noteは誰でもアーティストにしてくれる
携帯を変えた。
Galaxyから iPhoneに変えたら、操作方法も絵文字も違って、何だかLINEのやり取りもいつもの自分とちょっと違う。泣き笑いしていたり、両手を広げてニッコリしたり。与えられる絵文字が違うと、自分の感情もその絵文字に合わせて勝手に微調整される。
発信するSNSが違うと、また同じことが起きる気がする。
Twitter、Instagram、Facebookに YouTube、、
そして、note、
と書こうと思っていたら、noteはSNSには含まれていなかった。
まぁ、兎に角。
その場の雰囲気や周りに居る人たちで、「私達は幾通りもの私達になる」ということが、携帯の、PCの画面上の世界でも同じように感じられる、という話なのです。
例えば、根っこで言いたいことは同じでも、「どのプラットフォームで叫ぶか呟くか、表現するか」で、図らずも全く違う文章に、写真に、動画になっているはず。
それは無意識にそこにいるオーディエンスの雰囲気を推し量った結果であり、そのプラットフォームの仕様によるものであり、自分がそこで見聞きしているものからの影響を受けた結果でもある、のかな。
私はSNSにどっぷりは浸かっていないけれど、というか大学時代にFacebookに浸かりそうになって、慌ててアカウントを削除までしてしまった極端な人間だけど、ちょこちょことそれぞれのSNSを登録して「見る側」になったことはある。
そんな中、noteとの出会いは遅かった。
今年に入って、「書きたい」気持ちに気付いて、どのサイトでブログを書こうか探してみた。沢山のブログサイトを見ながら、そもそも自分が書きたいのは「ブログ」なんだろうか、私は「アフィリエイト」を書くことの見返りに、目標にしたいんだろうか。よく分からなくなってきた。
そんな中、とても静かなサイトを見つけた。
恥ずかしながら、聞いたこともなかった、「note」
サイトを開いていくつか読んでみて、すぐに「ここだ、私もここで書きたい」と思った。シンプルな構成のおかげか、「文字での表現」が情報の荒波に押し流されずに、ちゃんと「存在している」から、落ち着いて読める、書ける。
そして本当に「表現」したい人が集まっている、
「書きたい」想いが集まっている、そう感じられた。
noteを始めて、早半年。
私は私の記事を見返す。
本当によく書けている。
私以上に書けている。表現出来ている。
(ように見える)
原稿用紙に直接書き連ねるよりも、日記にひっそりと綴るよりも、他のブログサイトでアクセス数を競うよりも、
私の心の中を、思考を、文字に出来ている、そんな確信がある。
noteという創作の場があることが、
現代に生まれた特権かなぁ。
だって、こんな風に大きな労力も無く、印字されたような「それらしい」体裁になって、簡単に他の人に読んでもらえる機会がある。それも読み書きの好きな同志達に。
(勝手に同志にして、すみません。勝手に連帯感持って、すみません。そして、、ありがとうございます!)
今日も何処かの誰かに届くかも知れないという希望が、
表現する私の背中を押してくれる。
「表現」は自分がしたいからするものだけど、
その先に誰も居なければ、やっぱりやめてしまうと思う。
だから、これからもたった一人机上のノートに綴らずに、皆様お住まいのここ「note」に、私を表現し続ける所存です!
末長く、どうぞ宜しくお願い致します。
P.S.(noteへの要望)
noteに書きたいことがあり過ぎて、思いついたらメモしている下書きが沢山です。下書きの分類機能とかあったら、良くないですか?
あと、noteアプリからも有料記事が購読出来れば、ぐっと購入のハードルが下がる気がします!