子どもとゲームと生きる目的 (大人にも)
僕はゲームはしないし、子供の頃にやっていたゲームは野球盤とか人生ゲームとかオセロとかでした。
今朝の「あさイチ」でゲームに浪費する子供のことがテーマ(?)になっていたので、思うところあって書きます。
生きる目的
生きること自体に目的はないと思うけど、
生きるために目的は必要だと思うのですね。
どっちの方向に向いて歩いていくかを決めないと、そっちに行けないわけです。
例えばゲームに1万円使ったとして、それは何のための1万円なのか、はっきりさせることが必要です。
アプリに言われるがままに
というのが一番、よくないですね。
アプリというのは儲けるために作られていて、ゲームは最終的にはお金を払ってもらうような仕掛けがたくさんあるのです。
それはウェブサイトでもサブスクでも同じことですが、一般的なネット販売は情緒的な誘導をするといかがわしく思われるから、まともなサイトはそういった誘導は行わないのです。
しかしゲームにはそういう概念がなく、ゲームに没入している際の価値観や情緒をうまく使って、お金を取るように作られているのですね。
アプリに言われるがままに操作していると、まんまとその罠にハマるのです。
友達と仲良くしたいため
アプリに言われるがままにというよりはマシな目的ですが、仲良くしようとしている友達は、本当に自分にとって必要で、大切な友達かどうかですね。
たぶんそこまで、友達のことを考えたことはないと思うし、ネットだとどこの誰か分からない人を友達だと思い込んでいる場合もあります。
そんな軽い存在の友達と仲良くするために、ゲームをして、1万円を払うということは、妥当なのかどうか。
ゲーマーになるとか
そういう方面のエキスパートに将来なりたいと思うのは、前述の2つの目的よりはかなり評価できる目的だと思います。
しかし、本当にそのために、今のゲームをしているのか?
そのゲームをやることは、その目的に向かっていることなのか?
単なる口実ではないのか?
考える必要がありますね。
それができていなければ、ゲーマーになるとかいうことは、言わないほうがいいし、それが目的ではありません。
というわけで、ゲームに費やすお金と時間には、多くの場合、確かな目的はないのです。
それをやったからといって、将来、大物になるとか、金持ちになるとか、親に恩返しできるとか、そういうものは一切、ありません。
なんのために勉強しているか
これもゲームと同じです。
将来的な目的を持って勉強をしないと、それはただの時間の浪費だし、親にとってはお金の浪費です。
私学に行けば、お金が掛かります。医学とか工学とかは特にお金がかかります。
単なる見栄や、周囲との差別化のためだけにそういう学校に通うのではなく、将来何をするかについてはっきりとした目的・目標を持って通う。
日々、勉強することが、その目的に叶っているのか、常に検証することが大切です。
(日記をつけることをお勧めします。ブログでもいいです。)
学校でも、社会人のビジネススクールでも同じです。
誘ってくる方は
〇〇になれるよ〜
ともっともらしいことを言ってきますが、多くのプレゼンは、一部のたまたまうまく行った人たちの例を成功例として挙げてきます。
それを見て「自分もなれるんだー」と思ってフラフラと入ってしまう。
そこでも大切なのは、何のためにそれを勉強するか。
勉強したことが、ちゃんとその後に役に立つのか。
自分がイメージした方向に行けるのか。
検証する必要があります。
(スクールによっては、全く、勉強のための勉強をさせるスクールもあります。勉強しても「勉強した」という充実感しか与えられないのです)
それができない、やってもどうなるか想像できない、ということは、そのことをフラフラ・チャラチャラとやっているだけ、お金と時間をかけてやらされているだけなんだと認識しましょう。
そんなことでは絶対に、自分がなりたい自分にはなれません。