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価値観もメンタリティーも、無国籍で良いのだ

この一ヶ月くらいの間に、自分の内側も周囲の状況も色々な変化があった。

ジャーナリングも始めた。

一時はもうこの人からの情報は取り込んだから要らないな、と思っていたような人にネット上で再会し、その人も成長しているものだから、また学ぶべきことを発見したり。

10月は心地よい忙しさがあったなぁ、と思ったけれど、それは好きなことをする予定を好きなように組み込めていたからだ。恵まれている。

中旬に東京で二人の友だちとそれぞれ久し振りに会って楽しい時間を過ごした。ひとりは欧州在住で一時帰国中であった。会うのは10年ぶりくらいだった。もうひとりの友だちも知り合ったのは欧州だ。懐かしい話、新しい話が山ほどあった。東京で美味しいものを食べ、まったりと色々な話をすることができ、リフレッシュした。隙間時間には、よもぎ蒸しサロンに行ったり。


友人は抹茶オ・レ、私はこのザクロフロートを注文。
レトロなグラスが可愛いので写真を撮った。


彼女たちとの話が楽しくて、本音の付き合いができるのは、それぞれの歩んできた道で触れたことのある多様な価値観から自分はどうあることが心地良いのかをきちんと選び取って(無意識であるかも知れないけれど)いるからだと思った。周囲のペースに全く流されていない。

目的はそれぞれ違っても、その姿勢から見習うべきことが沢山あるな、と思った。姿勢と言えば、何より二人ともスーッと背筋が伸びていて、話す声が柔らかで落ち着いている。

「どこにも属していない感」は悪いことではなく、地元・集団密着型の人生が合う人もいれば、色々な場所で過ごしたことで自分を形成していく人生もある。

これからますます戦後の「昭和」なシステムが壊れていく時代になっていくから、もともとそこにハマれなかった私のようなタイプには嬉しい流れなのかも知れない。

現代社会に生きていくには便宜上、国籍を持ち、「なに」人であるかが定まっていることがほとんどだ(国によっては戸籍制度もゆるゆるなところもあるが)。そして日本のパスポートは世界でもとても強い(確固たる地位がある)ものだと言われることもあるけれど、それとは別の視点で内面的なことを考える。

なに人でもいいじゃないか、と。

周囲の人から自分のことを偏見でカテゴライズされるのを好む人はいないと思うけれど、何より自分自身で枠を作っていることも案外多いのだと気づく。

枠をどんどん取り払いたいし、自分の価値観をさらに開放させてくれるような人たちと一緒にいたい。その逆はこれからの時代にはそぐわないとも思う。

これって、外の広い世界を見ると同時に、自分の内側を見る作業なんだな〜。



最近ちょっと考えていることの一片を書き留めてみた。



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