山ではたらく
昼が過ぎた頃にはしとしとと雨が降り、曇り空がそらにフタをして。
雨が笹の葉を打つ音があたりを静寂にする。
そして僕はここがどこかもわからずただひたすらに目の前に注視して苗、次の苗と目線を移しながら永遠に左右に草刈機の刃を振り続ける。
だんだんに前腕が疲れ全身が疲れしだいに身体が動きにくくなる。
ようやく停まってところかまわず腰掛ける。
雨に全身が濡れる地下足袋の中はもう何時間も前からじゃぶじゃぶで、左足の中指の腹のあたりに朝から刺さりっぱなしのトゲが刺さってるのを感じる、あるいは歩いてるうちにトゲの角度が変わったりなんかして痛くなくなるのではないかなんて考えたり、また忘れたり(結局夜7時におとづれた温泉でそれを引き抜くまで痛かった)
この現場を今日で終えたかった、この現場には日数を費やしすぎてる、慢性的な熱中症のおかげで日中の作業をなるべく避けて、頑張って通ったけどなかなか進まず、体調もよくならず。
曇天の空のしたで草刈りを無心に振るう、何時かもわからない、終わりが遠く、ひとつの場所を終えて尾根をまたぐと、また笹の薮蔓延る斜面が目の前に広がり絶望と焦りが心を奪う。
もう、2週間ほども前からずっと焦りがあって、身体のアクセルをベタふみしていた、前につんのめって倒れかかりそうになりながら、現場で作業をする、刈っても刈っても山は広く、ボッチの無力が両肩に重くのしかかる。
けれども、現場は終わった6時前、曇天の空は黒々とあおく、まったくの濃霧で辺りの様子もわからないほどだ、半泣きで山の頂きによたよたと立つ、目はかすみ焦点がうまく合わない、前腕がブルブルとふるえている、呆然と立っているとますます濃霧と曇天に囲まれたこのだだっ広い密室がせまくせまく僕に何かをつぶやいている。
焦りだした2週間前からほとんど晴れが続いた、ラスト今日だけが雨で全身はずぶ濡れだ、山の神様は僕に試練を与える、死後の世界は痛みのない世界らしい、それならばいっそ生きているこの限りは、たくさん痛みを感じればいい、トゲは足の裏に、孤独は濃霧の中に、辺りの刈られた笹の穂がぽとりと落ちる寂しげな音。
山を降りて入る温泉はもうそこまできている、現場での日々を思い出す、猛暑の2ヶ月ここに僕はたくさん通った、目で見える時間の経過、現場を下から済ませてきたから、2ヶ月前に刈ったところはもうすでに草が生えているけれど、2ヶ月前の僕はたしかにそこの草を刈った、遠くから見れば壮観、7ヘクタールのまるまるひと山が僕によって刈られている。
どうせ生える草、弱った苗たり、集材の時にできた大量の枝木のゴミたち、さみしい風が吹く現場、嫌いではない、こんな仕事は他ではない、全力でやり終えてこんなにもボッチで曇天の空をあおぎみる、そんな仕事はきっと他にはないだろうから。
僕は享受する、山をとぼとぼ20分ほどかけて降りて、真っ暗な道をゴトゴト軽トラで降りる、温泉に浸かる、、まだ身体がわなわなしている、全身焦りで硬直した筋肉たちがなかなかほぐれてくれやしない、呼吸もうまく入っていかない、思えば朝から、オートミールとパン2つしか食べてなかった、それでもお腹が減らない、疲れ過ぎて吐き気がする。
そしてこれは、まったくの日常、今日もそんな感じ、現場の最後はいつもこんな感じだ、また新しい現場がいくつも僕の未来に並んでいる、次はもう少し上手にやりたいと思う。
勤勉というやつを避けるためにズルい生き方を模索してここまで迷い込んだ愚か者だ、結局夏休み最後宿題がんばるみたいに、やることはやらなきゃなんだから日々のプロセスのクオリティをもう少し高めていくしかない、最後にはおれならやれるというプライドもあるしいつもやってきたけども、やっぱり焦るのは嫌だな。
つぎからはもうちょっと上手にこの疲労をひとつの現場の工程全域に分散して進捗していきたいと思う、そんな風に自分と向き合う、自分に刃を突きつけられる、自分と対話する、どこまでも自然は僕に自問自答の闘技場を与えてくれる、感謝するしかない。