「アントンが飛ばした鳩」を読む
「アントンが飛ばした鳩」30の物語、読了。幸福な時間でした。
ユダヤ人差別、ナチスの侵略、そしてホロコーストという人類史上でも稀に見る 漆黒の闇を背景にしながらも、いつもどこかしらほのかな光の存在をかんじさせる作品ばかりで、ぐいぐい惹き つけられました。
こういう不思議な読後感は、初体験です。
冒頭、「テーブル泥棒」で、、敬虔なユダヤ教徒の祖母が、制服を着た警察官に 象徴される法と国家の権威より、自らの信心を優先させ、罪人を許した上、救いの手を差し 伸べる。
この幼少期の強烈な記憶が、その後の作者の人生を基底した「アリア」のようで した。
作品の随所にさりげなく、ユダヤ教の風習や信仰が顔を出し、祖父母世代、ユダヤ教信仰を忠実に生きた世代への愛着と、シンクロニシティのような不思議な巡り合わせが重なり、全ての実話短編がまるで、30の「変奏曲」のように編まれています。
著者の類稀な記憶力と観察力もさることながら、どんな過酷な環境下でも、なにより、他者を存在の深い場所で、神の前で等しく迷える一つの「霊性」として見つめる眼差しの誠実さに感服しました。それは、同時に、現実の過酷な環境を生き抜いてゆくユダヤ教徒の聖典、旧約聖書のもつ、汲み尽くせぬ深い「文学の力」でもあるようにも感じました。
30の物語の終盤、あまりに悲痛な体験を本能的に記憶から抹消することで、生き延びようとする人間の恐るべき無意識の力をめぐる物語は、過ちを繰り返してきた人類史の証左を突きつけられているようでした。
砂時計のように負の記憶を加速度的に無意識の層に落下させる人類。私たちは、いつかきた道をまた再び歩き出している気がしてなりません。
それは、フィリップ・ロスの「プロット・アゲインスト・アメリカ」の読後感とも重なり、徐々に音も色彩もなく、「戦後」がいつのまにか「戦前」に移行していく社会の底知れぬ恐怖を暗示させます。
そういう意味でも、本書「アントンが飛ばした鳩」がこのタイミングで日本で出版された意義はとても高いと思います。