辞めない選択・捨てない勇気
「辞めよう」とか「捨てよう」とか考えるに至る動機って・・
さっぱりしたい
集中したい
逃れたい
っていう気持ちではないかと思うのですね。
確かに辞めたり捨てたりすると、この3つは達成できるでしょう。
でも、失うものもあります。
捨てて得られるものは何か?
それは「心の安寧」でしょうか。
または「新しい考え」
捨てて失うものは何か?
捨てたものそのもの
情報量
かけがえのない存在
思い出の半分
一緒にあるはずだった未来
意外に、失うものって多いのです。
自分の場合
昔はよく「リセットしたい」と思いました。
それで会社を辞めたり、人間関係を辞めたり。
持ち物を捨てたり。
でも、そのことによって失ったものは、取り戻せないのです。
モノは、今の時代だとメルカリやアマゾンで中古を探せば、カタチ的には取り戻せます。その点はいい時代になりました。
人間関係も、Facebook などで取り戻せる場合はあります。
しかしいくら Facebook でも、失われた関係性を修復することは困難です。それはお互いの気持ちの問題だから。
過去のある時点で、僕は失ったものの大きさに気づき
「もうリセットなど考えないようにしよう」
と思いました。
本当にくだらないことや、考え方からだけ、遠ざかればいいと思いました。
辞めない選択・捨てない勇気
辞めたり、捨てたりするのは簡単で、一瞬でできます。
それはとても楽な方法です。
その刹那に、楽をしたいと思ったら、辞めればいいし、捨てればいい。
しかし「絶対後悔なんかしない」とその時に思ったとしても、いつか必ず「少しは」後悔するときが訪れます。
はやる気持ちをグッと抑えて「辞めない」「捨てない」と思うことも、長い目で見ると良い選択である場合があります。
モノに宿る心
お金持ちの生活が豊かで素敵なのは、モノや関係が沢山あるからです。
そういうものを、大切に維持しようと努力しているからです。
仕掛かったことや、出会った人を、そのまま放置していることは沢山あると思いますが、豊かな人はそこに判断を下さない。
未来、いつか関係性ができるときのために、それを置いている。
せっかく手に入れたものだから、大事に取っておきたい。
「もったいない精神」のようなものがあります。
精神だけで生きられる人は稀です。
もしそういう人がいたら、立派な僧侶になれるでしょう。
自分が、凡人なのか僧侶なのか、判断してから生き方を考えても遅くないと思います。
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