馬車馬の日の鹿のうどん屋

去年の冬の日の話。
私の勤務する会社は秋冬が繁忙期だ。
人事では相方の産休育休や、定年退職、有志退職、アルバイト退職が重なるミラクルが続き、
コロナ需要、様々な理由での資材不足、納期遅延で勤続最大の危機と心労が続く日々。
早朝から2時間弱、人のいない事務所で黙々と、電話や来客に止められずに仕事をする時間はとても貴重で、それでも夜も残業するスマートでない日々が続いていた。
頭を空っぽにしたい日は無心に自炊をするのだが、この時は既に仕事が終われば頭は真っ白で、
とにかく糖質でエネルギーを満たしたい日々。

中でもとびきり頑張った日は、
帰路からまっすぐの大通りを行ききった程の片隅にある、「鹿水庵」といううどん屋へ行く。

高校生時代、アルバイト先の香川県出身の社員達が自分達の飲食店で働き終わったあとも営業しているうどん屋ということで通っていた店にバイト終わりついて行ったのがこの店との付き合いの始まりだった。

特にうどんが好物というわけでもなく、香川県民が通ううどん屋なら間違いないだろう、くらいの感覚だった私だが、ひとりで行ける気軽さと、ひとりでも急がずに食べられ、適度な時間ひとりで居られる、とにかくひとりで安心感のある店ということが長年通う理由だと思う。
特に、通い続けても店側との距離感がずっと変わらず一定なのが凄く心地が良い。
何年も前に見なくなった笑顔の印象的な物腰やわらかい年配の女性店員をふと思い出すが、現在は細身の女性店員が1人、壁にかかったテレビを眺めながら店の気配を感じている。私は注文の声を上げることがとても苦手だが、店の作りと女性店員の目配りもあいまって声をかけたい時にきちんと目線で伝わることが心地よい。

決算など、ひと仕事終えた日のご褒美メニューは、スペシャルぶっかけ。
名前だけ聞くと何が乗ってるか分からないこのぶっかけうどん。
冷たいうどんのメニューにしかないが、温かいうどんも伝えれば作ってもらえる。
冷たいうどんならギュッとしめられた麺のコシが、温かいうどんなら出汁を多く含んだ麺の旨味が、という満足感をその日の気分で味わえる。

この日は、「あったかい方」と注文した。
女性店員がオーダーを伝えに厨房への暖簾をくぐるくらいで、おでんを取りに行く。
食べると苦しくなるのは知っているが、
ここに来たら1本は食べておきたい。
田舎こんにゃく、牛すじ、厚揚げ、玉子、悩んで最後に選ぶのはほとんど大根。皿にとると、透き通った出汁が美しい。
カラシの壺の横にある、柚子味噌をたっぷりと大根の中心に落とすと、円周に向かってゆるりと広がっていく。他のネタなら辛子をつけるが、大根だけは柚子味噌が外せない。
串の先端には、ちょこんと小さい田舎こんにゃくが鎮座しているのも憎い。
スーパーの規格サイズよりも大きく感じる。
箸で割り口に含む。じわぁと大根から吸い込んだ出汁がにじみだし、味噌の奥深さと混ざり合い、柚子の香りが鼻から抜ける。少しスジがあるのは、自家製の大根だからだろうか。でもこのスジ、「家感」が増す。完璧、均一でないことの素晴らしさ。沁みる。

出汁のかかった冷たいうどんの上に山かけ、肉しぐれ、エビ天がどんと乗る大人のお子様ランチ感さえ感じるご褒美うどん、とてもスペシャル。器のヘリに添えられた山葵は、全部溶かしてしまっても辛すぎずに頂ける。
好みで天かすも。私は疲労度と天かすが比例する仕組みである。 
お湯を切ったうどんは私の乾燥したくちびるにくっつき、その温度と弾力を知らせる。
食べすすめるとつゆが染みて茶色い麺になっていく。
テレビをちらちらと眺め、鼻をすすりながらもくもくと啜る。
胃に全て入るとしあわせな満腹感が押し寄せる。
更に食べ終わった後の余韻にゆっくりひたる時間が赦されるこの店は本当に良い。

PayPayで支払い、店を出る。
運が良ければ手打ちの端きれの生麺もご自由にどうぞ、と袋に入っておいてあるので、ぜひ手にとってほしい。

以上、私の落ち着けるひとり飯のお店でした。

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