あのころ私は、仕事でも私事でも、選べる場合はANAに乗っていた。マイレージカードを持っていたからだ。そして、機内誌『翼の王国』に連載されている『おべんとうの時間』に出会った。
写真は阿部了さん、文は阿部直美さん。夫婦である。発表する場のあてもなく全国の「お弁当の人」を取材し、その後『翼の王国』で連載が始まり、NHK『サラメシ』に繋がっていく。
機内で読んだ漆掻きをする人の記事が、鮮烈な記憶として残っている。ポートレイト、弁当、取材文。機上に私がいる今、地上に漆を搔いている人がいる。
空港の売店で、書籍化された『おべんとうの時間』を発見したときの驚きと歓びは今も忘れられない。知らないうちに3巻も出版されていて、迷わず全巻買ったのだった。現在、4巻まで出版されている。
稀有な本である。全国の働く人や子どもたちを訪ね、お弁当を撮影し、お話を聞く。お弁当の向こう側には、その人だけの物語が広がっている。とても些細なことが心のどこかに引っ掛かっていて、呼びさまされ、語りはじめる。宮本常一のフィールドノートを読んでいるようだ。
お弁当をつくること、つくってもらうこと。それは、続けることだった。何があっても、今日を続ける。
父が亡くなり、忙殺された諸手続きが一旦落ち着き、私はひとり暮らしとなった母に『おべんとうの時間』1~2巻をレターパックで送った。すぐに母から次を送ってくれと催促が来て、3~4巻を送った。
なぜ、母にこの本を送ったのだろうか。母と私の記憶を呼びさます何かがあった。誰よりも遅くまで寝ず、誰よりも早く起き、母は私たちのお弁当をつくった。私が『おべんとうの時間』の取材を受けたなら、何を話すだろう。こんな話になるだろうか。
本に添えて母に手紙を書くとしたら、封筒を分けて2通書くだろう。1通は、感謝の手紙。心身を削って私たち子どもを育て、生かし続けてくれたこと。そこには、深い愛情と覚悟がありました。
もう1通は、こうなるだろう。あなたはこの世の終わり、ハルマゲドンがすぐに来ると信じている。信者は生き残り、永遠の命を約束される。信者ではない人たち、信じなかった人たちは滅ぼされる。『おべんとうの時間』に載った人たちは、全員その場で死にます。
あなたの信じる真理は、もしかしたら本当かもしれない。仮にそうだとしても、この人たちが一瞬にして死ぬ運命にあるならば、私は一緒に死にます。真理を信じず、邪悪な誘惑に負けたとされて死んでゆく、こんなにもいとおしい人たちとともに。