日々のことは中年になるとどんどん忘れ、あれ、これという言葉を多用するようになった。疲れたら目が霞むようになり、見た目にも重力の恐ろしさ、筋力の衰えを感じる。特に体の変調は顕著である。 子供の頃はわからなかったこの感覚。 初めて迫りくる老いを意識するようになった。 こうなって日記など書く習慣がなかった私はそろそろ日々のことを書き留めなければ忘れちゃう!と言う焦燥感に駆られていく。 私の人生はヘンテコ。その人生のおかげでヘンテコ目線で考え方も生き方も独特かもしれませんが、
受験生がいる我が家では、私の余裕のなさが仇となり歪みが生じている。 片方に優しくして、片方に厳しくしてしまう。 頭の中で分かりきっているのに、うまくいかないことをやつあたっている。優しくすることがストレスになってしまっているのだ。 非常にまずいシチュエーション。 私が変わらなければ何も始まらない。 まずは片付け。 そして笑顔! 心に余裕をもっていこう。
今アドバイス業務している会社での出来事。 以前お世話になった会社と同じ事象が起こっている。 結局良いアイデアを出したとて、新しいことに踏み込む勇気がないこと。 それは私の説得力の無さからくるのかもしれないが、取り扱っているプロダクトの性質上取り扱いが厄介なためになかなか前に進まない。 業転するのは勇気があることだけれど、今のご時世生き残りをかけて挑戦するべきだと思うがお偉方を説得するのはなかなか大変。 今の業態の中でするべきことをスリム化し、収益性の高いプロダクト事
随分と前回の投稿から時間が空いてしまった。 このご時世でフリーランスとしては仕事がありがたいことにあり、忙しない日々を過ごしていた。 公私ともに悩みがあってどう表現すれば良いか分からなかった。 娘のこと、パートナーのこと、自分自身と向き合うこと。 生きているといつもなにかしら決めないといけないことが大小関わらず無数にある。 また折をみて一つずつ共有したい。 まずは軽く復活のご挨拶まで
わたしにはうまくできないことが沢山ある。 うまく気持ちを伝えられなかったり、思ったことをオブラートに包まず、そのままぶちまけて相手を傷つけることがある。どうでもいいことが気になって他に手が回らないこともしばしば。仕事に支障はないが、ストレスが多い方だと思う。むしろストレスがないと仕事が楽しくない。 正直にいうことが誠実で正しいと思っているんだろうけれど、結果をみて後悔することは多々ある。 ある時、友人に、彼女が私との共通点を見出し、無邪気に「私たちは発達障害だから仕方な
私の人生は離婚を機に大きく変化した。まず手始めに学生時代や某旧帝大の教授秘書時代に経験した翻訳の経験を生かし、フリーランスで論文やら、WEBの翻訳を開始した。 結婚してからは仕事を辞めていたので、30超えのシングルマザーを良い条件で雇ってくれる会社はなかったのである。地方の都市で、まだまだ手のかかる幼児と共に養育費ゼロで生きていくのは容易ではなかった。 自分の生い立ちもあって自分の手で何がなんでも育てたい。誰かにみてもらうなんて甘いことは考えられなかった。 そうなると家
中高大と英国で過ごして、思ったこと🇬🇧 あー、なんでちっぽけな世界で生きてきたんだろう。 それに尽きる。 階級社会の根強い英国では、ビジネスシーンで出会った方にボーディングスクール出身だと言っただけで掌を返したように優しくなるといったことがよく起こる。 ボーディングスクールとはもともと貴族の子女のために創られた全寮制の私立学校で、有名なところでいえばイートンやラグビー校などが挙げられる。 仕事の面で単なる留学をした、オックスブリッジ卒というよりはるかにアドバンテージ
生まれてこのかた波乱万丈続きの彼女。我が家の悪しき伝統なのか。。さまざまな紆余曲折を経て、絶賛反抗期中の娘。 頭グリグリしたくなるほど腹立たしいことをしょっちゅうやらかしてくれるが、わたしがドヨーンと落ち込んだ時、真の力を発揮する。 普段空気など全く読まないのに、痛みや悲しみを感じるセンサーは著しく繊細、そして絶妙に働くのである。 わたしが落ち込んでいる時、ここぞというタイミングで極上の癒しを与えてくれる。私にとってはかけがえのない唯一無二の存在である。 こんなことを
都会からかなり離れた新興住宅地。 仕事を放棄し、キャッシュでポーンと居を構えた母は、私と同居するため呼び寄せたのである。 5人は悠に住まえるであろう一軒家に、 決して理解し合わない母と娘。 お互いに苦しんだ。 そこから3年半ほど。留学が決まった。 涙を流さなかった日はないが、楽しい日もあった。いや、精神的に苦しい中で一瞬でも笑っていたい、笑える瞬間は思い切り笑いたかっただけかもしれない。 少々ハード、スレスレの内容になるので詳細に関しては、万が一、大成した
わたしは特異な環境で生まれ育った。 後に留学する話にも結びつくのだが、生後4ヶ月で新聞の広告で見つけた赤の他人の家で育つことになる。そこから小学3年生の2学期までわたしは何不自由なくぽけーっとした人生を過ごすことになる。 人間ぽけーっと過ごしているとあまり記憶が残らない。 血縁と暮らし始めることになり、そのぽけーっとした人生はあっけなく終わりを迎えてしまった。 地獄の始まりである。