中1娘がキャパオーバーになった日、自分の黒歴史を思い出した。
とある金曜日の出来事。
朝起きるなり、娘(中1)が泣いている。眉毛を八の字にし、ポロポロ大粒の涙を流して。こんなことは初めてだ。
ーーお、お?どうした?
とりあえず理由を聞く。学校は行ったら楽しいけど、今日は無理だと言う。嫌なことがある訳じゃないけど、どうしても気力が足りないと。
なるほどね。思い当たることはいくつもある。
あー、多分キャパオーバーなんだろうな、と悟る。
ただ、正直、迷う。こんな理由で休むのは、「逃げ」にはならないだろうか。行きたくなければ行かなければいい、と簡単に受け入れていいものか。行ってしまえば案外大丈夫だったというパターンもあるんじゃないか(小3息子で経験済)。
でも、あまりにも悲しそうに泣く娘に、この時は厳しい言葉をどうしても掛けられなかった。
ーーうん、分かった。とりあえず、今日は休もうか。
学校にアプリで欠席の連絡をする。その途端安心したのか、解放されたように笑顔が戻る娘。
それから1日、課題をしたり、本を読んだり、ゴロゴロしたりして大人しく過ごしていた。学校を休んで塾には行くのもなんだかなあと思い、とりあえずこの日は塾も休むことに。
夕食の後。塾の送迎がなくなったのをいいことに、ビールで晩酌を始める私。夫は出張中だ。娘を横に座らせて、話をしてみることにした。
…などと話した。ビールのお陰か饒舌だ。娘は娘で、やっぱりテストが心配なこと、学校は楽しいけど、ハードで疲れることなどをポツリポツリと話してくれた。
そうやって話していたら、昔、この日の娘と同じように学校を休んだ自分のことを思い出した。
*
あれは、高校生の時。詳しくは忘れたが、漢字テストか英単語テストがある日で気が重かった(多分勉強出来ていない)。
隣町の高校には自転車→電車→徒歩で通っていたが、果てしなく遠く感じる。登校時間が迫る中、イヤイヤが絶頂となり、強行手段に出た。
母は厳しい人(と思い込んでいた)だったので、簡単には休ませてくれないと思い、嘘をついたのだ。
その時、母がどんな顔をしていたのか思い出せない。もしかしたら、顔も見ていなかったかもしれない。
母は予定(多分パート)があるらしい。お金と保険証をテーブルに置いて、「病院の受付しとくから、あとで受診しなさい。」と言って出かけて行った。
その時の解放感ったらなかった。完全に、今日の娘の気持ちと同じだ。
ただ、1つ試練が。受付されてしまい、行かないわけにいかなくなった近所の内科。とぼとぼと向かった。
診察した先生(中年のおじ様)。
これで帰れると思った私に、次の瞬間、衝撃が走る。
ーーか、か、カンチョウ!?!?
初めてのことに、軽くパニックになる私。それからの記憶は断片的だが、優しく看護師さん(中年のおば様)に付き添われ、処置室のベッドに横になり、薬の入った液体をスポイトみたいな管で入れられたかと。便秘ではないので、すぐにびっくりするほどの排便があったような…(お食事中の方、なんだかすみません)。
ーーこれが浣腸なのか。とりあえず、すごい威力だな。あーびっくりした。
衝撃の出来事の後、帰りながら私はこう思った。
母が仮病を見抜いていたかは分からない。でもきっと、心配する程の状態ではないと感じていたはずだ。
結果的に、その日の出来事があってから、仮病を使う事はなかったように思う(大人になってからはあったけど←)。
*
という黒歴史を、せっかくなのでありのまま娘に話した。
娘は、きゃははと笑っていた。
いつになくたくさん話をした後、娘は、「明日(土曜日)は部活も塾(テストあり)も行く!」と笑顔で言った。元気を取り戻したようだ。
それを見て、まあ、こんな日があってもいいよな、と思えた。何が正解かは分からないが、とりあえず娘の心と身体の健康が最優先なのだ。
それに、色々と躓いたり失敗しながら、私も大人になったのだ。いや、大人になってからも失敗し続けている。逃げたこともたくさんある。でも、そこから得た教訓もたくさんあるし、それが今の私を作っているのだから、無駄だったことは何一つない(と自分に言い聞かせている)。
娘の人生はまだまだ始まったばかり。これからもっと色々あるんだろうけど、寄り添ったり、励ましたり、時には見て見ぬふり(笑)をしながら、娘が色々な経験を積んでいけるよう見守っていきたいと思う。
そう結論付けた、ある梅雨の1日だった。
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最後までお読みいただきありがとうございました♩
雨の日が続きます。体調にも不調が出やすいです。皆さんも色々と気を付けてお過ごしくださいね。
娘と息子の過去記事はこちら。