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鈴木大拙 D.T.Suzuki

禅(ZEN)を世界に広めた仏教哲学者


鈴木大拙の業績は、生涯にわたって東洋・日本の思想を英語で世界に向けて伝えたことです。

サリンジャーの小説に「鈴木博士」として登場するなど、日本以上に、海外の文化人に与えた影響は計り知れません。

〈目次〉
1.参禅体験から導き出された思想
2.欧米の文化人に与えた多大な影響


1.参禅体験から導き出された思想
鈴木大拙(すすきだいせつ、1870〜1966)は、禅をはじめとする仏教、広くは東洋・日本の文化や思想を海外に伝えたことで知られています。

本名は鈴木貞太郎ですが、居士号の大拙「Daisetz」の「D」、貞太郎「Teitaro」の「T」をとった英文表記「D. T. Suzuk」の方が、ZENに関心を抱く欧米人にとってはなじみがあると思います。

鈴木大拙の業績は、禅の紹介だけではありません。浄土真宗の宗祖・親鸞の『教行信証』を英訳した意義は極めて大きいし、妙好人(浄土真宗の在俗の信者)に関する研究成果は『日本的霊性』(1944)などにも現れています。

しかし、禅の真髄を欧米諸国に知らしめたことで、禅(ZEN)の紹介者として認知されているようです。

海外では鈴木大拙を禅僧だと思っている人も多いですが、そうではなく、そもそも布教の意図や禅の理論や哲学を語る意図は持っていませんでした。

「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」、つまり、全てのものを救おうという誓いに基づき、鈴木大拙は自分自身の参禅体験から導き出された思想を生涯において語り続けたのです。

禅は「不立文字(ふりゅうもんじ)」、つまり、言葉や文字によらぬことをモットーとして、体験を何よりも重視します。

そうした禅を言葉で、しかも英語で伝えるのは至難の業です。禅とは何かを海外の人に問われ、「No reliance on words」と説くだけでは、禅の何たるかを伝えたことにはなりません。

何らかの手段でコミュニケーションを図らなければ、相手の心に禅の境地を呼び覚ますことはできないのです。

鈴木大拙の盟友である哲学者・西田幾多郎(1870〜1945)の高弟・西谷啓治(1900〜1990)は次のように語っています。

「(鈴木大拙)先生の仕事は仏教、特に禅を伝えることに中心があったわけですが、これは考えてみると、禅に通じていて、同時に語学力があるという人なら、誰でもできるという種類のものではありません。この仕事が本当にできるためには、禅の長い伝統の中に深く根をおろしていることはもちろん、同時に、それが現代に生きている人間の血肉になり、現代世界のものとしてつかみ直されることが必要でしよう」。

この発言は、鈴木大拙の仕事が単なる禅籍の英訳または禅語の英語解説ではないことを示しています。

英著、英語による講義・講演に加え、実際に訪れた先々で鈴木大拙は即応即興的な問答に応じました。

その人を前にし、その場で発せられた問いに対して、「言葉」と「存在」を示す時に鈴木大拙の本領が発揮されたのです。


2.欧米の文化人に与えた多大な影響

戦後において、鈴木大拙は80歳代の大半を欧米の大学で講義・講演をして過ごしました。

米国コロンビア大学で鈴木大拙の講義を聴いた中には、『4分33秒』を作曲したジョン・ケージ(1912〜1992)や『ライ麦畑でつかまえて』を執筆したJ. D. サリンジャー(1919〜2010)がいました。

サリンジャーの『フラニーとズーイ』(村上春樹・訳)には「鈴木博士(鈴木大拙)」の記述がみられます。

また、ジャック・ケルアック(1922〜1969)をはじめ、ビート・ジェネレーション※の作家たちとの交流は、鈴木大拙の影響が実に多種多様な人々の間に及んでいたことをうかがわせます。

※ ビート・ジェネレーションとは、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称のこと。


参照元: 「nippon.com」Webサイト

以上

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