落ち穂を拾う風
かつて棚田であったところは耕作が放棄され、石垣が崩れ、川からの濁流で砂礫が流れ込み、イノシシがわがもの顔で掘り起こし荒れ果てていた。猫の額ほどの小さな19枚の田んぼは合わせても3反しかない。石垣を直し、水路を直し、水漏れを塞ぎ、砂礫を撤去し、私は初めての土地で棚田の再生を始めた。
ひたすら土木作業で整備した田んぼに水を引き、田植えをしてしばらくすると稗が生え始め、除草に追われる。引き抜いた稗を土嚢袋に入れ、一杯になるとぬかるみに足をとられながら軽トラまで運び、荷台にぶちまける。気温がぐんぐん上がる中、作業を延々と繰り返す。やがて足が止まり、ふらつき、倒れそうになる。声を発しようにも口が動かない。熱中症だった。
這うように泥から脱出し、川に飛び込み頭を冷やす。清水を飲む。危ない。川から這い出てコンクリートを打ったスロープに木陰を見つけると倒れ込んだ。
目を覚ますと夕方になっていた。数時間、気を失って眠っていたのだった。風に吹かれ、頭はクリアで、とても気持ちが良かった。これほど深い眠りについたのはいつ以来だろうか――。
日本海に海水浴に行き、友人とふたりでフロートにつかまって沖へと泳いでいった。振り向くと浜はとんでもなく遠く、ときおり波頭で見えなくなる。離岸流に流されたのだった。ふたりは必死になって浜へと泳いだが、強い対流に阻まれる。命の危険を感じながら、何十分もかけて這う這うの体でたどり着き、ぶっ倒れ、眠りつづけた。
ヒマラヤをトレッキングしていた。そこは生活のための山路で、地図もなかった。激しいアップダウンを繰り返し、数日後にあまりの疲労で聴力を失った。翌日、目的地にたどり着き、宿をとり、水浴びし、着替えて床に臥せた。私は気絶して眠りつづけた。
GW前に北関東の山に入ると、まだ雪が積もっていた。道を見失ったまま日が暮れ、雪を掘ってビバークした。雨が降りはじめる。雪の中に直接横たわり、アルミシートを掛けた。体は芯まで冷え切り歯はがちがちと鳴り、一睡もできない。翌朝、来た足跡をたどって暴風のなかを戻り、遭難を免れた。麓の温泉に入り、休憩所の畳に倒れて眠りつづけた。
いずれも過酷な体験へのねぎらいのように、深く安らかな眠りがもたらされたのだった。目覚めはこのうえない多幸感に満ちていた。
棚田は災害に弱かった。大雨が降ると上流から石が転がり込む。電柵をものともせずイノシシが侵入する。大陸から飛んできたトビイロウンカが卵を産み付け、稲の養分を吸って枯らす。台風が収穫前の稲をなぎ倒す。収益は望めず、きれいごとでもない。
稲刈りを終え、脱穀し、精米所に運んだ。稲わらを石垣に立てかける。落ち穂を拾う。誰もいない。晩秋の空気には冬の気配が混じり、空は高く、光は波動ではなく粒子だった。セキレイがさえずり、清流から吹き上がる風が瞳を潤ませ、後頭部から抜ける。梢の擦れる音。藁の青い匂い。疲れた足腰を屈め、淡々と落ち穂を拾う。私は真実に触れたと錯覚する。すべての要素が調和したこの瞬間がもう少しだけ続いて欲しい。そう願った。
還っていく。
ツルは南を目指してシベリアを飛び立つ。ザトウクジラは暖かい海域へと泳ぐ。サケは北の故郷を遡上する。
きっと、還っていく。