ユニークであることは怖いけど楽しい
僕は自分自身、若い頃は「没個性だなあ・・」と思っていました。
でも今はとても個性的でユニークだなと思っています。
年齢的にはもう定年に近い自分です。
世の中の定年前のお父さん(一般的なイメージ)のような一抹の寂しさとか、第二の人生への希望とか、経済力とかいうものは持つことができません。
その代わり、若い人がやるような仕事に参加させてもらったり、ブログやSNSで好きなことを表現したりして暮らしています。
確かに今の仕事をゲットするまでは、とても不安でした。
だって、キャリアはいくつも分断されて古いまま放置していたし、若い人がやる仕事はやっぱり若い人の方が向いているから。
「定年先取り」みたいなシニアの仕事に携わろうかと真剣に考えていました。それが大人の選択かなあ・・と思っていたのです。
ユニークであることは怖い
世の中の同年代の人がやっていることと違うことをやるのは、勇気がいることですし、怖いことです。
うまく行かなくても、世の中のせいにできません。
群れを成している方が、はるかに安心です。
自分の価値は、自分で作り出さなければいけません。
「そんな若い子がやるようなことしてて大丈夫?」みたいな同年代の目(があるかどうか知らないけど)をよそに、周囲が引くような、誰も協力・助言できないような生き方を、あえて選ばないといけないのです。
ユニークであることは楽しい
みんなと同じことやって群れている方が楽しいと思う人もいれば、そうじゃない人もいます。僕は後者なのでしょう。
でも自分の周囲から見たら群れから外れているとしても、別の世界では群れの中心にいるかもしれない。
決してメジャーではないけど、ある特定の小さな群れの中にしっかりと位置づけられている。
そういうことがあれば、決して寂しくはありません。
自分の思う通りに考えて、やりたいことを実行して、それを評価してくれる人がいる限り、それはとても楽しいことなのですね。
ユニークは異端にもなるし特別待遇にもなり得る
僕はいま制作会社の外部ライターをしていますが、この仕事は、ディレクターが自分に合った仕事を回してくれます。
誰でも書けそうなテーマばかり追っていると、常に他の外部ライターとの競争に晒されてしまいます。でも、他の人に書けそうにないテーマでも大丈夫だということになると、そういう仕事を回してくれるのです。
専門的な知識が必要になるような記事は、誰でも書けません。
「〇〇の分野の仕事に携わっていた方」「〇〇の分野が好きな方」という風に募集があったときには、自分が当てはまると思ったらすかさず手を挙げます。
そうすると、少し待遇がよかったりするのですね。
ユニークは単にユニークなだけでは異端になるだけですが、役立つことがあれば特別待遇になることもあるのです。
「若い人がやるようなことをいい歳こいて未練がましくやってるおじさん」でも、やっぱり人生経験があるから若い人とは違う見方ができるのです。
老害と言われないようなプラスの見方をすれば、それは価値だと認識されます。
垣根を越えることはクロスオーバー
「交差点」という表現がありますが、東西に走る道と南北に走る道があれば、どこかでその2つは交差します。
その交差点には、両方の世界を走ってきた人が集まり、そのまま真っ直ぐ進んでいく人と、右や左に曲がる人がいます。
交差点は出会いの場であり、新しい世界への入り口であったり、出口であったりします。
いつもの道を外れたところに別の道がある。
複数の道(世界)がクロスするところに新しい世界が生まれる。
若い人の世界におじさんがいる(笑)
それがクロスオーバーで、何か新しいものが生まれる場になっていると思います。それだけを信じて、僕はユニークでありたいなと思っているのです。