カウンセリングの基本となった精神分析がSNSみたいと思った
私たちはなぜSNSに依存しやすいのか。
よく語られるのが、承認欲求という人間の根源的な欲望を刺激するからみたいなことではないだろうか。
このような説明が私的にはあまり腑に落ちていなかった。
そのような中で、内田樹の著書『寝ながら学べる構造主義』の精神分析を語った箇所を読んでふと思ったことがある。(哲学者、精神科医のジャック・ラカンの章)
まず精神分析とは、現代のカウンセリングの基礎となるようなものらしく(専門的に調べたわけではありません。ウェブでサッと検索してみただけです)
基本的にはクライアントに話を聞き、それを基に的確なフィードバックすることでクライアント自身が自分で原因に気づき症状が改善されるというものである。
ポイントは、精神的な病(正確にはヒステリーの治療から始まった、、はず)の原因は何かである。精神的な病は、嫌なことを無意識下に抑圧し苦しみから逃れるという心の防衛作用みたいなものが働くことに端を発する。嫌なことから目を逸らすことができ一時は解放されたかのように感じるが、抑圧されたものが精神に異常をもたらす症状が精神の病である、、、(かなり難しいので合っているかどうか分からないが現状の私の理解である)
これの治療方法が、精神分析である。分析する人がクライアントの話をひたすら聞くという治療法である(決してアドバイスや否定などはしてはいけない、、、はず)。そうすると、クライアントは語っているうちに自分を縛っている無意識下のトラウマ的なものを発見する。
クライアントがその原因に辿り着くと、自然に症状が軽減するというのが概要だと思う。
『寝ながら学べる構造主義』に書いてあった興味深いところは
クライアントが語る過去の話(基本自分語りを促すはずなので、クライアントは今までの自分の過去について話すことになる)は、事実ではなく創作されたものであるというところだ。
そもそも、人が自分の過去について語るときは決して正確に過去の事実を描写することは出来ないらしい。なぜかというと、話す相手に「どう思われたいか」によって内容が変わるから。
つまり、時と場合によって常に改変版を語ることになる。
そこに、承認してほしいという気持ちが含まれているわけである。
精神分析による治療の場でのクライアントの語りも同じで、「こう思われたい自分」を作っている。
ここでもう一つ興味深いのが、聞き手である分析者は「分析」とはいうもののそこに必要なのは「返事」のみであるとうことだ。
すなわち、クライアントの語る過去が正確ではなくて良いし極論なんでも良いから承認してもらえる場の中で自分のことを語り本人が抑圧されたものを排出していくことが目的になる。
この辺りまで読んで、これってSNSにおけるイイネとかグットボタンやフォロワー数に似ているなと思った。
具体的なアドバイスとかコメントする側の意見とかじゃなくて、単なる返事すなわちイイネ、グットボタン、フォローが分析者のような役割を担っているのではないか。
そもそもSNSも「こう思われたい自分」を主に投稿する場所で、基本的に自分語りの場である。
ここで冒頭に戻る。
私たちがSNSにどうしても依存してしまうのは、カウンセリングしてもらっている状況と似ているからかと腑に落ちたのである。
つまり、抑圧されたものを排出し、こう思われたい自分を承認してくれる場がSNSだったと。(すごく当たり前の結論になってしまった、、)
そう思えば悪くはないが、依存してしまっては問題な気もする。
逆に、カウンセリングに依存する人っているのだろうか?
プロのカウンセラーや精神分析者は、クライアントの自立をどのようにして支援するのだろうか?それが分かればSNSへの健全な向き合い方も分かるような気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?