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対象関係論解説(後):2つのポジション

このnoteでは、「対象関係論」における2つのポジション、「妄想‐分裂ポジション」と「抑うつポジション」について解説します。前回はこちら

(読了時間:約5分)

妄想‐分裂ポジションとは

前回のおさらいをしておきましょう。

幼児は「対象(≒母)」を、欲求を100%満たしてくれる「良い対象」と、それ以外の0~99%しか満たしてくれない「悪い対象」を別人だと考えています。このメカニズムを分裂と呼びます。

良い対象は理想化し、温かさや安心、愛を感じます。それに対して悪い対象は脱価値化し、強い攻撃的衝動や怒り、憎しみを感じます。さらに、悪い対象が自分を攻撃しようとしているという迫害妄想を抱きます。悪い対象を自分が攻撃しようとしていることを、相手に投影するからです。よって、悪い対象から攻撃されるかもしれないという恐れを抱きます。これを迫害不安と呼びます。1人の対象に対して、幼児は愛と恐れ(あるいは愛と憎しみ)という相反した感情を持つのです。

このような状態を「妄想‐分裂ポジション」と呼びます。

このポジションにいるときの幼児は、食うか食われるかという妄想的かつ迫害的な世界に生きています。一方で、良い対象は理想的に良いまま無事であるとも考えています。

抑うつポジションとは

やがて、部分対象関係は全体対象関係に移行します。良い対象と悪い対象が、同一人物だったということが分かるのです。すると、幼児が向けていた悪い対象への怒りや攻撃が、実は良い対象へのものでもあった、と気づくのです。良い対象へと攻撃を向けて傷つけてしまったことに、幼児は罪の意識を感じたり悔いたりして、落ち込みます。このような状態を「抑うつポジション」と呼びます。

抑うつポジションにいる幼児は、罪悪感だけでなく抑うつ不安も感じます。自分が攻撃したことによって良い対象がいなくなってしまうかもしれないからです。このような喪失不安から、幼児は(全体対象である)母に対して気配りや思いやり、共感を持つようになります。加えて、罪悪感から償いの気持ちも持ちます。

鬱からの逃げ場、躁的防衛

躁的防衛は、抑うつポジションの避難所です。幼児にとって、罪悪感や抑うつ感は強く、とてもしんどいものです。そこで、鬱の反対である躁的な方法で、自分自身を守ろうとするのです。

躁的防衛は3つの要素、「支配感」「征服感(優越感)」「軽蔑」から構成されています。これらの要素は、万能感にも関係があります。

支配感と征服感は、相手を思い通りに動かすことができる感じを指します。言い換えると、権力を持っている感じです。優越感と軽蔑は、相手よりも自分の方が優っている感じを指します。ただし、優越感と軽蔑は自分と相手のどちらに焦点を当てるかが異なっています。

例えば、躁的防衛に基づいた優越感ならば「僕はすごいんだから、あんな奴なんていなくてもいいんだ」となるし、軽蔑ならば「あんな奴は大したことないんだから、いなくてもいいんだ」となります。後者は脱価値化と言い換えることもできるでしょう。

ゴールは対象恒常性の獲得

2つのポジションと躁的防衛を行き来しながら、幼児は「対象恒常性」を獲得していきます。対象恒常性とは、そばにいなくても対象は存在し続けているという性質のことです。

妄想‐分裂ポジションにいるときの幼児は、対象を妄想の世界で破壊してしまいます。それが抑うつポジションにおける罪悪感や不安の原因になっています。

しかし、幼児の妄想の世界と異なり、現実の対象(≒母)はいなくなっていません。この事実を通じて、幼児は自分の持つ攻撃的な衝動に限度があることや、対象が壊されなかった、いなくならなかったということにも気づいていきます。さらには攻撃してもいなくならないでいてくれた対象に、感謝の気持ちも持ちます。

と同時に、対象は自分の思い通りにならず、自分とは異なる存在であることも理解していきます。

まとめ

妄想‐分裂ポジションとは、悪い部分対象への強い怒りや憎しみと、悪い部分対象からの攻撃を恐れる状態のことです。

抑うつポジションとは、良い部分対象への罪悪感や喪失への不安を感じ落ち込む状態のことです。これは、妄想‐分裂ポジションにおいて悪い部分対象に加えた攻撃が、良い部分対象に向けたものでもあるということから生じます。

躁的防衛は、抑うつポジションの苦痛から身を守るためのメカニズムで、支配感、征服感(優越感)、軽蔑の3要素で構成されます。

幼児は、妄想‐分裂ポジションと抑うつポジション、躁的防衛を渡り歩きながら、段々と部分対象を全体対象へと統合し、同時に対象恒常性を獲得していきます。対象恒常性とは、「対象が目の前からなくなっても、それ自体はなくなっていない」感じのことです。

おわりに

対象関係論は、赤ちゃんとお母さんの関係を追ったものですが、1人の人物に対して感じる相反するアンビバレンツな気持ちは、子どもだけのものではありません。なので、大人の私にもいろいろ思うところがあります。

それはさておき、前提部分は、なんとか前後編の2つで収まりました。次は、本題であるギリシャ神話のとあるストーリーに関する解釈に入ります。

投稿は、来週日曜日(2019/04/14)予定です。よろしければ、スキを押していただければ幸いです。

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