見出し画像

育てることの難しさ...自分を守る殻とは

上司の仕事が部下を鍛え組織の目的を達成することであるならば、その最大の役割は部下の「教育」にあります。

「教育」とは文字通り「教える」ことと「育てる」ことの二つから成っています。

◯ 教えると育てるの違い

このうち「教える」ことは比較的容易だと言われます。

「教える」とは、部下の持っていない知識や情報を与えれば済むからです。
そして本人も自分の持っていなかった知識や情報を知るという喜びや満足感を感じ易く、素直に上司に感謝してこれを受け入れやすいからです。

これに対して、「育てる」ことの難しさは経験を積むほど身に沁みて解ってくるというのが正直なところではないでしょうか。

なぜなら「育てる」とは、本人も気付かない、本人にとって大切な、本人の中に隠れている世界を上手に引き出し気付かせるという意味だからです。
これは単なる知識ではなく智恵であり情報ではなく価値なのだと思います。

その人の心の中に隠れた本質的な価値を見つけて、これを引き出し、気付きを与え、はじめてその人は新しい自分に出逢い成長するのです。
育つとは成長するということだからです。

◯ 育つための最大の障壁

しかし、人は皆、過去の体験で身につけた“自分の殻”を身に纏っています。

本来ならば「やどかりが“自分の殻”を自分だと思っているとすれば変だと思う」はずなのに、人は“自分の殻”を自分だと言い張り、何か失敗や不安があると、すぐに後ずさりして自分と外の世界との境界線であり縄張りである慣れ親しんだその殻の中に閉じこもり、それ以上深く考えることを止め、自分の“我”の世界に閉じこもってしまいます。

人を「育てる」のが難しいのは、その人を“我”という“殻”の中から引き出して、本当の自分に気付かせる必要があるからなのです。
なぜならば、“殻”の本質は、自分を護ってくれる防波堤ではなく、自分の成長を止める“檻”そのものだからです。 

しかし、多くの場合、人は慣れ親しんだ“自分の殻”から自分を引き出そうとする相手を、怖れ、恨み、反発します。
そして、殻に閉じこもる臆病な人は、殻の中の本当の自分(思想)を曝け出してしまいそうなことからは距離を置き、知識や情報(能力)を身につけることにより自分を守ろうとします。
それが、グズグズで不安定な基礎の上にビルを建てるような努力であることには気付きません。

◯ 育てる側の責任

つまり、「育てる」という立場に立つためには、相手に感謝されるどころか、怖れられ、恨まれ、反発を受ける可能性があるということを覚悟した上で...
もし、そうであってもすべては自分が上手く引き出し気付かせることの出来なかった自分の未熟さに責任があると思える強さを持つ必要があるのです。

なぜなら、“自分の殻”に閉じこもるのは「弱さ」の顕れなのですから、弱いものを追い詰めてしまった責任は、すべてが育てる側にあるからです。

まず、育てる側の自分自身の“自分の殻”を脱ぎ捨てるために、自分の目指すものと目指す理由を自らに問いかけながら...自分の価値観を高めていく必要があります

愛情がなくても人に物を教えることは可能です。
しかし、人を育てるには愛情が必要です。相手の成長を心から願って、愛情を注ぐ相手の怖れや恨みや反発とまで闘い続けなければならないからです。

「無償の愛」という言葉がありますが、「人の上に立つ」ということはとても尊いことだと言われる所以がそこにあるのです。
そのことを心に刻み励みにして...
自分と部下の成長のために今日も闘いましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?