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はじめに -Viva la vida-
はじめまして^^
江指美穂です。
メキシコからお届けしているnoteを読んでくださりありがとうございます。
現在はメキシコに住み、メキシコ伝統ファッションバイヤーと銘打って、メキシコの伝統的な服などを紹介、販売しています。
中でも、旅先でちょっとドレスアップしたいという時に着てみたくなるワンピースやピアスなどをその旅先の風景や人、空気感などと一緒にお届けしています。
いくつになっても自由に開放的に、でも自分らしい女っぽさも持ちつつ生きたいという方に届けーーーとやっております。
この活動の根幹にあるのは、
世界は私のカラフルさで輝く。“Viva la vida”(私の人生を生きる)
という気持ちです。
メキシコで「伝統のもので、しかもかわいい」「旅先でのおめかしに着てみたい」を発掘して、発信し、届ける。
そうした活動を通じて、
着てくれた人が誰のためでもない自分らしいかわいいを表現して、
つい「これ着たらあかん、あれ言ったらあかん」と無意識に縮こまらせてしまう言動の制限をパーンと取っ払って、
自由に楽しく生きるきっかけ
になったらいいなと思っています。
今は「カラフルでかわいいから今日はこれを着よう」、「めちゃくちゃきれいな手織りや手刺繍…!このバッグにしよう」と楽しみながら、自分がいいと思うものを躊躇なく選んで生活しています。
でもこれまではいろんな考えや人の目、見えない圧力にがんじがらめになり、あらゆることに身動きが取れなくなっていました。
その最たるものが、
自分はかわいくない
という気持ち。
SNSやこうした人の目に触れるところで発信することも、
「不特定多数の人にかわいくもない私の写真とか考えとか発信して、誰が興味あるんやろう。そんなことするの恥ずかしすぎる…」と思ってなかなか踏み出せずにいました。
そんな私がどうやってこうして届けたいと行動するようになったかについて、誰かのちょっとしたきっかけになればという気持ちと、自分がいつでも初心に戻ってこられるようにという想いから、ここに書いておこうと思います。
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こどものころ
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最初の「自分はかわいくない」エピソードとして覚えているのは小学校高学年のとき。
よく状況は覚えていないのですが、低学年の男の子たちが、高学年の女の子たちを選んでペアを組んでいくというようなことがありました。
周りで先に選ばれていく同級生の女の子たちにまざって、選ばれない不安と恐怖がどんどん大きくなる…。
きれいなお姉さんと男の子から言われていた同級生が,「このお姉さんもきれいでしょ?」と私のことをその男の子に言っているではないですか…!
「やばい,男の子が答える前に何か言わないと!」と焦った感覚を今でも思い出せます。
中高は女子高だったため、まったく男性の目がなく、楽しく過ごしたのですが、そのおかげで男性とどう話したらいいのかさっぱり忘れてしまいました。
大学に入学すると同時に、
「あれ、男の子と話す時ってどうやって話すんやっけ」
とわからず、東京の大学へ行ったため、関西弁でまくし立てる私に男性がなんか引いてる気がする…となんだか感じて。
しかも私は京都出身。みんなが「京女」というイメージを作って見てくる。でも私はそういうおしとやかなタイプではない。
登山サークルに入っていたのですが、山登りの途中で同期の女の子には男子から手が差し伸べられるのに、私には差し伸べられない…!
そうやって接する男子の反応から、とにかくモテるタイプではないらしい、という自己イメージが、それはそれは頑丈に出来上がっていきました。
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会社員時代
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大学を卒業して旅行会社に入社して,営業職につくと,売上、売上、数字、数字と言われる日々。
特に最初は、全然お客さんがうまく獲れない。
「あー、美人やったら得することとかあるんやろうな。かわいくないから新規顧客獲得できないとかあるんかも」とか曲がった考えを持ったりしていました。
添乗中にお客さんから「きみは不細工やからなあ」と面と向かって言われて、「知ってたけどやっぱり!!」と傷ついて、でも仕方ないから愛想笑いをして…。
会社で何かの拍子に「うふふ」って笑い方をしたら、上司に「お前、うふふって、そういう雰囲気の女だけが笑っていい笑い方やぞ!」とか言われたことも(振り返るとなんじゃそれ!なんですが笑)。
男性の同期、男性の上司、男性のお客さん。
あーみんなかわいくない子が来たって思ってるんやろうな、
同期のあの女の子が担当やったらうれしかったんやろうな、
あっちの支店の同期の女の子はすごい売ってるらしい、
やっぱきれいやしな…などなど1人で苛まれていました。
わたしは美人ではない
とにかくその思想がどんどん固まるようにものごとをとらえていきます。
妹がいるのですが、かわいくて、気もきいて、いつも彼氏がいる(大好きな妹です!)
たまたま、父の会社の人たちに家族で車に乗っていた時に会って、車の中から挨拶をする、ということがありました。
父が私を紹介したあと、閉まっていた後部座席の妹の窓も開けて紹介したのです。すべてをもうそういうフィルターをかけて見てしまう私は「あーかわいい妹をわざわざ紹介したいんやな」なんて思ったりしていました。
(こう書いていますが、大好きな家族で、母の美味しいごはんですくすく育ってはいるのです)
もう卑屈です。
どうせ私なんて、どうせ私なんて。
そんな中でも彼氏もいたのですが、失礼極まりないことに、私のこと好きになるなんて、かっこよくもなくて、きれいでかわいい女性には選ばれない人がこっちに来るんだろうな、なんて思っていました。
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カナダで
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ずっと思っていたやっぱり海外で働いてみたいとの思いから、新卒で入社した旅行会社を辞めて、ワーキングホリデーでカナダのトロントに行きました。
とっても漠然とした「海外で働きたい」という気持ちから具体性を欠いたまま行ったため、もちろん急に自分が思い描くように働けるわけじゃない。
自分探しの迷路に突入です。
語学学校でいろんな国の友達ができるのは楽しいけど、こんなのでいいんやろうか…。
学校が修了したあとはやっぱり大学院に行こうと思い立ち、バイトを2つ掛け持ちで働いてお金を貯め始めました。せっかくカナダにいるのにほぼお金を貯めるためだけに働く日々です。
そしてもともとアトピーで肌が弱いのに、トロントの真冬のマイナス10度くらいになる極寒に肌がガサガサに。
なぜか「海外で生きていくんなら、日本の皮膚科の薬に頼っていてはダメだ!」と皮膚科の塗り薬などを一切持って行かなかったんです。
もう鏡も見たくないとはまさにこのこと。
目もはれて一重になって、首までガサガサ。
これまでのかわいくない自分に上塗りするようにさらに自信をなくして、うつむきがちになってしまいました。
そもそも私、何も悪いことしたわけじゃないのに!
好き好んでこの顔になりましたとかこの体型になりました、とかじゃないのに、なんでこんな目にあわなあかんの!
他の人はみんなかわいいのに!
という次元までモヤモヤの気持ちは到達してしまっていました。
そんな中でも、一筋の光のように思えた記憶がひとつ。
トロントの地下鉄のホームで友達が
「これかわいいね、どこで買ったの?」
と肌がガサガサでうつむきがちな私がしていたピアスを褒めてくれたんです。
かわいいモノは普遍的にかわいい。
私は自分が可愛くない分、かわいいモノを見つける目は養えているのかもしれない。
卑屈だけど少しだけ自信というか、
他の人よりできることなのかもしれないとちょっと思えました。
でもそんなことは別に仕事になるものでもないしと仕舞いこみ、時々持ち物を褒めてもらうとちょっとうれしくなって、でもそれだけのことみたいな扱いをしていました。
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ふたたび日本
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日本に帰ってきてお金を貯めようと働く日々。
毎日働いて、男性とは浮いた話も一つもない。
かわいくておしゃれな同僚がごはんに行こうと誘ってくれて行くと、まわりもきらきらおしゃれな男性でかえって気が引けて言いたいことも言えない。
知り合いの男性を紹介すると同僚に言われても、「いやいや、私みたいなん来たらびっくりするから!」と言って全力で拒否。
「会ってみたいとわからないよ」と言われても、「いや、わかる、わかる!」とまわりが引くくらいでした。
とにかくかわいくないということでさらに傷つくのが怖い。
自分が強固に思っていることを人から「間違いないです!」と再確認されるのが怖い、恥ずかしい。
だから服装はずっとカジュアル、髪型はずっとショートカット。
トレーナー、スニーカーが一番似合うと本気で思っていました。
みずから「私は女性らしいかわいい恰好はしません。こうしたカジュアルでラフな格好をしていますので、どうぞお構いなく」と白旗をあげているような状態でずっといました。
「かわいい」は呪いみたいです。
特に日本の「カワイイ」はとっても限られた小さな枠。
ダーツの的の真ん中の小さい小さい赤い枠みたいで、そこに入らないと、もうなんだかどうやって女性として生きていったらいいのか五里霧中みたいな気分でした。
あの枠に入らないと女性としての魅力がない。
女性として扱われない、
彼女の対象にならない、
結婚の対象にならない。
あぁいいなあ、かわいい人は。
かわいかったら
腕出して、ショートパンツも穿けて、
ワンピースも着れて
あんな風に話せて、
細い華奢なネックレスもぴったりで、
ヒールのサンダルも似合うし、
みんな彼女と一緒にいたいと思ってる。
私はかわいくないから、
あの服は着たらあかん、
こんな話し方もあかん、
足なんか出したらあかんし、
ビキニなんて私なんかが着ていいもんじゃないし、
かっこいい人が私のこと好きになるはずがない。
日本では「カワイイ」以外にも、
年齢、体型、育ちと暗黙の了解の目線がとっても厳しい。
あの年齢であの色はもう着たらだめ、
この体型でショート丈はもってのほか、などなど…
誰もが口にしているわけではないけれど、誰もが必ずあると知っている、それはそれは細かいシビアな決まり事がたくさんあります。
生活のあらゆる部分に潜んでいるそういった制限に慣れ、それに倣うことが普通になり、疑問さえ持たなくなってくる。
我慢しているという感覚さえ麻痺している。
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ベネズエラでの衝撃
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高校で一年間留学したメキシコでいつか働きたいと思っていたのですが、メキシコの希望は通らず、南米ベネズエラで働くことになりました。
ここで今考えると大きな意識の変革がありました。
同僚の1人が外食する時や出かける時は、
スカートにヒールじゃないとダメ!せっかく女の子なんだから
ということを繰り返し言ってくれる女性でした。
海に行く時は、「ビキニじゃないとダメ!」
「ビキニじゃないと海に行かない、水着を買いに行こう!」でした笑。
最初は「えー、だって私みたいなんが着たって変やのに。みんな引くだけやのに…」と拒否していました。
でもどこかにやってみたいという気持ちは、確かにある。
海外にいることも手伝って、彼女に言われるがままにヒールやスカートを揃えてみました。
少し背筋を伸ばした鏡の中の自分。
ちょっとうれしく感じてるのも事実なことに気づきました。
そして恐る恐る人前に着ていくとまわりの反応は思っていたよりも悪くない。
「あれ、意外と大丈夫なんかな…。」
「じゃあワンピースも着てみようかな。」
まわりの男性の反応も私が長年思い込んでいた恐怖心を上塗りするようなものではありませんでした。
スカートを穿いただけで、ベネズエラ人の同僚はCAみたいだねと言ってくれ、日本人の同僚は言葉にはしないものの、トレーナー、スニーカーの私といるよりも対応が違う気がしました。
勝手に卑屈になって比べるキラキラとした対象。そんなダーツの的の赤い枠に入る日本人女性を街中で見かけることはない。
そのことに勇気をもらえて試せたのかもしれません。
仕事の会食で一緒になった男性が食事に誘ってくれたり、これまでだったら絶対に私を女性として見ることがないだろうと思っていた男性が気になっていたと言ってくれたり。
衝撃でした。
私自身の内面は何も変わっていない。
ただ着るものを変えただけ。
それだけでまわりの反応が変わる。
自分が選ぶものは自分を表現するもの。
でもトレーナー、スニーカー、ショートカットでいることで白旗をあげて、私は女性としての魅力がないんです、と自ら表明していた。
自ら選択してそう振舞っているんだから、そりゃまわりもそう反応する。
そしてそれは、私が「現実」と思っていたけれど、実際は勝手に私が想像した「まわりの人はこう思っている」の上に成り立っているものがほとんどで、
私はこんなん着たらあかん
↓
これは着たらあかんと「まわり」が思っている
私はこんなん言ったらあかん
↓
こんなこと言っていいのはこういう人だけだと「まわり」が考えている
という世間の判断基準に則ったもの。
自分の想いではなく、見えない世間に自分の言動の選択肢を渡してしまっていた。
そういったしがらみがちょっとずつヒールやスカートで取れてきてからは、 男性と食事に行ったり、ビキニで海へ行ったり、女性としての自分を縮こませることなく楽しめるようになってきました。
世間一般のかわいい、きれいに急になるわけではない。
それでも別にいい。
私が魅力的に見える瞬間は、ある。
そう思えるようになってきました。
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メキシコで
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そうして少し自分を許可できるようになってくるとつながってきました。
高校で1年間ホームステイして、いつも一緒にいてくれたメキシコのmami。mamiは会うたびに「あなたはかわいい」と無条件に言ってくれていました。
最初は「いやいや、そんなわけないやん」と言って返していましたが、そう返すと怒られるのです笑。
同じ年にメキシコに留学した同期が広末涼子似のきれいな女性でした。その女の子をしても私の方がかわいいとmamiは言ってくる。
mamiにとって私は本当にかわいい、らしい。
最初は身内びいきの社交辞令のようなものと思っていたのですが、こうして自分を許せるようになってくると
自分がかわいいと思うものがかわいい
それがその人にとっての事実、それでいいんだ、ということがちょっとわかってきました。
テレビや雑誌、世間が言う「カワイイ」とか、誰かと比べてきれいとかそういうことではない。
だからか、出会うほとんどのメキシコ人女性はみな自信にあふれて見えます。きっとmamiが言っていたみたいに「あなたは特別、かわいい」と散々言われて育ってきているんです。
それが軸にあるから大変なことがあっても、強く受け止めて、ユーモアを持って応じて、でも色気もある、そんな風に見えます。
「なんだか違う人種…」という感じで当初は見ていましたが、その環境に身を置いているうちに、それが当然と思えるようになってきました。
自分がかわいいと思うものがかわいい。
そのことは何も悪くない。
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世界は私のカラフルさで輝く。“Viva la vida”
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私はメキシコのカラフルで伝統的なモノが好きです。
いつかカナダの地下鉄ホームで褒めてもらった、かわいいものを発掘するという自分の得意なこと。
その得意を通じて、誰のためでもない私の『かわいい』を愉しむ、人生をめちゃくちゃ腕を伸ばして生きるという世界観が当然の社会にしたいと思っています。
かわいくないからこんなことできない、言えないみたいながんじがらめの考えを取っ払いたい。
誰でもない自分が選んだ、素敵でかわいいもの。
それを身につけることでさらに自分の魅力が輝いていくもの。
あの眩しいかわいい女性と比べられたらいやだから縮こまっておこう、じゃない。
私のカラフルさがあるからこそ世界は輝くんだ。
しかもそこには伝統や文化、
おばあちゃんとかひいおじいちゃんとか
おかあさんとかの思いや技も織り込まれている。
わーかわいい…
すっごい手の込んだ模様…!
綺麗な色…
さらに想いが伝わるものはちゃんと大事に使おうと思うし、うれしくなるし、愛着もでる。誇りに思える。
人にも伝えたくなるし、そんな風に手にして大切に身につけるものは絶対に自分を輝かせてくれる。
褒めてもらったら自分の自信にもつながる。
そんな気持ちで身につけるものは私を唯一無二の存在として表現してくれる。
そんなきっかけとなるメキシコのモノを届けていきたい。
なんというか、平たく、臆面もなく言うと
みんながあんな卑屈な考えにがんじがらめになるのではなく、見えない制限に縮こまることなく、しあわせに、自由に生きれたらいいなと思っているんです。
それを私は伝統ファッションで、つないでやりたい。
以前観た『Happy しあわせを探すあなたへ』という映画の中で男性が言っていた言葉が印象的でした。
I got this life,
I got my family, my friends,
I’ve never be really sick.
I’m first one in my generation who have no
experience of war.
For me, my life is like a loan given by god.
And I will get back this loan with interest.
この人生を得て、家族、友達も得た。
重い病気になったこともないし、
戦争を経験したことのない最初の世代だ。
私にとって、この人生は神さまがくれたローンだと思う。
この貸しは利子をつけて返すんだ。
私は無宗教でGodに返すかはよくわからないですが、気持ちは本当にそうだなと思いました。
この時代の日本に生まれて、
食べものにも、住むところにも
困ったことはなく、
健康に産んでもらった。
こんな恵まれたありがたい環境、
せっかくなら活かして何かいいことをしたい、できるはず。
素敵な伝統や文化でつないでいって、そして窮屈に感じて生きづらくなっている女性が飛び出すきっかけになることができたら最高だなと思っています。
だから今は「世界は私のカラフルさで輝く。“Viva la vida”(私の人生を生きる)をメキシコ伝統ファッションを通じて伝える」をさらにどんどんとがらせて、形にしていきたい。
メキシコの手仕事は彼らの生活を支える収入源であり、力強さも感じられる一方で、なんとなくユーモラスで、見ると笑顔になります。
そして鮮やかな色使いは、かわいさと女っぽさをくれます。
メキシコ人女性そのもののようでもあります。
メキシコの手仕事は女性としての自信をくれる力がある、そう思います。
めずらしくて、かわいくて、カラフルで、ちょっと勇気出して着たいと思わせてくれるもの。
さらに旅先ならいつもより自分も開放的になって、好きだけどちょっと躊躇しちゃっていたものにチャレンジしてみたくなる。
それが日常につながっていったら、一歩ずつ自由に自分で選んでいけるようになる。
そんなパワーをメキシコから巡らせていきたい。
他にもやりたいことがたくさん、たくさーーーんありますが、まずここからやっていきます。
Viva la vida!
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