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柿原朱美はAKになった

徳永英明が「もやもや病」と診断されて活動を休止中、今井美樹の歌でこころを癒されたと、どこかで振り返っていた。その歌のいくつかは、もしかしたら柿原朱美の作曲だったかもしれない。

私は今井美樹の歌を知らない。邦楽をほとんど聴かなかった。なぜあの時、レンタルCD店で柿原朱美のアルバムを借りたのか、どうしても思い出せない。ラジオで歌声を聴いたのだろうか。直感だったのか。初見のシンガーソングライターのアルバム『Refile』(1993)を借りて、自宅で聴いた。

『空に近い週末』は、今井美樹への提供曲である。歌詞にぴたりと沿ったメロウな旋律と声、哀切、希望。

カセットテープに録音し、スバルを運転しながら聴いた。こころの孔に浸透し、私を癒した。どの曲もキャッチ―で、一度聴いたらメロディーが頭から離れない。チープではなく、邦楽では初めての体験だったのかもしれない。

数多くのアーティストに曲を提供しながら、シンガーとしての彼女は世に広く知られていない。不思議だった。洋楽:邦楽=20:1ぐらいであった私のライブラリーにおいて、貴重な日本人女性ボーカリストだった。

当時の私は、虚無の渦巻くあぶなっかしい人間だった。人生の残り時間は気が遠くなるほど残っていて、まだ何も始まっていなかった。金がなく、子ども料金で切符を買い、自動改札を通る。駅員はランプ点灯で把握していたはずなのだが、咎められなかったのは痩せこけて背中を丸めた青年を見逃してくれたとしか思えない。

彼女の歌には、ボディーブローを絶え間なく食らった内出血を鎮める効果があった。Tracy Chapman 『Fast Car』(1988)と記憶が重なる。

30年後、彼女は今どうしているのだろうと気になった。名前を聞くこともなく、あれだけアンニュイではかない歌をつくる人は芸能界から消えたのだろうと思った。

調べると、その後の彼女は「AK」となって世界のクラブシーンを席巻していた。ニューヨークに移住して、海外リリース『Say That You Love Me』(2001)がリミックスされて大ヒット、有名DJと結婚、当地で活動している。

このゴージャスな女王感。驚いた。あまりにも大きな変身に見えたからである。安室奈美恵ではなく、柿原朱美なのだから。私を癒したシンガーソングライターが、ダンスミュージックとは。

でも、聴けば私が知っている彼女の歌だと感じる。やはりメロディーと声は彼女であり、あの抜け感がある。リミックスのドライブ感は最高に好きなのだが、原曲ではレンタル店で偶然出会った頃の彼女を、シンガーでありソングライターであり、セルフプロデューサーである彼女を、より近く感じる。

これまで歩んだ道は彼女にとってきっとシームレスで、転身でも変身でもなく、夢見た地平に立ったのだろう。

才能は隠しきれず、溢れ出す。決して有名ではなかった柿原朱美が、太平洋を横断する単独飛行士になり、AKになった。とても嬉しい、30年ぶりの再会だった。

幸多からんことを。

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