以前の私1【死別後の自己否定】
ここから、以前の私について話していきます。かなり暗くて重い内容なので、精神状態が良くないよという方は、調子のいいときに見ていただけますようお願いします。
死別に関する過去の私と、モラハラに関する過去の私、二つに分けて投稿しようと思います。
今回は母との死別の話。
母は病気が原因でどんどん元気をなくし、さいごは寝たきりという状態でした。
中学を卒業したてで、まだ精神的に幼かった私は母が動けないことにショックというか、苛立ちを感じていました。
「なんで私のお母さんだけがこんな状態なの?元気なママはどこに行ったの、いやだ、見たくない」という気持ちでした。母が命の危機にあることを信じたくなかったんだと思います。
母の病状に関係なく、高校では当たり前に定期テストがあり、文化祭がありました。学校から帰って母がもう死んでいたらどうしようという恐怖と毎日闘って、きっと疲れてしまったんでしょうね、当時の私はある日、母にきつく当たってしまったんです。
その出来事は、母が亡くなってから私をものすごく苦しめました。
なんであんな言葉を吐いたんだろう。
出来損ないの娘だ。
こんな私なんて生きていても価値がない!
生まれてこなきゃよかった!!
そう強く思ってしまい、自分の体に血が出るほど爪を立てたり、壁に頭を打ち付けたり、ボールペンを手に突き刺したりして気持ちを落ち着けていました。今でも当時の息苦しさは鮮明に覚えています。
誰かに助けてほしかったし、気づいてほしかったけれど、めんどくさい奴だと思われたくなくて学校では「普通の」女子生徒として明るく振舞っていました。正直辛かったですね。帰り道、何度も死を考え、実行まで細かく計画を立てたこともありました。
こんな感じで、母への後悔と謝罪の気持ちと、自己否定、自傷行為の真っ暗闇でもがいていました。これが過去の私です。
余談
この前帰省した時に、当時使っていたらしきノートが机の奥から出てきました。そこには、自分を責める鋭い言葉が、殴り書きで数えきれないほど。
ほんとに辛かったんだな、と幼い私を抱きしめてあげたい気持ちになりました。
読んでみてどう感じましたか?
重い話だ、とか、私も同じ気持ちになったことがある、とか、様々な意見を持たれると思います。私自身この話は本当に親しい数人にしか話していないし、思い出すのを避けていたので、当時を直視するのはかなりエネルギーが要りました。
どんな感想を持たれてもかまわないので、どう感じたか、その感情をそのまま自分の中で受け止めて欲しいです。
幸せへの一歩
”自分の感情、感じたことをそっくりそのまま、受け入れること”
今回はここらでおしまいです🙌
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