キレイゴト
度々書いているけれど、私はメンタルヘルスの雑誌『こころの元気+』に当事者として投稿していて、時々文章やイラストやマンガを載せてもらっている。
『こころの元気+』との出会いは、私の伯母さんの紹介だった。
こんな雑誌があるよと教えてくれて、何冊かくれた。
いとこのお兄ちゃんもまた当事者で、私とは別の疾患を抱えている。
この前、その雑誌に私のイラストが載った時、定期購読をしている伯母さんに、そのことを教えた。
以来、私の記事を読んでくれているそう。
この間、母が伯母さんやいとこ達と食事をした。
帰宅した母が、いとこのお兄ちゃんも私の記事を読んでくれていることを教えてくれた。
「でもちょっと綺麗事っぽいよね。
もっと赤裸々に本音をぶつけた方がいい」
というようなことを言っていたそう。
キレイゴト。
「そうかもしれない。」と思った。
私が書く文章は、私の気持ちに嘘はついていないし、偽りは無い。
それははっきり言える、けど。
原稿の募集には、いつも決められたテーマがあって、求められているような文章を書こうとしているところがある。
いい子ちゃんの発想。
前向きでありたい、卑屈になりたくない、という思いがあって、それは悪いことではないと思うけど、私は取り繕っているのかもしれない。
赤裸々に、本音・・・
私はなんだか、自分の本音というか本心がよくわからないところがある。
それに恥ずかしがり屋で、赤裸々にさらけ出すなんてことができない。
包帯でぐるぐる巻きにしてしまう。
本音よりも合理的な考えが先立つ。
今だってこのnoteをどうまとめようか考えている。
いや、キレイにまとめてしまうのはやめよう。
私の場合、本音に耳を貸さず、抑え込んでしまうから、積もり積もって躁という形で爆発するんじゃないかと思う。(あくまで私の場合で、そんな気がするというだけです。)
日頃からうまく発散することの大事さを感じている。
でも緊張しいで喋るのが苦手だから、赤裸々に本音をまくし立てるみたいなことは難しい。
私に合ったやり方で、例えば気持ちよく楽器を弾くとか、歌ってみるとか、軽くスポーツをするとかして発散できないかな。
本音に耳を傾けることは、まず課題で、人が私にどうしてほしいかじゃなくて、私がどうしたいかを大切にしたい。
・・・やっぱり綺麗事みたいだな。
表面を塗り固めてきた殻は分厚くて、いきなり赤裸々にはなれない。
最後にお知らせです。
『こころの元気+』12月号の「双極性障害 私の打ち手」というコーナーを書かせていただきました。
生活の記録をつけていることや、うつ状態がきつい時にどうしているかについて、2ページに渡って載せてもらっています。
コメントで読んだよと教えてくださった方がいて、とても嬉しかったです。
もしまた読まれた方がいましたら、お手柔らかに感想を教えていただけると嬉しいです。