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【読書note】『テロルの決算』

たとえば、「織田信長」という人物について、私たちがどれほど知っているかと問われれば、たいへん心許ない答えしか出て来ません。

また、その答えすらも、私たちが教科書や書物で断片的に植え付けられたり、世間に流布しているイメージからなる「人物像」から逆算されたものでしかなかったりします。

一方で、歴史上の人物であれば、(研究者以外は)それでいいかも知れないとも思うわけで。

「人物像」という物語を消費するだけならば。あるいは、そこから何かの教訓を引き出すだけならば。わかりやすい「物語」の枠組に当てはめられ、偏ったり、歪んだりしても、それほど大きな問題にはなりません。何度も言いますが、研究者以外であれば。

でも、時は現代。その態度が、陰惨な事件やその加害者像、被害者像にまで適用されていたら。

訳の分からない、理解の及ばない、もっと言えば、理解なんかしたくない事件に対して、分かりやすい理由をでっちあげ、単純な「物語」に押し込め、理解したつもりになって、なるべく早く、手軽に安心しようとする。

その態度こそが、事件の連鎖を引き起こしているのではないかと…そんなことを思うのです。

そうではなく。

事件や関係者に関わる一つ一つ事象を、丹念に紐解いていくことでようやく見えてくるもの、あるいは、そうしなければ見えないもの、もっと言えば、そうしたところで見えないもの。

それらについて教えてくれるのがコチラの本でした。

■沢木耕太郎
■文春文庫
■2008年11月(新装版)
■710円+tax

ひたすら歩むことでようやく辿り着いた晴れの舞台で、61歳の野党政治家は、生き急ぎ死に急ぎ閃光のように駆け抜けてきた17歳のテロリストと、激しく交錯する。社会党委員長の浅沼稲次郎と右翼の山口二矢。1960年、政治の季節に邂逅する二人のその一瞬を描くノンフィクションの金字塔。

私自身は政治に対して甚だしく勉強不足であるため、この事件について全く知りませんでした。たしか、tweetで見かけた本です。

本書では、この事件の加害者である山口二矢の人生を辿りつつ、被害者の浅沼稲次郎の人生も丹念に描きます。

被害者も加害者も、どこか一つでも釦を掛け違えていれば、あれほどのタイミングで彼らが交錯することはなかったのかもしれない。

でも、一方で、時代だったり世間の風潮だったりを鑑みると、どうやったところで、この邂逅は必然でしかなかったのかもしれないとも思うのです。

そうであるならば。

後の時代にいる私たちは、この事件を、あるいは、類似の事件たちを、単一な物語に押し込めず、安易な枠組みで理解した気にならず、単純な原因を当てはめて安心したりせず、できるだけ腑分けして、じっくり見つめて。私たちに何ができるのか、何ができないのかを見極めて。考え続けることが大切なのではないかと。

私も含めて、人って安易に流れ勝ちです。特に、筆舌に尽くしがたい理解不能さを醸す事象が起きたとき、なるはやで安心したくて、分かりやすい理由を探し勝ちです。

でも、それって、おそらく何の解決にもなってなくて。むしろ、いつ暴発するかわからないモノを後生大事に抱え込むことにしかならないのではないかと…ここ最近の事件を見ていると、そんな風に思えてなりません。

■理解の範疇にないものを、理解の範疇にないと受け入れた上で、どうにか腑分けして、見つめること。
■自分に都合のいい「物語」に押し込めたい欲を抑え、他者の「物語」のまま知ること。

何にせよ、話はそこからだな、と。そんなことを覿面に教えてくれる本でした。

重い話題ではありますが、文章はめちゃくちゃ読みやすいです。しかも、ぐいぐい惹きこまれるので、一気読み必至。よろしければ、ぜひ。

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