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「傷」という贈り物

人間にはみな傷がある。ひとは、その傷を隠しながら、逃げながら、はたまたあえてネタとして昇華しながら生きている。傷をもっている理由。それはひとえにその傷を受け入れ、エゴという魔物に振り回されず、余計で不快な概念を抜きに生きていけるようになるためだろう。映画や小説、芸術と呼ばれしものはしばしばその傷により創られ、その同じ傷を持つものに受け入れられるようにみえる。人々がもっている傷には何種類もあるだろうから、人によって反応または拒絶反応を起こすものは違うだろう。ただ、ここでわたしが言いたいのは、この拒絶反応を起こしているものこそが実はこの傷を癒すためのキーであるような気がしてならないということだ。

わたしは小さい頃から誰とでも仲良くできる子だった。それは横並びに同じように接することができるという意味ではなく、それぞれにあったやり方で適切な距離が接することができる、いうものであった。これだけ聴くと自慢に聞こえそうだが、事実はそう簡単ではない。たしかに、わたし側から適切な距離と自己開示度合いを測って、「あなたを受け入れている」と示すことで、相手の緊張や防衛体制が徐々に崩れ、仲良くなり易くはなる。ただ、人間そんな簡単に誰にでも自分を見せられるわけではない。わたしは、相手が実際に仲良くなりたいかは省みず、それをしている自分自身に陶酔していただけだったのだ。その八方美人な自分に。だからであろうか、その犠牲の結果として「きらいなひと」が分からなかった。わたしのゴールは平和主義であり、それは自分が誰からも拒絶されたくないという考えから生じた「仮面」ですらあった。ちなみにここでいう「きらいなひと」というのは私の性質とどうしても合わない、という意味である。(対照的に「苦手なひと」はいなかった、それは自分の努力次第で変えることができたので。) けれどわたしが「このひとのここは受け入れられない」と感じていることはどうにも変えられぬ事実であり(自分がその傷を認めない限り)、その事実を受け入れられないがためにこの「きらいなひと」を認めることができなかったのだ。

高校生のころFちゃんという子がいた。私たちは共通の友人が本当に多かった。Fちゃんとわたしはクラスが一緒であるという点以外特筆すべき共通項はなかったが、Fちゃんの友達とわたしの友達や交友関係はほぼベン図が重なるほど一緒であった。たしかにここまでのことは高校という狭いコミュニティの中の話なので、不思議なことはないかもしれない。しかしながら、私たちは一年間を通してほぼ何も中身のある会話をせず、近づこうという意志も見せず、話さなければいけない状況ではただひたすら共通の友人の話題を出し、必死に自分のパーソナルスペースを守っていた。上にそのことにお互い気付きながら接していた。これは、わたしの中で異例のことであった。そこから、なぜこの人とはどうしても正面から向き合えないのか、ということについて考え始めた。わたしの中のなにかが「いやだ」と言っているのは容易に感じられた。そこで気づいたのだ、わたしは彼女と同じ傷をもっている、と。

わたしはあえてここで彼女を「きらいなひと」に分類分けしたい。おそらく大多数のひとが考える「きらいなひと」の定義と違うことはわかっている。ただどうしても彼女と話すと、自分が一番触れたくないところ、目を背けたいところ、が明るみに出てしまうのだ。自分が嫌いになってしまうところ。思うに、彼女も同じであるように感じる。それは、私たちが一生をかけて、真正面から感じて、受け入れて、なにも意識しなくなるまで癒すためにもって生まれてきた「傷」であるのかな、と思う。

大学生になって、かたや中退、かたや留学、など既存の形式からはみ出た私たちは、それぞれ日本から出て異国で暮らしていた。時間や経験により、少しずつ過去に負った傷が癒えていた私たちは、久しぶりに連絡を取り合うことに成功した。数時間に渡る電話。抽象的な話題。気にならない沈黙。今明かされるあの時の気持ち。それは初めて感じる類の「同じ温度、空気感、生ぬるさ」であった。力を入れないということに「気持ち悪さ」まで感じたわたしだが、時間が経つにつれ慣れてきて、それは心地の良いものだと知った。

それからというもの、時々彼女をSNS上で見る。共感と気持ち悪さの狭間でわたしは闘っている。自分の弱くて情けなくて自己嫌悪に落ちる部分を見ているようで仕方がないのだ。ただ、もうきらいではない。彼女がはいる新しい枠組みができた、それを何というのかはまだわからないけれど。

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