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ふと立ち止まる時を待つ


カロリーがもったいないジムに山に家事に育児に、自閉しちまってる内燃式のカロリー工場、生きる意味のすべてがそこに注がれる循環呼吸、数年まで一度も止まることのなかった自問自答の脳内麻薬はすっかり穏やかで実利、段取り、感情が浮き彫りでまるでロボットの電子基盤のように電流が決まったところに流れる日々だ、どうした、あの頃の自問自答をどこに落としてきたんだ、よしストロークを長くとって自転してみようか。メモリをグッと拡大する、パースペクティブ遠くから見てみる自分のはじまりとこれからを。数年にいちど3時間くらい温泉とかで足をちゃぷちゃぷさせながら思考するタイミングがある、行き詰まったり、人生に悩んだり、選択をせまられるときに、あれがもう随分ない。

半分は、この道で正解というところなんだろう、あの3時間でおれは過去を遡れるだけさかのぼる、過去の断片のディテールを細かく細かくその場面を生き直すかのようになぞる、なぞる、歴史の勉強の意味はわからないけど、自分の過去をなぞることには猛烈に意味があると思っている、ただ、普通生きるに応じて増えていく過去のディティールの累積をわざわざなぞるほど時間に余裕があることなんてないんだろうな、おれにはあることが多い、そういう時間。

迷い立ち止まることなく進む人生、そのこと自体に違和感を感じて立ち止まってみることが多々ある、問題がない環境や日々、そのものに違和感を覚える、そんな奴だった、だいぶ変なやつなんだと思う、悩みなんて幼少のころから無い、多分ひと一倍ないと思う、でもそのこと自体が悩みだった、何かに守られてどこかのコンベアに載せられて、だから順調なんだっていう違和感、環境や関係が整ってあとはこの努力を続けるだけだってなった瞬間にふと立ち止まる、どうしょうもなく変なやつ、女性が数々の女性ならではの難儀をその当事者たる女性その人が1番付き合っていくことが大変なように、おれもこのどうしようもなくズレて変な自分と深く関わって引っ張り回されて生きてきた。

すったもんだの挙げ句の果てになんとかドライブを続けている。この大変な仕事も13年、修行時代からうってかわり、より自由にそして大変な状況になってから7年くらいになる、旅や遍路をしていた人間がひとつの生業を続けることになるとは思わなかった、この仕事は、そしておれのやり方は、いつまでたっても楽にならないという意味で、沼だ、常に酸欠で水面目指して泳いでいる、水面から顔を出してアップアップとやっと一息と思った瞬間にはもう、また何かに海底に引っ張り込まれる。

おれにはルーティンがない、いつだってどんな場所だって変化する状況の中でそれなりのルーティンを作るのが比較的得意だった、今の自分の状況の中でルーティンを編み出すことは難しいことではないかのように思う、でもルーティンは家族という成員を込みにして、さらに出稼ぎの両立という要素で考えた時、粉々に砕かれる、ルーティンの兆しが見えたことはいくつかあった、再婚、子供1人の3人で、おれは出稼ぎ、人を雇ってなんとかかんとか。おちついたかに思えた刹那子供が産まれた、それから2年のすったもんだ、やっと落ち着いてきたかと思えた刹那またまたオメデタそれからもうすぐ3年か、1番下のおチビはよく泣くし体力も半端じゃない、幼稚園に通い出してさぁ落ち着くかと思ったら幼稚園クビになることに!(幼稚園のグチ吐こうと思えば無限に吐いちまうので省略)

そーこーしてたら上のにいちゃんが中学だって!?止まらないジェットコースター変化していくその変化も、読めず、おれも月給制でもなんでもないキコリバガボンドの身分、稼ぎがいいわけじゃない、身をすりつぶせば稼げるかもしれないけど稼いだ分だけしっかり身体が壊れる。

3月あたりか、もうひとやま超えたあたりでやっと落ち着くだろうか、そんなわけでルーティンはほとんどない、いやルーティンを構築しようと考えること自体が幾度にわたる基盤からの崩壊の中で絶望した。水面浮かぶ稲ワラのように漂うだけだ!日々の中で海面にたちあがる水蒸気のように悩みの原子は漂ってはいるがそれらメンタルの悩みの水蒸気がカタチある雲や雨になることはなかなかない、金欠と状況の改善とのチキンレースの中で、脳内を覗く暇も余裕もなかったんだ。

ふぅとため息ついて部屋を見渡し、ふと目が合った壁のシミを3時間眺める日を待ちかねている、いつだって俺の人生はそれからはじまった、おれは無からあらゆるものを生み出すことができる、そう信じている、今までだってそうだった、ルーティンがあればそこに違和感はおとずれる、迷いなく歩く中でふと立ち止まる瞬間、おれは過去をなぞり出す、なんども生き直す自分の人生の中でストレッチをする未来にはねるカエルの伸脚しゃがむことができたらあとは跳ぶだけなんだ。

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