短編小説/大人の発達障害/落ち葉
闇の中で光を探す指先
暗い部屋の中、スマホの光だけが彼女の顔を青白く照らしていた。
美沙（みさ）はソファに沈み込み、指を止めることなく画面をスクロールし続けていた。
眩しい笑顔の写真、美しく盛り付けられた料理、遠くの国で楽しげに過ごす誰かの姿——そのどれもが彼女の胸を締め付ける。
「いいねがあれば、私はここにいてもいいのだろうか」
彼女の指は次の投稿に触れるたび、小さな光を求めるように震えていた。
その震えの奥に、誰にも言えない孤独が隠されているのに、画面の中の誰もそれに気づくことはない。
自分を映す虚像
投稿された写真の中の美沙は、どれも笑顔だった。
友人とのランチ、カフェでのティータイム、華やかなイルミネーションの前で撮った一枚——それらは全てが「完璧な生活」を見せるために作られたものだった。
「もっといい写真を投稿しなきゃ」
スマホを手に取り、鏡の前で微笑む自分を撮影する。
何度も角度を変え、光を調整し、ようやく「いいね」が集まりそうな一枚を選ぶ。
しかし、写真をアップロードした後に残るのは、ただ深い空虚感だった。
彼女は画面越しに笑顔を振りまきながら、誰にも見えない涙を堪えていた。
心を閉ざす孤独
美沙は幼い頃から、集団の中でうまく立ち回ることができなかった。
友達の輪に入ろうとすると、いつも何かが噛み合わず、周囲の笑い声だけが遠くに聞こえる。
「空気が読めない」と言われるたびに、彼女の胸の奥に「自分は間違っている」という感情が沈んでいった。
25歳のとき発達障害の診断を受けたとき、すべてが一瞬だけ腑に落ちた。
しかし、その理解は彼女の孤独を埋めるものではなかった。
人との距離感を掴めない自分がいる限り、現実の世界でのつながりは永遠に手の届かない場所に思えた。
「SNSだけが、私を受け入れてくれる場所かもしれない」
そう思っても、夜になるとその場所でさえ、彼女を責める声が聞こえる。
「本当の私は、誰にも知られたくない」
曇り空の記憶
美沙は曇り空の下、街を歩いていた。
濡れた石畳が光を反射し、行き交う人々が忙しなく傘を差している。
その光景をスマホで撮影し、彼女はインスタグラムに投稿した。
「曇りの日には、曇りの日なりの美しさがある」
投稿にはすぐに「いいね」が集まる。
だが、それを眺める美沙の指は、画面の隅を擦るように動き続けた。
自分に返ってくる「いいね」の数は、いつだって彼女の空虚感を埋めるには足りなかった。
その時、見知らぬ誰かからメッセージが届いた。
「曇り空もいいけど、心の中が曇っているとき、誰かに話すと少し晴れることもあるよ」
その言葉が、美沙の胸を締め付けた。
話す？誰かに自分の心をさらけ出すこと？彼女にとって、それは最も恐ろしいことだった。
闇と向き合う瞬間
その夜、美沙はスマホを手にしたままベッドに横たわっていた。
メッセージを送ってきた相手の言葉が、何度も頭の中を反響する。
「誰かに話すだけで、少し楽になる？」
そんなことが、本当にあるのだろうか？
美沙は震える手でメッセージを開いた。
その画面には、短い言葉が再び彼女に問いかけている。
「誰かに話したくなったら、ここにいるから」
そのメッセージを見つめながら、美沙は心の中で自分に問い続けた。
「私は、本当にこの孤独から抜け出せるのだろうか」
手に入れたと思った光
美沙はスマホを見つめていた。
彼女の投稿に寄せられたメッセージを送ってきた男性とのやり取りは、次第に深まり、夜になると心の隙間を埋めるような会話が続いた。
「君のこと、もっと知りたい」
その言葉に、美沙は息を呑んだ。彼の言葉は、これまでの誰の声とも違う温かさを帯びていた。
初めて会った日、彼は柔らかい微笑みを浮かべていた。
話すたびに彼の目の奥に潜む優しさに触れ、美沙の胸の奥で何かが溶けていくのを感じた。
彼の存在が、いつしか美沙にとって唯一の救いになっていった。
しかし、それが幻だったことを知るのに、時間はかからなかった。
喉を締め付ける現実
ある日、美沙はいつものように彼のアカウントを何気なく開いた。
そこには彼が他の人に送ったメッセージが並んでいた。
それらの言葉は、自分に向けられたものと全く同じだった。
「君のこと、もっと知りたい」
「一緒に時間を過ごしたい」
彼女の指は画面をスクロールしながら震えていた。
心臓が小さく早鐘を打ち、喉がキュッと締まる感覚に襲われる。
肺に溜まった息が、口を突き抜けることを拒むかのようだった。
彼の笑顔も、言葉も、すべてが嘘だったのか。
自分を救ってくれると思った存在が、一瞬にして無意味なものに変わる。
スマホを握り締める手が熱を持つように痛かった。
世界が繕われていることを知る
夜道を歩きながら、美沙は無意識に足元を見つめていた。
「みんな同じなんだ。」
画面越しの彼も、投稿を埋め尽くす笑顔も、誰もが現実を飾り立てている。
ただ、その飾り方が違うだけだ。
周りの人々の声も、笑いも、すべてが遠く感じられる。
世界には本当のことなど存在しない。
そう気づいた瞬間、彼女の胸の奥からぽろりと何かがこぼれ落ちた。
コンビニの自動ドアが開き、「いらっしゃいませ」の声が耳に届く。
店員と目が合うことはなかった。
ただ無機質に響くその声が、なぜか彼女の心に触れた気がした。
足元に落ちる表情
買い物を済ませて店を出た後、美沙はふと立ち止まった。
目の前には、道端に散らばる落ち葉のように、人々の表情が落ちている気がした。それぞれが違う色や形を持ちながら、風に揺れ、静かにそこにある。
彼女は無意識にその表情のひとつひとつを拾い上げた。
喜び、悲しみ、焦燥、憤り——足元に散らばる感情を拾いながら、どれを自分のものにしようか迷う。
「これが、リアルなんだ」
繕われた世界ではなく、混ざり合い、形を変えるこの表情たちが、彼女にとって初めて「本当」に思えた。
曇り空の下に立つ
曇り空の下、美沙は深呼吸をした。
スマホを握る手の力を緩め、足元に広がる落ち葉の中を歩き出す。
風が髪を揺らし、雨粒が頬を濡らす。
彼女は今も孤独の中にいる。
しかし、その孤独は、これまでのように息苦しいものではなく、どこか温かさを持っていた。
それは、自分が「本当の世界」を少しだけ知ったからかもしれない。
「この曇り空の中にも、まだ私の色がある」
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「孤独を感じているのは、あなただけではありません。」
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