村上春樹「街とその不確かな壁」
村上春樹の新作「街とその不確かな壁」読了。
今回も「村上劇団」特有の登場人物も、セリフも、舞台装置も過去の作品とほぼ同じものが使いまわされている。いわば、古典落語のような究極のワンパターン設定。
それにしても今回は、全てが静かだった。ストーリーの展開も出演者のキャラもおとなしめで、それはそれで、若い頃と違い、アコースティックな澄んだサウンドになった村上バンドの演奏を聴くような心地よさがあった。
村上春樹が、コロナ禍の壁の中、現代人の「集合的無意識」の深い層から、湧き上がる「夢」を、せっせと汲み上げて、言語化。世界中の人々が、数年に一度、その「神話」を待ち望み、一斉に「夢読み」を開始している。
この現実が、客観的にながめると、作品ときれいに相似形を描き、彼の作品世界の入れ子構造になっている。最新の村上版夢データは、国境をやすやすと越え、人類の全体の夢が上書きアップロードされる。現代における「文学」の役割とは何かを改めて考えさせられる。
650ページの分量のうち 、冒頭200ページ弱を占める第一部「夢」世界がとてもいい。長い長い第2部は日常のリズムに近似したパラレルな異世界であることもあり、正直、やや退屈。
実際、村上自身も第一部のみで当初完結していたらしく、つづく第2部に取り掛かるまで半年間かかったとそうだ。終盤わずか数十ページの第3部にて、円弧がようやく繋がる。しかし、BGMは最後まであくまで、静か。
壁は、意識と無意識、死者と生者、自己と他者、男と女、常識と非常識そして、地理的断絶など、隔ている全てのものを指す。
読みながら、河合隼雄「影の現象学」が真っ先に想い浮かんだ。(が、なぜかわが家の本棚からすでに消えていた。)CGユングとカール・ケレーニイ「神話学入門」とジョーゼフ・キャンベル「時を超える神話」は、村上の「夢」の「夢読み」には、おあつらえ向きの「古い夢」といえる。アニマ、アニムス、童子神etc、さまざまな心理学用語と線で繋げられる。国際的「国民的ベストセラー作家」なので、今後、さまざまな角度から分析され、調理され、細切れにされるだろう。
でも、今回は、実は、一切の解釈はいらないし、どんな分析にも「正解」は永遠に訪れない。
なぜなら、「人生は、流れを味わい、今を生きるのみ」、というコロナの隔離を経験した73歳の村上が到達した現在の心境が、じんわり伝わってきたから。読書とは、無条件に身を預ける夢読みの世界。読み、書き、そして信ずるのみ。霊も、魂も、少年も出てくるが、なにも分析せず、何も記憶せず、いい波にただ乗るだけ。それは、あらゆる区切りから解放された「時」のない世界。
結果、読後感は、とても幸福だった。