note生活1周年。今の私が思うこと。
どうも、こんにちは。
eringishimejiです(久しぶりに名乗りました。実はスペル綴るのが面倒で…。ひらがなに変えようかな。「えりんぎしめじ」、どうでしょう)。
昨日、こんなバッジをいただきました。
私のnote生活が1周年を迎えたんですね。
ようやく1歳です。
いえいえ、こちらこそですよ、noteさん。
いつもありがとうございます。
ということで、今日はこの1年間のnote生活を振り返り、今の想いを綴ってみたいと思います。
*
1年前の今日、ドキドキしながらnoteに初めて投稿したことを今でもはっきり覚えている。
それから1年。
思い切って始めたnoteが、今では生活の一部になっている。
当初の目的はすぐに果たし、アウトプットしたことで頭の中の霧のようなものが少しずつ晴れていくのを実感した。
ペースはスローになったけれど、書きたいと思った時に書きたいことを書いている。
残しておきたい出来事や考え、感情。
面と向かって誰かに聞いてもらうには恥ずかしいような子ども達や推しへの愛情。
時に暑苦しく、時には淡々と、地味に続けてきた。
そうして振り返った時、そこそこたくさんの記事を送り出したなあと思う(ざっくり見積もって170本くらいかな)。
たくさんの方に読んでいただき、約8000のスキ(感謝!)をいただき、フォローしていただいた。
時にはコメントをいただいたり、記事を紹介していただくことも。
この場を借りて、皆々様に感謝の気持ちをお伝えしたいです。ありがとうございます!
いつも読んでいただいている方も、通りすがりの方も。皆さんお1人おひとりの反応が本当にうれしくて、励まされて、今日まで続けることが出来たんだと思う。
これが、日記との一番の違い。
ありのままの自分なのだけれども、読んでいただくことが前提なので、言葉を選んで書く。構成も一応考える(これでも)。ユーモアも交えておきたい(スベってるかも)。
だから、後で読み返した時に、自分でも読みやすいというか、丁寧に書いたんだなと思えるというか(自己満足)。
そして、途中から、だんだん、その読み手の中に、「将来の子ども達」を含めている自分がいることに気が付いた。
私が世界でただ一人の母親として、大切な2人の子ども達にも伝えたいことがある(今じゃなくても)。口に出して伝えられることには限界があるし、忘れてしまうけれど、文章なら残すことができる。
そんなことはあって欲しくないけれど、私の身にだって、いつどんな事が起こるか分からない。
例えば、私がいなくなったとしても、私の綴ってきた言葉が、少しでも子ども達の慰めや力になってくれたらいい。大袈裟だけど、そういうことをちょっと意識している。
楽しい事だけじゃなくて、失敗や反省も含めて。私の考えや、簡単には伝えきれない愛情を、いつかどこかで受け取ってくれたらいいなと思う。
もちろん、「もしも」の時だけじゃなくて、人生に悩んだ時とか、つまづいた時でも。どんなタイミングで役立つか分からないが、自分の母親はこういう人だったのかと知ってもらえたらいい。
だから、近しい友人にはアカウントこそ明かしていない(恥ずかしいので)が、noteを書いていることはぼんやりと伝えている(手帳にはアカウントを記している)。
もしかしたら、何年か前に、「終活」の1つとして父が自費出版した「短歌・俳句集」の影響もあるかもしれない。
父の、家族への想い、仕事や人生に対する向き合い方が、短歌や俳句とそのエピソードに記されていた。
それを読んだ時、私は、実は父のことをあまり知らなかったんだな、と思ったし、父の想いがうれしかったし、人生の先輩として改めて尊敬した。
そして、理系を選んだのに頭の中は文系なところとか、話すよりも文章の方が気持ちを素直に伝えられるところなど、私は父に似ているんだなあと感じた。
今でもその一冊が、どこかで心の支えになっている。
だから、ちょっとそれに近いことをしているのかもしれない。
言葉だからこそ伝えられることがあるし、文字にすることで、形になるんだと分かったから。
これからも 、note独自の優しい世界と、皆さんとのご縁に感謝しながら、続けられる限り、書いていけたらいいなと思う。
そして、皆さんの記事もありがたく読ませていただきます。世界をどんどん広げてもらっています。
1年間、ありがとうございました。
因みに、この1年間で1番たくさんスキをいただいたのは、冒頭の自己紹介の記事で、次がこちらの記事でした。
続いてはこちら。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願い致します♩
***2023/9/25追記***