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彫刻家が淹れるコーヒー
ふたりきりでやっていた会社の社長による背任行為を知った私は電話で辞めると告げ、コンテナの事務所を出てジムニーのエンジンを始動した。
騙されていたことを知った私は混乱したまま行先もなくド田舎の道を運転した。また無職になる身の上よりも、人に騙された怒りと悲しみが体内を満たし、吠えた。
街を抜けてしばらく走ると、左手に木造の家屋が見えた。珈琲と書いてある。よし、コーヒーを飲もう。減速して車を駐車し、趣のある扉を引いた。中は薄暗く、すべてが木でできていた。
客はおらず、私が入ってきて主人は少し驚いたように見えた。40代半ばで髭を生やした小柄な男性だった。注文すると奥に入り、しばらくすると豊かな焙煎香が漂ってくる。
深く炒られたコーヒーを口に含み、ため息のようなひといきをつく。この24時間の予測できなかった出来事の数々を思い起こす。
二階のギャラリーに案内されたのが先だったのか、私がここにいる理由を話したのが先だったのか、憶えていない。主人は彫刻家であり、片手間に喫茶店を営んでいた。この家屋も自分で建てたという。
気がつけば私は主人と話し込んでいた。会社を飛び出したいきさつを話し、慰められた。
次の仕事を探しながら、私は足しげく彼を訪ねるようになった。高校を出てすぐに弟子入りし、彫刻家として身を立てた彼を私は尊敬の目で見つめていた。身を立てるには厳しい世界であり、市民向けの工芸教室が主な収入源だったのではないだろうか。
彼の母は、終戦を大陸で迎えた。夫は戦死し、引き揚げ船の甲板に赤子を抱いて座っていた。夜、赤子は突然の荒波にさらわれ、真っ暗な海に消えた。帰国後に再婚して彼が生まれた。母は戦争の不条理に異を唱え続けて波乱の生涯を閉じたという。
ハローワークのキーワード検索で引っかかった会社が東京にあった。以前に飢餓状態に陥った記憶がまだ新しく、私はどんな職業でも失業保険が切れるまでに就職する決意をしていた。面接を受けると運よく採用が決まり、貯金が尽きる前に上京が決まった。
彫刻家を訪ねると、彼はスーパーで寿司を買って待っていた。なぜこのような境遇なのかを説明しなければならないと感じ、私は生い立ちについて話した。彼は静かに頷き、聞いてくれた。
上京してしばらく経ち、彼は有名な展覧会への出展に合わせて私を訪ねてきた。美術界の重鎮との付き合いもあるだろうに、夜は私と居酒屋で飲み、ワンルームの私の部屋に泊まった。
コーヒーを飲むために飛び込んできた私を東京まで訪ねてくる彼に、私は畏敬の念を禁じ得なかった。サラリーに頼る私とサラリーに頼ったことがない彼。何が隔てているのだろう、と今でも思う。