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【心に残る上司の言葉】あなたの〇〇は綺麗だから。


あれは、私が社会人1年目の頃。

就職前の研修期間にお世話になった施設でのことだ。この研修先は、カリキュラムが素晴らしい分、ハードなスケジュールと厳しい指導で有名だった。


私は、ゆるい学生時代を過ごしていた(勉強よりも、サークル活動やバイトばかりしていた)し、スポ根タイプではないのに、なぜだか当初やる気だけはみなぎっていた。「社会人になってテキパキ仕事する自分」に期待していたのかもしれない。それで、最初の1ヶ月は、本当にがむしゃらにがんばったと思う。


2ヶ月目。一足遅れて、大学の友人が同じ部署にやってきた。お互い、研修生だ。先に仕事を覚えた私が友人に教えることとなった。それに加え、私はさらに新しいことを上司や先輩から習う、という状況になった。


そこからだった。少しずつ、私は調子を崩していった。人に教えることで、自分が真には分かっていなかったことが露呈してしまう。それを上司に指摘され、反省し、落ち込む。気持ちを建て直す間もなく、新しく覚えることが押し寄せる。

だんだん、毎日の簡単な業務でも焦ってミスをするようになった。逆に、順調に仕事を覚えていく友人が輝いて見えるようになってしまった。熱心な上司からの指導も、その厳しさゆえに、辛いだけに感じられた。

帰宅しても、課題に追われ、寝る間を惜しんで準備をした。分からないことを調べながらなので、効率も悪い。学生時代に知識を蓄えておかなかったツケが回ってきたのだ。

自分の不甲斐なさを思い知りながらも、必死にこなそうとしていた。




ある朝。張り詰めていた糸が、プツッと音を立てて切れた。


ーーもう、無理だ、逃げたい。


その一心だった。

「体調が悪い」と連絡して休んだ。

実は、その前日、やや大きな失敗をして、いつもよりたくさんダメ出しを受けていた。「リカバリーしなければ」という焦りと、「また失敗したらどうしよう」という不安で押し潰されそうだったんだと思う。

ただ、「1日休むだけだ」と簡単に考えていた。


それなのに、なんと、翌日も、その翌日も休んでしまった。


外には出られず、1日中ただ家の中にいて、何もせずにぼーっとしていたら、あっという間に夜が来た。そして、また憂鬱な朝が来る。やっぱり行けない。その繰り返し。


そしてついには、欠勤の連絡もできなくなり、無断欠勤までしてしまった。



振り返れば、あの時の私は、普通の心の状態ではなかったのかもしれない。



そんな状況を数日繰り返したある日。私は、ある決断をした。

ーーもう、辞めちゃおう。


周りの人のことや先のことなんて考えられなかった。もう、その研修先には戻れないと思った。就職もしていないのに、「退職願」を用意した(そういう時の行動は早い)。正確には、「研修中止願」だ。

ちょうどその日。

例の上司から呼び出された。さすがに、体調不良じゃなくて、心の不調だと気付かれたんだと思う。まずは内科にかかるように言われ、受診の付き添いまでしてもらった。


辞めると決めたことはまだ話していなかったけれど、自分の中では答えを出し、気が楽になっていた。



待合室の長椅子に並んで座り、上司と会話をした。


はじめは体調の話をして、だんだん仕事の話になった。「業務のどこがきつかったのか」とか、「これからどうしたいか」とか。責められる訳ではなく、ただただ質問された。


上司を前に、「言い方がキツイです」とも、「ダメ出しが多くて落ち込みます」とも言える訳もなく、結局「辞めます」とも言い出せずに、ずっと黙っていたかと思う。


そんな私に、上司がふいに、こう言った。



あなたの笑顔は綺麗だから。その笑顔に救われたり、癒される人もいるわよ、きっと。」


それまで仕事の内容について話していたので、あまりにも突然の言葉に、びっくりした。それに、ずっと厳しい指導を受けていたので、そんなことを思ってくれていたということが、意外にも感じた。上司の心、部下知らず。


「笑顔が綺麗」。それはもちろん、容姿のことではない。「笑顔に嘘がない」とか、「ほっとする」とか、私はそんな意味だと受け取った。

私の職業は、人々の健康や生活と関わる仕事だ。だからこそ、厳しく教えられる。それは分かっていた。だから、「ついていけない自分が悪い」、「自分にはいいところがない」、そんな風に思い、自信を失っていたのだ。そして、何日も休んでいるうちに、その自己否定はどんどん膨らんでいった。

そんな私に掛けてもらった言葉。



帰ってからも、その意味をずっと考えた(もちろん診察では身体には異常なし)。



仕事の内容に関しては、私は明らかに勉強不足だったし、覚えるのも要領が悪かった。そこに焦りや不安が加わって、負のループに陥ってしまった。


だけど、一番大切な「心」がある、それが「笑顔」に表れている、だからあなたは大丈夫、そう言われたのかなと思った。上司の言葉が、私の倒れそうな心を支えてくれたように感じた。


それからしばらくして、「あと少しだけ、がんばってみようかな」という心境に変わった。せっかく良いところを見つけてもらえたのだから、自己否定するのはやめようと思った。無断欠勤までしたというのに、私の可能性を信じてくれた上司に、もう一度教わりたいと思えるようになった。



その後、私は無事に約1年間の研修を修了した。その間、他の先輩方にもたくさんお世話になったし、たくさんの経験をさせていただいた。


そして、上司は私が就職する際に、推薦までしてくれた。私は、今でもその業種で働いている。


もし、あの時本当に辞めていたら、全く違う人生だったと思う。


辞めずに戻ってからは、一緒に研修を受けた友人とも、励まし合い、助け合って乗り越えた。休みの日には一緒にドライブに行ったり、愚痴を吐き出したりして、リフレッシュもした。苦楽を共にしたという堅い絆があり、今でも子育てや仕事のことを相談し合う仲だ。



そう言えば、この話には続きがある。研修が終わって数年後にその上司にお会いした際、今度はこう言われたのだ。

あなたみたいな人がいるって分かったから、私も少しやり方を変えたわよ。」


「厳しいだけでは人は育たない」ということを、私が身を持って示してくれたと言われたのだ。その時、元上司となったその方は、やや冗談交じりに話してくれた。


当時の私は、褒められるような研修生ではなかったけれど、上司が研修生への接し方を変えるきっかけになったのであれば、それはそれでとてもうれしい。実際、目上の方の言葉遣いや伝え方の影響は本当に大きいのだから。




当時、上司は厳しい方だったけれど、厳しさの裏には確実に私達への期待と愛情があった。だからこそ、あの日の言葉は私の胸に響いた。そして、そのおかげで私は救われた。20数年経った今でも、当時のこと、あの日の言葉は忘れていない。さらに、歳を重ねるごとに、言葉の重みが増し、感謝の気持ちが大きくなっているようにも感じる。


私がそうだったように、言葉1つが、相手の認識を変えるきっかけになることがある。自信を取り戻したり、前を向けるようになったりもする。一方で、逆のこともありうる。それは、仕事上の人間関係だけじゃなく、家族や友人、身近な人にも当てはまると思う。

だから私は、言葉をなるべく丁寧に遣いたいし、その時、その人に必要な言葉を掛けてあげられるような人間になりたい。実際にはなかなか難しい時もあるけれど、そう思っている。


そして、あの時見つけてもらった「笑顔」も大切に、日々を過ごしていきたい。





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最後までお読みいただき、ありがとうございました♩

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