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少年の君

はじめまして

この一文から始めさせていただきます。

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少年の君という映画を見た。中国の映画で、本土では2019年に公開された映画で、日本では昨年の7月に公開された。現在、映画館で公開はされていないが、動画配信サービスなどでレンタル可能である。自分はAmazonPrimeでレンタルして視聴した。幼い頃はTSUTAYAまで行って、レンタルしていたものだ。それが今となってはネットでクレカから引き落とされてすぐに見ることが出来る。全てが簡略化してしまうことに少し寂しさを抱くが、やはり便利になることには人間逆らえないものである。話を戻して、少年の君という映画だが、あらすじは次の通りだ。

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進学校に通う成績優秀な高校3年生のチェン・ニェン。全国統一大学入試(=高考)を控え殺伐とする校内で、ひたすら参考書に向かい息を潜め卒業までの日々をやり過ごしていた。そんな中、同級生の女子生徒がクラスメイトのいじめを苦に、校舎から飛び降り自らの命を絶ってしまう。少女の死体に無遠慮に向けられる生徒たちのスマホのレンズ、その異様な光景に耐えきれなくなったチェン・ニェンは、遺体にそっと自分の上着をかけてやる。しかし、そのことをきっかけに激しいいじめの矛先はチェン・ニェンへと向かうことに。彼女の学費のためと犯罪スレスレの商売に手を出している母親以外に身寄りはなく、頼る者もないチェン・ニェン。同級生たちの悪意が日増しに激しくなる中、下校途中の彼女は集団暴行を受けている少年を目撃し、とっさの判断で彼シャオベイを窮地から救う。辛く孤独な日々を送る優等生の少女と、ストリートに生きるしかなかった不良少年。二人の孤独な魂は、いつしか互いに引き合ってゆくのだが・・・。

壮絶ないじめ、苛烈な受験戦争、ストリートチルドレンなど過酷な社会問題を描いたサスペンスでありながら、2人が魅せるピュアな魂の交錯が激しく胸を打つ本作。

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いじめ、受験戦争、孤児といったところまで切り込んだ映画。特にいじめがメインで語られている本作。義務教育がある以上、ほとんどの人が通る学校という道。友情・恋愛がある一方でいじめが無くならないのが現状であり、たぶんこれからもそうなのだろう。

冷たく聞こえるかもしれないが、私の嘘偽りなく日々思っていることだ。ある程度精神が発達した大人の社会の中でさえいじめがある。それを精神が未発達な子供達の集団で起こさないようにするのは無理だと思っている。いじめはやめましょう・いじめを無くそうというような標語はよく目にする。今回の作品のようにいじめの残酷さを伝えるものも沢山ある。しかし、それらに目を向けるのは当人たちでないことの方が多い。駅の階段広告で、歩きスマホはやめようという広告が歩きスマホ当人には見えない皮肉さに近いものを感じる。それでも改善しなければいけないから様々な発信がされているのだろう。どんなに微力でも、変わるのならやっていくべきだ。

いじめとはやはり難しい問題だ。いじめをする理由は様々あるのだろう。いじめを受けていても、立場が弱く反抗できない。周りの子たちは次は自分が標的になるかもしれないから止めることもできない。たとえ訴えたとしても証拠を掴みにくいということがある。物的証拠ならなんとかなるかもしれないが、精神的いじめだと難易度が跳ね上がる。万が一いじめっ子が特定されて注意を受けたところで重い罰は下されない。なぜなら将来に無限の可能性を秘めた子供だから。もちろんいじめられた側がそんなこと納得できるわけがない。しかし、学校側は子供を教育する立場にあるため、悪いことをした子供は更生するように努めるものなのである。いじめが解決した時には、いじめた側もいじめられた側も教育者側も、誰も得しない。それでもいじめが起きてしまう。

それぞれに立場があって、被害者にならないために傍観者になって、被害者にならないために加害者にもなってしまう。いじめという問題の難しさを再認識した。

風刺しながらもストーリーとしても面白い作品であった

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手の届く範囲にいるあなたが

幸せでいることを願います

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