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ボケの暴力。あるいはおとボケなレンズ。

 フルサイズカメラに憧れたのは、高感度耐性や諧調性、Canonのレンズを35mmなら35mmで撮りたい(APS-C用の単焦点が少なかった)ということなどもあったが、なによりボケの魅力にハマってしまったということが大きい。
 フォトヨドバシのレンジファインダーというサイトで見た、ノクチルックスのあの被写体が立体的に見える写り。あれを再現したいと思って単焦点レンズに手を出してしまったのだ。

 単焦点レンズは沼だ。ズームレンズなんかよりずっとずうっと深い沼。しかしその沼が見せてくれる世界は面白い。

 今回は、自分が使ったことのある、すごくボケるレンズたちを紹介してみたいと思う。

ボケの計算?

 どこかで見たのだけれど、ボケの具合は簡単な計算で確かめられるらしい。それがこれ。

焦点距離÷F値

 その数値が何を表しているかまでは分からないけれど(有効口径の大きさだとは知っているが)、とにかくこうして数値に出せることで、異なる焦点距離、F値のレンズ同士を比較できるようになったのは自分にとって良かった。たとえば85mmf1.4と50mmf0.95ではどっちがボケるのか、数字で表せるのは、他被写体と背景と焦点距離の問題でボケるボケないは違ってくるとはいえ、一つの基準にはなる。

僕の好んだボカし方。

 それで計算していくと、400f2.8(142.9)や300f2.8(107.1)200mmf2(100)が数値100を超える最高にボケるレンズとなるわけだが、お値段もお値段だし、スナップ撮影なんかには不向きだしと言うことで現実的ではない。
 もう少し現実的に見ていくと、スナップ領域で使える、現実的に手に入れやすいことを考慮すれば、135mmf1.8あたりからだと思う。
 この135mmf1.8のボケ感は凄まじい。
 135÷1.8=75

 以前、ネットで135mmのススメみたいなサイトを拝見したことがあったが、銀座の歩行者天国、縦写真で、ほぼ全身を撮ったものだったが、背景がもう何があったのか分からないくらいにボケていて、まるでいろんな色の混ざった画用紙に、被写体が描かれているかのようだった。
 85mmf1.2のバストショットの写真でも、同じように背景がボケの中に整理されて、かわいい子どもの笑顔が、ばあーぁんっと写っているのも見たことがあるが、そう言う、被写体以外全部ボカしたるぜ!という写りには個人的にはちょっと距離を置いている。(とはいえ、さすがに全身入れてもボケてるって凄い!とシグマの135mmに手が伸びそうになったけど)。
 それは、僕がポートレートを撮らないから。あるいは撮ったとしても、その場の雰囲気が伝わるくらいに背景が見えた方がいいからだ。
 ポートレートを撮るのがうまい人なら背景を処理しちゃって、その人の佇まい、表情のここぞ!というところを引き出せるのだろうが、いやはや、ネットでそんな作例を見るにつけ、暗澹たる思いになる。それよりは場の雰囲気も含めて撮った方が僕の場合は合っている気もする。そんなわけで近づかないように敢えてしてきた。

 しかし、135mmという焦点距離はけっこうスナップしていて楽しい。すっと自分の欲しい枠を与えてくれる。だからボケるボケないは別として135mmはとても扱いやすいレンズだなと(一般的な意見とは異にして)感じている(ただし他の焦点距離との併用必須)。

 それではどんなボカし方がいいのか、と言えば、背景がそれとなく何か分かるけれど被写体が浮き上がって見える、そんなボカし方だ。先程書いたように、あのノクチルックスの描写。あれがとにかくたまらなかった。そう言う3D的描写は、分かりやすく人にこのレンズすげー、ということを伝えてくれる。もちろんそれは、レンズの明るさや性能だけでなく、被写体までの距離、背景との離れ具合なども影響するわけだが、ともあれあのノクチルクスショック以降、僕はそんな描写をしやすいレンズを探すようになったのだった。

http://rangefinder.yodobashi.com/lens/leica/noctilux50.html



200mm÷f2.8=71.4

 自身が持っていたなかで、数値上いちばんボケるのは、EF70-200 f2.8 L ISだった。これで撮ると、背景がさっき述べたようにきれいに整理され、被写体を美しく描いてくれた。
 ただ、立体感のある描写を、つまり背景がなんとなく分かり、被写体が浮き上がって見える撮り方は難しく、このレンズでそんな撮り方はしなかった。このような撮り方がしやすいのは135mmくらいからだと思う。

85mm÷1.4=60.7 75mm÷1.25=60

 85mmは僕が、もっとボカしたいと、意図をもって購入した最初のレンズ。これでなんでも撮った。シグマの、まだARTだとかそういうカテゴリ分けがなされていないレンズだったが、収差はあるものの、とてもシャープな絵が撮れた。これで撮ると、被写体がくっきり浮かび上がり、例えば何の変哲もない林のなかで、視線の誘導を行うことができた。
 一方、75mmは中国製のライカMマウントであるが、同じくらいの有効口径であるものの、シグマの85mmと比べると、ぐわっとした分かりやすい立体感は出しづらいようだ。明るければいいってもんじゃないのかな、と頭をひねる現象に出くわすことになる。ただし、このスペックはノクチルックス75mmと同じである。当然、ピントそのものはとても狭い(そして解像度は極めて低い)。

75mm÷1.4=53.6

 ズミルックス75mmである。描写としては柔らかいのだが、これがなぜかはっとする描写をしてくれる。光の具合も含め、被写体が浮き上がる描写をしてくれる。それが故に、ピントも合わせにくいし、重いレンズだが、けっこう頻繁に持ち出すレンズで、アホみたいに開放で撮ってしまう。ピントが合うと、おっと思う描写をしてくれる。
 ボケ感としては、1.25とどれほど違うのか、正直分からない。
 分からないけれど、F値を少しでも明るくしたいと思ってしまうのは、自分がダイエットすればいいだけの話(かつそっちのほうがあらゆる面でいいはずだし、効率的だし、経済的)なのに、部品を高いお金を出して購入し、100グラム軽量化していえーい!となるロードバイクの話のようなものだ。
 その非効率的な行為を、我々は「ロマン」といい、家人は「浪費」という。

50mm÷0.95=52.6

 このスペックは憧れていたあのノクチルックスそのものだ。ただし当然、ホンモノは買えない。だからこれも中国製のレンズである。
 確かに立体感は出る。撮影者、被写体、背景の関係をしっかり調整すればあのレンジファインダーのHPで見たアレは出せる。出せるが、うーむ難しい。滲みが強いせいか、なんならEF50mmf1.2Lの方が比較的容易に浮かび上がってくるくらいだ。

 ところで、自分の撮りたい立体感のある写りは、75mmかこの50mmあたりが撮りやすい。なぜなら、背景をそこそこ広く切り取ってくれるからだ。
 そんなわけで、50mmレンズは今あるのだけでも、5本はあるという狂った状態に。

90÷2=45

FUJIFILMのxf90mm を借りて使っている。
これ、うまくやると、被写体がクワっと浮いてくる。ボケもきれい。きれいすぎる。もう少しコンパクトであったなら、アポスコパーと置き換えしてしまうかもしれない。アポスコパーは絞りを一段抑制した分、コンパクト。そしてめちゃくちゃ写る。立体感は出しにくいが、そこに物体があるというボリューム感は感じられる。その点でいうと、時と場合によってはxf90mm はちょっとべたっとした写りになるなと感じることもある。しかし総じていいレンズだと思う。noteで見かけた写真は、あ、これ、立体感出てるな。と感心してしまい、兄貴からちょっと拝借してしまった。

 実はズミクロン 90mmを安くでゲットしてしまった。整備が必要かと思ったが、それも必要ないようだ。少し使ったが、クワっと被写体が浮き出てくる。

50mm÷1.2=41.67

 EF50mmf1.2L 僕がとても好きなレンズである。もう手元には、ない。
 そう読点を打ちたくなるくらいには好きで思い入れの強いレンズであった。
 0.95と比べると、かなり有効口径の数値が低くなったが、なんとなくの印象で、そこまでボケが大きく違う、という感はない。75mmや85mmと比べてもだ。
 それはおそらく、立体感を出すために被写体との距離を調整してしまうからだと思う。最短で撮ってみたら、差は出て来るだろう。
 なんにしても、このレンズで、そういう撮り方をするとけっこう印象的な写真が撮れることが多かった。ああ、いいレンズだったなあ。買ったときの3分の2くらいで泣く泣く手放したけど、いまだに惜しい。

35÷0.95=36.8

 FUJIFILMにつけた中国製のレンズ。APS用。わずかに50mmf1.4よりボケるはずだが、狙ったほど立体感は出ない。ちなみにこのレンズ、スピードマスターだが、このF値なのに画質はけっこういいと思う。変な癖もあまり見当たらない。これでばんばん立体感ある写真が撮れていたら、ライカなんか買わなかったかも知れない。

50mm÷1.4=35.7

 このスペックのレンズを、僕はズミルックスでしか経験していない。そして立体感をけっこう容易に出してくれる(気がする)。どのカメラメーカーにも存在するスペックだが、普段使いには充分なボケ量を持つ。数値的には200mmf2.8の半分だし、85mmf1.4からもかなり差はあるように見える。そして確かにそれよりもボケていないことは目に見えてわかる。そのため、立体感とはボケの強さによって出せるわけではないのかと疑問符を抱くように。


50mm÷1.5=33.3

 ヘリアークラシックだから、はなから立体感はあるとは思っていなかった。つまらぬ期待はするな。俺は期待してない。たぶんしてないと思う。してなかったんじゃないかな。ま、ちょっとは期待しておけ。(なんで)
 果たしてボケはしっかりあるけれど、被写体が浮かび上がってくるぜ!という感は弱い。購入したあとでみたレビューでも似たようなことを書かれている方がいて、なるほどと思いつつ。しかし、レベルが違うことに愕然とする。


 あと、セイケトミオさんの作例はとにかく卑怯だ。あんなのもうレンズの作例ちゃうやん。
作例じゃないのに、見ると欲しくなるのだからやっぱり作例なのかな。


50÷2=25

 F2のレンズはズミター、ズミクロン、そして一時期アポランターを使用していた。
確かにボケは控えめだが、それなりにボケると思う。
 ただ、これがさ、背景ボケはそれなりなのに、時折ぐっと立体感を感じる写りをしてくる。アポランターも、ズミクロンも。これはどう言うこと? 

立体感の出方は明るくなければならないわけではないのだろうか?

 これまで明るいレンズでなければ立体感は出ないと考えてきた。けれどもそうでもないらしい。少なくともF2のレンズでもなんとなく立体感を感じるものがあるし、F1.5でもそれほど感じることができないものがある。
 (もちろん、立体感が出たらいいレンズというわけではないし、ヘリアーにしろズミターにしろ、その独特な描写で魅了してくれるものもある。)

 これは一体どういうことなんだろうと考えてみた。その時考えたのが、立体感とはとどのつまり背景との分離であって、それが被写体との距離感とのバランスで浮き出て見えるのだと考えれば、F2でもそこがきちんとしてれば浮き出て見えるのだということだった。そしてその時により立体感が出るのは、まさにその背景との分離する輪郭の描き方なのではないか、と思ったのだった。

(ひたすら何言ってんだという内容ですが、特にこのあたりからは文系の物理特性なんか全く知らない人間の戯言と思って読んでくださると助かります。ええ、ほんとにもう見当違いもいいところかも知れませんし、そんなことは当たり前だ、ということかも分からない人間の戯言です。) 

 エルマー5cmf3.5のレンズでも、あっ、これ出てるね、と感じる写真を見たことがある。
 そうか、当然明るいレンズの方が背景と分離しやすい分、立体感は出てくるが、そうでなくても、背景がボケていれば、この見え方はするのか、と。
 となると、逆に明るいレンズなのに立体感をあまり感じないレンズがあるのは何故だ?

 こんなことを考えているうちに、マイクロコントラストという言葉を知った。

 …うーん、わからん。でも、これか。これが理由なのか…。

 個人的脳内変換で、つまりは、ナイフで食材を切ったときの、その切り口のことだと考えてみた。
 スパッと切れるナイフは、その断面がキレイに見える。しかしなかなか切れないものだとそうはいかない。
 よくマンガなんかで、包丁のテレビ通販ネタで「見てください!トマトもこんなにキレイに!トマトは切られたことに気づいていません!」みたいなことをやっていたりするが、そんな切れ味。(この例え必要ないな…。)
 ボケとピントの合っているその境界の描き方。まさにこの切られた事も気づけないくらいの切れ味のときに立体感は生まれるのではないか、と思う。
 だからボケの強い明るいレンズはその立体感が出やすくなるのは当然として、そんなに明るくなくても切れ味が鋭ければそのように見えるのかもしれない、そんなふうに考えてみた。

 中華製の50mmf0.95は確かに明るいので、立体感が生まれる。しかし、ズミルックスの方が一段以上明るさに差があるにも関わらずよく立体感が出てくる。それは、被写体とボケとの切り離し方によるものなのかな、そう思うわけだ。だとすればズミクロンでも出るし、もう少し暗いレンズでも立体感は出せることになる。また、そういう切れ味鋭いレンズだったら、等倍にしてもしっかり写っているというわけでもない、ということにも説明がつくような気がする。
 マイクロコントラストという言葉がいったいどんな意味合いなのか、いろんな記事を読んでもみたがいまいちピンと来ない。けれども、それは、物を切った、その断面のことだ、と思うことにとりあえずしてみる。なんとなくそれで納得しておこうと思う。

 ただ、問題は、ナイフはそりゃ切れ味鋭い方がいいに決まっているが、レンズはそれだけではないということ。そのレンズを良いと感じるポイントは他にもある。ヘリアーは立体感の出にくいレンズだと思うが、独特の描写をしてくれるし、同じ90mmf2となるXF90mmとズミクロン90mmでは、ズミクロン90mmの方が立体的な写りをするのに対して、xf90mmは出ない事もないが、ズミクロンほど出てくるわけではない。が、写りは本当に上善如水で、どこまでアップにしても、被写体はキレイに写ってくれていたりする。切れ味鋭ければいいレンズとはならないし、よく解像してくれればいいというわけでもない。そんなところがあるからこそ、レンズという沼は深いし、広いし、抜け出せなくなるわけで、とっても恐ろしくて楽しいのだ。

上記のそれぞれの項目の写真は、該当するレンズでそれぞれ撮ったもの。最近、このときどのレンズを使ったのか覚えていないことが多くてちょっと困る。ライカは特に6bitがないレンズだとマニュアルで設定したしないといけない。そんなわけで、立体感をあまり感じなくても、とりあえずこの写真はこのレンズだ!と言えるものを掲載した。

さらに以下では、あ、これ立体感出てるよね?というものをランダムにあげておきたい。世間で言うところの立体感と僕の感じているそれが一致しているかどうか…。ご覧ください。

ボケの暴力を使う、おとボケなカメラマン(=僕)

 僕はボケるレンズにすっかりハマってしまっている。背景がボケる。もっとボケを!もっと、もっとだ!とやっていくうちにいろんなレンズを手に入れた。
 けれども、それって、自分は写真を撮るのは好きだけれど、うまくはないって、自分で言っているようにも思ってしまう。なんでもぼかせばいいってもんじゃない、そういうことは分かってはいる。けれど……。
 僕はとにかくボケの暴力を使って撮ればいいと思っている、そんなおとボケカメラマンだ。だが、その暴力的なボケが好きだからこそ、スマホでいいかとはならずにカメラを、写真を趣味にしてきたのだ。

 スマホでいいか、の方が金銭的には幸せになれたかもしれないが。そこは言うまい。


 趣味のおかげで、インドアな自分が外に出るようになった。楽しみができた。写真としてはおとボケだけれど、まあいい。ボケをぐいんぐいんと使って、遊んでいるだけでも楽しいんだから、さ。

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