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「コーダ あいのうた」

はじめまして

この一文から始めさせていただきます。

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「コーダ あいのうた」という映画を見た。

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豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。

というのがあらすじである。前情報として、聾唖者の家族の中で唯一、娘だけが健聴者である ということだけ知っていた。題名である「コーダ」は英語表記で「Coda」。これが主人公の娘の名前かと勝手に思っていたが、ルビーという名前だった。私の聞き取りと記憶が正しければ、劇中で「Coda」という単語が使われたのは1回だけである。映画を見終わっても、意味を完全には理解できなかったので、帰宅後調べた。「Coda」とは「Child of Deaf Adults」の略語として普通に使われているものらしい。「聾唖の親を持つ子供」という意味である。不勉強な私は知らなかった。ちなみに音楽用語にも「coda」というものがあり、終わりを表す記号だが特に関係は無さそうだ。

ありとあらゆる賞にノミネートされている話題作だ。誰もが聞いたことがあるアカデミー賞には作品賞・助演男優賞・脚色賞の3部門でノミネートされた。ちなみにこの作品は2014年のフランス映画のリメイク作品らしい。所々、設定なども変更されたようだが、一番の変化がある。それは聾唖者の役を健聴者ではなく聾唖者の俳優が演じたという点だ。原作の方では、聾唖者の俳優がいるにも関わらず、健聴者が演じたことで批判の声が少なくなかったようだ。今作の監督・脚本のシアン・ヘダーは、「耳の聞こえない人の役があるのに、耳の聞こえない優秀な役者を起用しないというのは考えられなかった」と語っていたそうだ。こうして耳の聞こえない両親と兄は実際に聾唖者が演じることになり、そのことも話題になった。

今作を見ていて特殊だなと感じた点は聾唖という障害を持った人が3人も登場したということだ。これまでも障害を持った方が役として登場する作品を見たことがあるが、基本的に1人だけである。特殊なんですよというような扱いで登場することが多い。実際、統計的に見ればマイノリティなのだろう。今作は少し違った。主人公ルビーが暮らす、ロッシ家は健聴者1人に対して3人が聾唖者である。つまり、ロッシ家でみたらルビーはマイノリティなのである。また「coda」でもある彼女は、世間からしてもマイノリティで肩身が狭い思いをしてきたのである。

聾唖者の大変さと、それを支えるcodaの大変さ。昔から通訳を行っていたルビーは周りに比べ大人っぽい。これは「coda」の宿命なのかもしれない。耳の聞こえない人が常に周りにいる、ある種の反動で歌が好きになったのかもしれない。さらに好きなだけでなく歌唱の才にも恵まれたビリーだが、そのことを分かってあげられない家族が見ていてすごくもどかしかった。

ビリーがコンサートで合唱を披露している際に、耳が聞こえず退屈なロッシ家は手話で夕飯の話をしていて妙なリアルさを感じた場面である。その後、ビリーがデュエットを披露することになり、歌声に注目が集まる。20人くらいでの合唱に比べ、2人で披露するデュエットは個人への注目度が自然と高まる。この場面で途中でミュートされるのである。映画館には100人はいたと思われるが全員が気配を消したかのようになにも音を立てないようにひっそりとしていた。そう、そのときに私たちは疑似的に聾唖というものを経験したのである。

その日の夜に、娘の歌を感じようとする父の姿が感動的であった。元々父は歌を聴く。正確には音を感じる。ベースのようなものは体に直接響くので、それによって音を感じていた。コンサートの夜、その日歌った歌をもう一度歌ってもらい、父はそれを聴こうと・感じようとしていた。娘ののど元に手を当て震えを感じることで音楽を感じようとしていた。それで伝わったのか真実は分からないが、確かに父のもとに届くなにかがあったはずだ。

手話は聾唖者にとって大事なコミュニケーション方法である。健聴者なら、声のトーンや強弱などで感情を伝えることができる。しかし、それが難しい聾唖者たちは手話で伝えるのである。それはボディランゲージとしての熱を感じる。手話で口論をする場面がある。この場合、口論というのは表現では少し違うのかもしれない。しかし、その口論はとても静かで、とても感情的だった。音がないけど伝わる熱量というのはこの映画の見どころの一つかもしれない。

印象的な場面の一つとして最後の手話だろう。今後私も使いたい。

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手の届く範囲にいるあなたが

幸せでいることを願います

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