郷愁
note のなかで就活のことを語ってみたり、学生時代のことを話してみたり、フォークやシティポップをシェアしては喜んでみたり・・
考えてみるとそういうことって、自分の中の「郷愁」なんじゃないかなあと思います。
今はもう、手にすることができないもの、体験することができないこと、それを単なる過去として放って置けない何かがあるんだと思います。
学生時代がそのまま延長されて今があるような人なら、それほどのものは感じないかもしれないけれど、自分の場合は「置き忘れてきたもの」があるように思います。
置き忘れてきたもの
高校生までは社会のことを何も考えなくて、勉強と遊び、趣味のことだけを考えてればよかった。
高校から大学に行くタイミングで、社会からの要請、自分が社会でどう生きていくか(どういう仕事をしていくか)を考えるようになり、進路を決め、その方向に進んだ。
でも、その進んだ方向は自分にとって素直な方向だったのか?というと、そうではないようにも思います。
あの頃は理系が引っ張りだこで、とにかく大学では工学部に行って卒業してエンジニアになるという黄金路線がありました。
もちろん自分がそういう方面に興味があったから、僕は理系を選んでそっちの方向に進んだけれど、もっと正直にいえば芸術大学なんかに行きたかったのかもしれないなと思うことがあります。
自分の適性は必ずしも理系じゃない。だって数学が苦手だったから。
それで国語なんかが無駄に得意でした。感想文は大得意。
じゃあなんで工学部に行けたかというと、理科が得意だったから。
電子・機械に興味があって、理科が得意だったから、僕は理系に進みました。そのことに何の不思議もありませんが、適性からいうとどうだったのか曖昧です。
高校の選択授業では美術を取っていて、個性的な教師に教わって油絵を描いていました。ターナーを模写したり、シュールリアリズムを描けと言われてコーラの缶を組み合わせたような変な絵を描きました。
その授業は楽しみでした。自分は数学とか英語とかの授業より、美術の時間が好きだったなあと。
でもあの頃、国語や美術をやって将来的にご飯が食べられるというイメージが無かったのですね。
目の前に黄金路線が横たわっていたから。見えるはずもありません。
大学に入っても、京都を散策するサークルに入ったり、日本文化が感じられる巨匠の小説を読んでその世界に入って行ったりしました。
ライタードリブン
自分は黄金路線を十数年進んだ後に、その道からドロップアウトしました。
デザイン関係の仕事に関わり、その後ソフトウェアに関わりました。その挙句に、なんだか知らないけどWebライターみたいなものになりました。
ライターの仕事を始めてからだと思いますが、妙に自分の高校生以前の興味と才能を振り返ることが多くなりました。
もしかしたら今はそのやり直しをしているんじゃないかなと思ったりして。
ライターという仕事(生活)を起点として、激しくフラッシュバックしているのかもしれません。
あの頃もし、バブルというものがなくて、理系の黄金路線もなくて、今みたいにSNSがあったらどうなってたかなと思うと、自分の人生は全く違うものになっていたんじゃないかと考えます。
あの頃はよかったという、ありきたりな回想や郷愁ではなくて「取り戻したい」という気持ちが強くなっていると思います。
簡単には戻れない(というか物理的には絶対戻れない)から、余計に意識するのだと思います。