これはほぼ、医療者たちと私の物語だ
昨年夏には書こうと思っていたのに、温めすぎてしまった。
2014年のがん治療から5年が過ぎた。
入院治療の7日間、さまざまな人が、できごとが、私のベッドの脇を忙しく通り過ぎて行った。
その人たちとの短い交流、たくさんあったできごとたちを忘れたくなくて、物語のようにここに記しておきたい。
一応書いておくが、これは闘病日記ではない。
静かな診察室
入院初日は、術前の診察があった。
外来とは違う、病棟内の小さな診察室。
主治医とは違う、初めて会う女性のO医師が診察をしてくれた。
「おひとりでいらしたのですか?」
「母と一緒にきました」
「そうですか。お母さまが応援団なのですね」
そう言われて、考えたことがなかったけれど、素直な言葉が口をついて出た。
「臓器を摘出することになって、母にはなんとなく申し訳ない気持ちなんです」
自分がそう思っていたことになんとなく気づいていたけれど、
あぁ、そう思っていたんだな、と心から思った瞬間だった。
そのあとは誰も口を開くことなく、診察室の時間が静かに過ぎた。
看護教員I先生
入院初日は、翌日の手術に備えて麻酔科のヒアリングがあった。
手術室の脇にある部屋を訪ねる。
エレベータを降りたところで、バインダーを抱えた見慣れない制服の若者たちの姿に目が留まった。
9月1日の入院だったから、ピンときた。
後期の看護実習だ。
看護大の学生に違いない。
麻酔科でヒアリングを受けたあと、翌日の手術が10時頃に決まったことを聞いて、病室に戻った。
ノックがして、白い制服の看護師さんが部屋に入ってきた。
「看護教員のIと申します。お願いがあって参りました。
看護学生をひとり、担当につけさせていただくことはできないでしょうか。
もちろん、お断りいただいても構いません」
「あ、いいですよ!」
「え!?いいのですか?え!?」
「え?え?」
のようなやりとりが何回か続いた。
相当数断られているのかもしれない、という疑念がよぎる。
「あの...なぜ引き受けてくださるのでしょうか...」
面接みたいだ。
志望理由を聞かれる学生の気持ちだ。
「日頃大学の仕事も受けているので、学生の役に立つならと」
「ご、ご専門は何を!( ゚Д゚)」
「キャリア形成やコミュニケーション領域です」
「後ほどもう一度お伺いします!」
看護実習生Sさんがやってきた
ほどなくして、先ほどエレベーター脇で見かけた制服を着た学生が、
I先生と一緒に訪ねてきた。
「Sと申します。このたびはありがとうございます。よろしくお願いいたします」
真面目そうなSさんが、小さな声で言った。
ショートカットの小柄な女性だ。
「こちらこそよろしくお願いします」
I先生から、Sさんが明日の手術を全て見学すること、困ったことがあったら看護師がくるので安心してほしいこと、などの説明があった。
I先生の横でじっとしていたSさんが、突然口を開いた。
「あ、あのう。何か言ってほしいことがあったら言ってください」
私には、最初Sさんの言葉の意味がわからなかった。
「何かしてほしいことがあったら言ってほしい」という意味だろうか、
と思ったので尋ねてみた。
「あ、違います。何かかけてほしい言葉があれば、という意味です」
なかなか新しいアプローチだ。
「うーん、今思い浮かばないので、手術が終わるあたりまでに考えて...おきます(?)」
のような、返しになってしまった。
2014年オカンチョー問題
9月2日。
手術当日の朝はあわただしかった。
予定していた手術の時間が早まって、8時半頃に繰り上がったのだ。
バタバタといろいろな医療者の出入りが続く。
私の緊張感も、俄然高まる。
ひとしきりバタバタが終わったところへ、初めて会う看護師さんが訪ねてきた。
「おはようございます。これからお浣腸をさせていただきますね」
私は驚いた。
いや、術前に腸内洗浄をすることは説明を受けていた。
私が驚いたのは、浣腸に「お」がついたことだった。
頭の中が、突然ビジネスマナーモードに切り替わった。
新人研修時などは、言葉遣いも担当することがある身だ。
「こ、これは丁寧語なのか!?『お浣腸』は丁寧語なのか!?」
そんなことが頭をうずまいている間に、お浣腸は無事に終わった。
そして、このnoteを書いている本日時点でも、
『2014年オカンチョー問題』は解決していない。
寝て起きたら、もう術後だ
手術室には徒歩で行く。
母は、ドラマよろしく、私がストレッチャーに乗って、手術室の前で涙の別れをすることを予想していたようだったので、
手術室の前で「じゃーね!」と大きく手を振る私に、ちょっと拍子抜けしたようだった。
手術台は思ったより幅が狭くて、乗るのが大変だった。
手術後にも麻酔が持続的に効くよう、背中に硬膜外麻酔の点滴を入れる。
昨日麻酔科を訪問した際に、このことを聞いていたので、
術後も痛くなくて安心できる、と思ったアレだ。
皮膚に麻酔をして、針を入れる。
実はここが怖かったのに、痛みはなかった。
そのまま眠りに落ちたようだ。
ーーー✂ーーー
「手術が終わりましたよー。痛いところはありませんか?喉の管を抜きますから、起きてくださいー。」
ぼんやりしている。
医療者の声で目が覚めた。
管が入っているから、声が出せない。
痛いのか痛くないのかもわからず、頭を横にふった。
手術は5時間半だったそうだ。
真っ先に思ったのは、看護実習生のSさんが、5時間半も立ちっぱなしでいたのかな、ということだった。
押し寄せる麻酔科医
手術室からは、病室のベッドに乗せられて移動する。
そのまま病室に入れるから楽チンだ。
手術台の上で背中に入れた、硬膜外麻酔の針がきちんと刺さっているかを確かめるため、体を左に倒して背中を見せてほしいと言われる。
ここから修業が始まる。
左が向けない。
右側を上にしようとすると痛い。激痛だ。
ベッド脇にいる医療者たちが、にわかにざわつき始める。
「右側は向けますか?」
恐る恐る、右側を下にして左側を少し上げる。
痛いけど、なんとか上がる。
「もう一度左側を下にしてもらえますか?」
「ぎゃーす!( ゚Д゚)」 → 痛い
どうやら右半身に麻酔が効いておらず、左半身のみ麻酔が効いている、という状況に陥ったようだ。
後に看護教員のI先生から伺ったが、看護師さんたちは、手術室からの帰りに、ベッド上の私が無言で苦悶の表情をしており、「ひょっとして...」と思っていたそうだ。
✂ーーー
ちなみに、両脚は血栓予防のための装置を装着しているので、
どちらにしても身体は非常に不自由だ。
すると、初めてお会いする女性の麻酔科医師が病室を訪ねてきた。
麻酔の効きを、アルコール綿をお腹にあてることで確かめる。
左側は冷たさを感じるけど、右側は感じない。
「冷たいですか?
病室移動前は、痛いところはないって言ったじゃないですか」
私は「言ってないです」と言いたかったけど、
こういう言い方をされてしまうと言えなくなるんだな、と思った。
だいたい、ほんとに言っていないんだ。
だって、聞かれたときには、まだ喉に管が入っていたのだから。
このあと、代わる代わる3-4名の麻酔科医が一人ずつ訪ねてきては、
同じアルコール綿作戦を実行していった。
私のお腹は...アルコールで乾燥しきっていたに違いない。
そして素直に寒かった。
足音で感じる看護師不足
麻酔が効かないままの夜は、かなりの諦めモードになった。
実は、持続型の麻酔を腕の点滴に増設してもらうことが決まったのだけれど、病院内に薬剤の在庫がなく、薬剤が到着したのは22時を過ぎた頃だった。
点滴入れ替え後もすぐには効果がなく、2時間ごとに訪問してくる看護師さんに効果がないことを申告すると、投与量を増やしてくれるシステムだ。
これ、ふたりでやらないといけないそうで、ペアが見つかるまでに時間がかかる。
2回ほど増量をお願いして、麻酔が効いたのは空が白んだ頃だった。
無念。
夜勤は、特に看護師さんの人数が少ない。
身動きが取れなかったので、何をしていたかというと、今でいうところのマインドフルネスのような状況を、勝手に生み出していた。
骨盤の内側が2ヵ所痛い。
「あー、ここから臓器を外したよね」と集中して感じてみたりした。
看護師さんの足音で、何人くらいの人が働いているのか見当がついた。
足音はいつも、小走りだ。
✂ーーー
だから、実は夜中にお腹に痛みがあったのだけれど、ナースコールを押すことをためらった。
以前に、某テレビ局のウェブサイトで、ナースコールを分析したビッグデータを見たことがあった。
22時過ぎのナースコールの数がすごかった。
この状況下でも、ヒマだとそんなことを思い出す。
2時間ごとに訪ねてきた看護師さんに、お腹が痛いことを伝えた。
看護師:「お腹ですか...(ゴソゴソ)あ!大変!」
術後は導尿をしているのだけれど、管の角度で尿が全く出ておらず、お腹にたまってしまっていた。
処置をしてくれている看護師さんの携帯が鳴る。
ナースステーションに誰もいないと、携帯にナースコールが飛ぶようだ。
「はい。どうされましたか?」
私の処置をしながら、ナースコールに応答している。
「また具合がわるいときには、遠慮せずにナースコールしてくださいね」
私の処置を終えて、廊下を出た彼女の足音は、小走りだった。
さて、私たちは何周歩いたでしょうか?
麻酔が効かなくても、術後翌日からリハビリが始まる。
2時間ほどしか眠れておらず、おそらくやばい顔つきだったと思うが、
これから着替えて、1キロ歩く。
痛いし、怖い。
朝いちばんで、歯磨きセットを持ってきてくれた医療者の方がいらした。
洗面所まで一人で歩けないので、ベッドの上で歯磨きをすることになる。
体がうまく起こせないので、ベッドの上で水をこぼした。
その状態に、結構落胆した自分がいた。
これから勇気を出して1キロ歩くことを思うと、こういうスタートは、成功イメージが持てる経験ができるといいなぁと思った。
その後、看護師さんが訪ねてきた。
正直に、リハビリに出ることが怖いと伝えた。
そんな私を、看護師さんが笑顔で優しく勇気づけてくれる。
「私がついているから大丈夫ですよ!いけます。ゆっくりで大丈夫だし、疲れたら休んでもOKです!」
ベッドサイドに腰かけられるように支えてくれて、着替えを手伝ってくれる。
点滴台をつかみながらも立ち上がる必要があるのだけれど、勇気をくれると立ち上がれるんだと思った。
痛くないとは言えないけれど、翌日に立ち上がれたことは自信になった。
✂ーーー
病棟内は円形をしていて、1周が100mだから、10周する。
看護師さんに付き添われながらゆっくり歩きだす。
歩ける。うそみたいだけど、行ける。
スピードを上げても大丈夫だ。
半周歩いたところで、ミーティングブースにいたI先生とSさんに出会った。
看護師さんが、Sさんに役割をバトンタッチする。
Sさんと並んで、黙々と歩く。
Sさんに大学生活や、サークルの話をふってみる。
いろいろな活動をしていることを教えてもらいながら、歩く。
一応、鋭意実習中のSさんに聞いてみた。
「さて、私たちは何周歩いたでしょうか?」
「( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)///」
「試したりしてごめんなさい。次で6周目です」
それから、もうひとつ聞いてみた。
「私は、昨晩痛くてほとんど眠れなかったし、歩くのがめっちゃ怖かったんだけど、看護師さんはそんな私になんて言ったと思う?」
「うーん、歩いたほうが回復が早いから行きましょう、でしょうか...」
歯磨きを失敗したときに、私がどんな気持ちになったかや、どんなひとことで勇気が出たか、なんてことを話しながら、私たちはまた歩き続けた。
初日に「何か言ってほしいことがあったら言ってください」と言ってくれたことを思い出して、なんとなくふたりでそのことについて意見を交わしながら、私たちは歩き続けた。
たくさん歩けて、点滴や導尿は全部終了になった。
クールな看護師さん
私はお金もないのに、個室に入院した。
個室は広くないけど、人の様子をよく観察できるくらいには明るくて広い。
入院3日目ともなると、日勤、夜勤で同じ看護師さんとお会いする機会ができてくる。
ひとり、お若い女性の看護師さんがいらした。
入室の際にあいさつをする以外、言葉も笑顔も少なめに、うつむき加減でたんたんと用事を済ませていく。
2回目に同じ看護師さんが入室してきたときも、同じ様子だった。
こちらに気を遣って黙っているのかな、と思った。
私から声をかけてみようと思った。
邪魔になるようなら、私が黙ればいい。
「看護師さんも、実習の頃って覚えていますか?」
急に看護師さんの顔があがった。
「あの実習生のかたは、4年生大学で成績優秀ですから。私なんて専門学校ですし...いえ、あの私、新卒なんです」
入職して半年の看護師さんだった。
実習で逃げ出したくなったこと、今の仕事で頑張ってみたいことなど、
次々と笑顔で話しながら血圧を測ってくれた。
笑顔になってもらうのに、看護師も患者も関係ないよな、と思った。
マダムの夫は趣味がない
病室には、毎日清掃の方がきてくれる。
床と洗面所周りを拭いて、ごみ箱を空の状態にする。
数名の男女の方が、入れ替わりながら毎日担当をしてくれた。
なかでも、元気なマダムがいらしたので、そのことを書こうと思う。
マダムは、こちらが話しかけない限り余計な話はしないけれど、ちょっとお天気の話をふるだけで、夫の話にまで発展させてくれて、毎回笑いを誘う。
いちど顔を覚えると、廊下でも声がかけやすくなって、私たちは入院中何度かあいさつを交わした。
患者の私は、なかなかに孤独だったから、
マダムのあいさつと、マダムの『趣味のない夫』の話がとてもいとおしかった。
洗髪は闘いだ
9月4日。
看護実習生の朝は早い。
7時半には病室を訪ね、検温、脈拍・血圧測定を済ませる。
この日はSさんから提案があった。
「今日はもしよければ、清拭か洗髪か足湯をして差し上げようかと思うのですが、どれがいいですか?」
看護実習生は、担当患者の看護計画を作成する。
看護師をしている友人から、実習中は徹夜になることを聞いていた。
Sさんは自分の看護計画の中に、今日提案することを入れて、I先生に提出、ナースステーションに許可をもらったのだろう。
「Sさんなら、どれをお勧めしますか?」
「そうですね。髪が長いのに洗えていないから、洗髪をお勧めしたいです」
「今日、明日と友人がお見舞いにくるのでとても嬉しい。洗髪をお願いします」
いざ、洗髪をしてもらえることになった。
✂ーーー
個室には浴室が付いているのだが、まだお風呂には入れないので、洗髪台があるところまで移動することになった。
美容室の洗髪台のようなイメージだ。
椅子は、背もたれが倒れる車いすを使う。
今日は、Sさんに加えて、先輩看護師さんもついてくれている。
さて、ここからが試練だった。
背もたれが倒れる角度を計算して、車いすと洗髪台の距離をとらねばならない。
ふたりは目測して、車いすの場所を決めた。
まもなく背もたれを倒す。
「そっとね、はい、ちゃんと背中を支えながら...」
「あ、はい...ちゃんと支えてます。はい、手を離します!」
背もたれは、予定した角度まで倒れ切ったはずだった。
はずだったが、ちょっと甘くて、手を離した瞬間に、もう一段深く倒れた。
「ぴー!( ゚Д゚)」 → お腹の傷に響いた!
「きゃー!( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)///」
ふたりが急いで背もたれを起こす。
「本当にすみません!痛かったですよね((+_+))」
「洗面台に届いてない...距離が全然足りてない...
笑うと...お腹...いたい...笑うと...」
倒れ切ってもなお、洗髪台には頭が届いていなかったのだ。
そして、私のお腹の傷には、笑いがいちばん響くのだった。
仕切り直して、もう一度。
「はい、今度は注意して...はい...手を離します」
「はい!」私も構える。
「はい!」ふたりが手を離す。
「ぴー!( ゚Д゚)」 → お腹の傷に響いた
こともあろうか、再びもう一段深く倒れる椅子。
でもすごい。ちゃんと洗髪台に頭が届いているではないか。
洗髪台に頭が届くことが、こんなに嬉しいことだとは、この日まで知らなかった。
✂---
洗髪台に頭を載せた状態の私に、Sさんが言った。
「お顔にタオルを載せますね」
美容室のアレだ。
この病院には、3つのサイズのタオルが存在することを知っていた。
・ハンドタオル
・フェイスタオル
・バスタオル
当然、ハンドタオルが顔に載せられると予想する。
しかしSさんは、私の予想など価値がないとでもいうように、フェイスタオルを細く細く折って、私の顔に載せたのだった。
「ぶあつすぎて...息ができない...おなかいたい...((+_+))」
「あ、すみません!すみません!」
「だいじょうぶ!気にしない!続けて!」とにかく前進してほしかった。
「はい!あ、はい!」
✂---
なんとか洗髪が終わった。
背もたれは元に戻された。
闘いは終わった...。
Sさんは、ちゃんとバスタオルで髪を拭いてくれた。
あとは病室まで帰るだけだ。
しかし、ちゃんと最後の試練が待っていた。
Sさんは、バスタオルを頭にどう巻けばいいのかがわからなかった。
「Sさん、美容室で巻く要領だよ」
「私、ショートカットなので巻いてもらったことありません」
Sさんが試行錯誤した結果、選んだ巻き方は、
いわゆる『真知子巻き』だった。
”真知子巻き”とは
http://www.nhk.or.jp/po/zokugo/2216.html
手を握ってもいいですか?
9月5日。金曜日。
いつものリハビリは、病棟を出て、庭園や売店まで行けるようになった。
うららかな午後。
主治医が病室を訪ねてきた。
「血液検査をパスしたら、9月7日には退院できます」
Sさんとお別れのときがきた。
土日は実習が休みだから、今日でお別れだ。
しばらくして、I先生が病室を訪ねてきてくれた。
「実習を受け入れてくださって、本当にありがとうございました。」
私は、Sさんと一緒にいた時間が、まるで仕事をしているような気持ちになれたことを話した。
そのことが、どれだけ自分に勇気をくれたかも。
話しているうちに、涙がたくさんこぼれてきた。
もし迅速病理で、リンパ節にがん細胞の転移があったら、入院中に1回目の抗がん剤治療が待っている予定だった。
フリーランスだから、仕事をキャンセルしての入院だった。
抗がん剤治療は視野に入れていたけれど、治療そのものよりも、仕事が継続できなくなるかもしれない恐怖などがあったのだと思う。
そのことを、心の深いところに沈めたまま、今日までいたのだと感じた。
I先生がおっしゃった。
「大学で教員をしている私が同じ立場だったら、多分学生と一緒にいることを選びます。ひょっとしたら、あなたもそのほうが元気に治療に向かえるのではないかと思いました。
そういえば、Sさんがお話ししたいと言っているのですが、呼んできてもいいでしょうか?」
ほどなくして、Sさんが病室にきた。
I先生は一緒にきたけれど、Sさんだけを病室に残して部屋を出た。
Sさんが初日と同じ小さな声で言った。
「あの、最後に...手を握ってもいいですか?」
「手?」
「はい。患者さんの手を握ってみたかったんです。」
小さな柔らかな両手で、私の手を包んでくれた。
最後まで真面目で、ちょっと不器用で。
でもいつも優しく、いちばん私の傍らにいてくれた。
ただいてくれた。
ただいてくれる人がいることが、何より嬉しかった。
その時間は、Sさんが一番長かった。
入院前にはその存在を知らなかった贈り物だった。
ありがとう。
そしてわたしたちは、さよならをした。
I先生とSさんと、その後
実は、入院直前まで半年間通っていたメディア関連の講座に、I先生の大学の学生が複数人いたこともあり、
彼らを訪ねて、翌年の学園祭に足を運んだ際に、I先生にお目にかかることができた。
あれからしばらく経って、今日このnoteを書くことにして、久しぶりに大学のウェブサイトを開いたら、I先生のお名前が載っていなかった。
退職されたのかもしれない。
Sさんとは、もちろん会うことはないのだけれど、不思議な縁で、私が参画しているNPOの活動メンバーが、Sさんと同じインカレサークルで活動していたことがわかった。
近々会う予定があると聞いていたので、もしよければ私の写真を見せてね、と伝えた。
メンバーから、Sさんが器械出しの看護師をしていること、私のことを覚えていたと聞いた。
自分の場所と役割を見つけて働いていることを聞けて、嬉しかった。
番外編:入院グッズ紹介
以前にSNSで、入院したときに持参した便利グッズを紹介したことがあった。
全く予想していなかったのだけれど、その発信を役立ててくれている方が複数いることをあとから知った。
治療の方法や、お部屋のタイプによって必要なものは違うと思うけれど、
こちらでも紹介しておきたい。
ぜひ、あなたの工夫も足していってください。
①100均かご
テレビのリモコンなんかも入る
②S字フック
ベッドの柵にかごや袋をかける。寝たときに利き手側手元にかけると便利
③ウェットティッシュ(アルコール入り、なし)
用途別にふたつあると便利
④綿棒
なんやかや便利
⑤メガネケース
メガネを置く場所に手が届かないことがある
⑥あぶらとりがみ
顔が洗えないときにも
⑦ICカード
店内コンビニやカフェなどでも使える頻度が高い
⑧ティッシュ
手元のかごの下に置くとかさばらない。S字フックでかける技も
⑨ビニール袋・ショッピングバッグ
ごみ袋や洗濯物入れ用。大部屋だと布製が音が出なくて便利
⑪電源タップ
スマホを手元に置きたいが、電源はおおむね遠い
⑫扇子・うちわ
熱が出たときあって助かった
⑬蓋つきのマグカップ
ほこりが入らなくて便利
⑭クッション・癒しグッズ
大きすぎると邪魔になることもある
【入院前に手配しておくと便利なこと】
・車での送迎をお願いしておく
手術があっても退院が早く、体力が思うより回復していない
荷物を持ちながらの電車の乗り換えは結構大変
その辺も手伝ってくれる人に、事前にしておくとよい
・飲料水は歩ける初日に買っておく
薬を飲む用の飲料水は自分で用意する必要がある
冷蔵庫も比較的小さいので、冷蔵庫の大きさを確認して、
予定入院日数から逆算して必要数買っておくと便利
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