃墟となり、
寒々しい空からは、次々と粉雪が舞っていた。
 その荒れ果てた大地に佇む、
喪服姿の男性と女性。
 二人は夫と妻であり、
かつては“最愛の一人娘”の父と母でもあった。
 かつての父と母は“花”を、
あるべき場所にそっと手向け、
その場で泣き崩れるように祈りを捧げた。
 誰のせいでもない。
 誰のせいでもないけど、
どうして“自分の娘だけ”が。
 巨大な地震によって発生した、
大津波は、まだ12歳だった少女の幼い命を奪った。
 現実を受け止めきれなかった父と母は、
強い力で思った。
 強い力で願い続けた。
 もう一度娘に会いたい。
 父と母の強い願いは、
やがてペルデュ町・ペルデュ城を作り出し、
そして一人の少女さえも生み出してしまった。
 だが――。
 それは少女にとっては、
本来、永遠に終わることのない悲劇であり悲運なのだった。
 北国はもうすぐ春を迎えようとしていた。

(原作&着想:ジュール・シュペルヴィエル『海に住む少女』より)

 ――fermeture.




 皆様、いかがじゃったろうか。
 原作は蝦空千鶴も影響を受けた、
シュペルヴィエルの短編小説作品『海に住む少女』から、
今の時代かつ、
蝦空千鶴風に完全オリジナルアレンジをして書いた。
 フランス文学に興味を持った方は是非読んでみるがよい!


★《今回のnote制作環境》

使用したPC:MacBookPro 14inc 旧型(Apple)
使用したOS:Fedora Design Suite(Fedora Linux)

 

 ここまで読んでくれた全ての方々に心から感謝を申し上げたい!


 Merci beaucoup d'avoir lu jusqu'à la fin ♡
 

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蝦空千鶴 -EZORA Chizuru-
皆様からの暖かな支援で、創作環境を今より充実させ、 より良い作品を皆様のもとに提供することを誓いま鶴 ( *・ ω・)*_ _))

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