料理に感じた小説のような物語性と多面主義(いわゆるキュビスム)
白金高輪から天現寺交差点、恵比寿を結ぶ白金北里通から白金の丘学園の交差点から北に入る道を200mほど進んだ場所にあるフランス料理店が、4年連続でミシュラン一つ星を獲得している「ラ・クレリエール」です。
周囲の信頼しているフランス料理好きの皆さんから何度も(ほんとに、何度も聞いていました)おすすめいただいていた柴田秀之シェフのお料理をようやく食べることができました。
よく思考を言葉にする行為として「言語化」という言葉が使われますが、柴田さんは思考を料理にする「料理化」の力がものすごく高くて、柴田さんが考える食材の良さ、活かし方についての考察結果がビシバシと伝わってくる。
そして皿の上の柴田シェフは、とてもおしゃべり好き、そんな印象を受ける料理の数々でした。
特に記憶に残っているのは、ホワイトアスパラガスの温菜と、メインの仔牛のヴァリエーションです。
ホワイトアスパラガスの温菜と
ゲインズバラの《水飲み場》
ホワイトアスパラガスの温菜は、皿の左から食べ進めていくわけですが、左にはゆでたホワイトアスパラガスとオランデーズソースという伝統的な組み合わせ。そこから右に進むにつれて、フォアグラやアミガサダケといった食材へと連なっていきます。
一枚の風景画を見るときに感じる物語のような連続性。
たとえば、ゲインズバラの風景画《水飲み場》は、まず観るポイント、絵画の入り口がしっかりデザインされています。
おそらく多くの人が、この絵を観たときに、スポットライトに照らされた白い牛と羊に目が行くはずです。
そこから、茶色の牛がいることや、水飲み場ではしゃぐ子羊の存在に気付くことでしょう。その羊や牛の群れの奥に、牛飼いの姿が見えます。そしてその奥には、特徴的な姿の山に目が進んでいくでしょう。
向こうの山は、夕日に照らされ、ほのかに赤らんでいます。
ここで多くの鑑賞者は絵の部分を目で追うことから、絵全体に視野を広げていくことになります。
そうすると、牛の群れの左側に、女と2人の子どもの存在を発見するはずです。そうか、牛飼いの家族も休んでいるのか、この山をもつ家族の日常の一瞬だったことに気づくわけです。
この絵を観たときの目の動きは、かなり多くの人が同じ道をたどるのではないでしょうか。
これから何かのストーリーが始まるような、小説の冒頭を思い起こさせる風景画に僕は思える。そう、この絵は、風景画でありながら物語を内包している文学的な絵画なのです。
そんな文学性がホワイトアスパラガスの温菜を僕は感じます。
里から山に入る道すがらにふと感じる腐葉土の匂いのように、アスパラガスを食べ進めるうちにフォワグラの香りがもれてくる(染み出たフォワグラの油が、すこし影響を与えているのです)。そうかと思うと、次の一口で一気にフォアグラやアミガサダケの味わいが押し寄せ山のなかに連れ込まれる。そんな物語性のある一皿でした。
仔牛のヴァリエーションと
ピカソの《アヴィニヨンの娘たち》
メインの仔牛は3品仕立て。主の皿は仔牛のロースで、カブリの部分はグリルにして、ソース・ペリグーと長谷川さんのグリーンアスパラガスに合わせてあります。小さな器に盛られた煮込みは、タンドロン(腹横筋)、もうひと品のやや軽い煮込みはリ・ド・ヴォー(乳腺)で、それぞれの部位にあわせて別々の調理をし、それをひと皿としてとらえ時間差でテーブルに並びます。
「仔牛といっても一つの調理法では表現できませんから」と話してくださった柴田シェフ。その時ふと思い浮かんだのは、ピカソがキュビスム(立体主義)を表明した記念碑的な作品《アヴィニヨンの娘たち》です。
キュビスムでは、人の顔を平面で表現する場合、たとえば正面から描くと正面だけで、横からの特徴(たとえば鼻の高さや形や耳の形など)や、はたまたその日とは別の日のその人物の特徴(元気な顔と不機嫌な顔とか)などは表現できないという平面芸術の限界を打ち破ろうとする創作行為で、正面の顔に横顔や、別の時間軸の顔を一緒に描くことで、物事を立体的に表現しようとしたものです(超ざっくり)。そこには、それまでの絵画ではなしえなかった時間軸まで存在させることに、キュビスムは成功しています。
柴田さんが、仔牛の料理で表現したいことも、もしかしたらそういう料理という表現の可能性を広げようとする行為なのかもしないなと、僕は感じました。
もちろん、食材のヴァリエーションというのは、古今多くのシェフが挑戦しているものですので、必ずしも斬新ということではないと思うのですが、それでもこの移り変わりの激しい時代に、1つの食材への視点を多角的にしていきたいという柴田シェフの意思が料理からビシバシと伝わってきたことは、とてもすがすがしい気持ちで受け取ることができましたし、楽しんで食事をすることもできました。
ずっと柴田さんのnoteも読んでいたし、一度食事会でも同席する機会もあったりと、お人柄を少しだけ知っていることもあったのですが、それとはまた違う深い部分まで料理を通して感じとれることができて、やっぱり実際にお料理を食べられてよかったと思いましたし、料理を通してのコミュニケーションは楽しいなと思いました。
さらに柴田シェフのファンになりました。
柴田シェフのnoteはこちら
今回紹介した絵画についても、もうちょっと書いています。